一
その女の靴を初めてみたとき、モヨは、随分大きなハマナスの花だと思って、目を|瞠《みは》った。それが紅い靴だとは気がつかずに、そこにハマナスが大輪の花を咲かせているのだと思ったのである。
けれども、そのあとすぐ、自分がとんだ勘違いをしたことにモヨは気づいた。
この北国の菜穂里のあたりは、つい四、五日前からようやく春めいてきたばかりで、ハマナスの花時までには、まだ大分|間《ま》がある。それに、ハマナスが育つのは砂地だが、ここは浜ではなく港のはずれのテトラポッドを作る作業場で、地面は広くコンクリートで固めてある。こんなところにハマナスの花が咲くわけがないのだ。
いくらまだ九つの子供でも、浜育ちだから、そんなことぐらいは知っている。
けれども、モヨが、それがハマナスの花なんかではないことに気がついたのは、そんな知識のせいではなかった。といっても、べつに大した発見があったわけではなく、要するに、それが花にしては妙な動き方をしたからである。
花は、風に吹かれれば頭を振るが、ほんのすこしにしろ、根こそぎ、地面を滑るように動いたりはしない。しかも、花だと思ったものが、二つとも、おなじような動き方をしたのだ。
初め、間隔を置いて咲いていたのが、みているうちに、どちらからともなくするすると寄り添った。こんなハマナスなんて、あるものではない。
そのとき、モヨは、作業場のテトラポッドの林のなかにいた。作業場といっても、工場のように屋根や煙突があるわけではない。テトラポッドは四本脚のコンクリート・ブロックだが、作り方は簡単で、鉄板で|拵《こしら》えた型を何枚か組み合せて、そのなかにコンクリートを流し込めばいい。あとは、コンクリートが固まってから型の鉄板を|剥《は》ぐだけである。
大仕掛けな機械が要るわけではなし、コンクリートは別のところからミキサー車が運んでくるから、作業場には工場のような建物も、煙突も要らない。屋根ぐらいは、あれば雨や雪の日は助かるだろうが、なにも一年中、お天気の悪い日ばかりつづくわけでもないのだから、青天井でもいっこうに構わない。
出来上ったテトラポッドをよそへ運ぶときは、大型トラックにクレーン車がついてくるが、そのときのことを考えればむしろ屋根などない方がいいのだ。
型のとれたテトラポッドは、|芯《しん》まですっかり乾くように、しばらくの間は置場で陽と風に|曝《さら》される。そんなテトラポッドの列が幾筋もぎっしりと並んで、海べりの広い置場を埋めている。
置場のテトラポッドは、みな一様に三本の脚を地面につけ、残りの一本を真直ぐ空へ向けて立っている。テトラポッドはどう転がしてもそんな恰好に立つように作られているのだ。ちょっと、無細工な三本脚のロボットのようだ。
大きさは、大中小と三通りあって、一番小型のでもモヨよりはずっと大きい。大型はモヨの背丈の三倍もある。だから、テトラポッドの列のなかにいると、まるで灰色の不思議な林へ迷い込んだかのようだ。
モヨは、どういうものか、このテトラポッドの林のなかで一人遊びをするのが好きで、そのときも林の奥にしゃがんで、コンクリートの地面に石のかけらで人形の絵を描いて遊んでいた。子供は置場で遊んではいけないことになっているが、モヨは、母親がこの作業場で働いているから、大目にみて貰っているのである。
雨や雪の日でない限り、学校が|退《ひ》けると(時には途中で勝手に脱け出してくることもあるが)、モヨは家には寄らずにまっすぐこの作業場の置場にきて、テトラポッドの林のなかで一人遊びに|耽《ふけ》る。家に寄っても、誰もいないからつまらない。父親は漁師だったが、近くの海で魚が|獲《と》れなくなってからは年中よそへ|出稼《でかせ》ぎにいっていて、盆や正月でないと帰ってこない。一人っ子で、近所に仲のいい遊び友達もいないし、テレビもマンガ本もない家にひとりでぽつんとしていてもつまらない。
学校へ入る前は、毎日のように浜の子供たちの群れに混じって遊び廻ったものだが、学校へ入ってからはだんだん友達というものが苦手になった。みんな自分を馬鹿にするからである。なにかといえば、毛が三本足りないといって|嗤《わら》う。
学校ができないのは、それは勉強というものが嫌いなのだから仕方がないが、髪の毛が赤茶けているのはなにも自分のせいではない。顔立ちがまずいのも、|躯《からだ》つきがずんぐりしているのも、自分ではどうにもならないことだ。なにを作っても下手くそで、どんな競争をしてもいつだってびりになってしまうのも、自分では精一杯やっているのにそんな結果になってしまうのだから、どう仕様もないのである。
嗤われてばかりいると面白くないから、モヨはだんだん友達から離れて、一人遊びをするようになった。苦手な友達たちがあちこちの舟の|蔭《かげ》にひそんでいる浜に比べると、この誰もいないテトラポッドの林のなかは、楽園のようだ。モヨは、幼いころからの癖で、陽気がよくなるとスカートの下にはなにも|穿《は》かないことにしているが、そんな恰好で地べたに腰を下ろして遊んでいても、誰も指さして嗤ったりはしないのだから、気が楽だ。
テトラポッドたちは、寛大で、モヨがなにをしても黙っている。モヨもテトラポッドたちに似て、近頃は|唖《おし》のように無口になった。けれども、本当の唖ではないのだから、耳だけはよくきこえる。その日は、午後からすこし風が出て、テトラポッドの林の奥は近くの岸壁の裾を洗う波音が高かったが、モヨはふと、人の話し声を聞いたと思って、振り向いてみた。
すると、テトラポッドの脚の間から、|綺麗《きれい》な|薔薇《ば ら》色をして丸味を帯びたものが二つ、地面に並んでいるのが目に入った。それで、モヨはとっさに、随分大きなハマナスの花だと思って目を瞠ったのだ。
ところが、それは花ではなかった。けれども、モヨには、それが花でないとすれば何なのか、すぐには見当がつき兼ねた。まさか女の靴だとは思わなかった。モヨは、世の中に、こんなに綺麗な色をした靴があるとは夢にも思わなかったのだ。実際、あたりが灰色一色だったせいか、その薔薇色はまるで生きているもののようになまなましかった。
ようやく、それが女の靴だとわかったのは、すぐそばにある黒いものが男の靴だと気がついてからである。そうか、とモヨは、|謎《なぞ》が解けたような思いがした。テトラポッドのむこう側に、男と女が寄り添って立っているのだ。
けれども、そうとわかってからも、モヨはそれが女の靴だとは素直に信じることができなかった。ここが高価な絵本などに描かれている童話の世界なら、わからないこともない。けれども、現実にそういう綺麗な色をした靴があるとは、モヨにはどうしても思えなかったのだ。
モヨは、とっくに、ちびた下駄を脱いでいた。そろそろと立ち上って、こっそりテトラポッドの蔭を廻っていった。
案の定、若い男と女であった。それがぴったりと抱き合って、男は女の口を|舐《な》めていた。けれども、モヨはそんなことより、女が実際この世のものとも思えないような綺麗な靴を履いているのを確かめて、改めて目を瞠った。
なんて綺麗な色だろう。こんな素敵な靴があるとは知らなかった。モヨは、背中がぞくぞくしてきて、ぶるっと身ぶるいをした。飛び出していって、手で触ってみたかった。けれども、そんなことをすれば男にぶたれるにきまっている。
モヨは両手でテトラポッドの肌を|撫《な》でながら、こっそりまた元の場所に戻った。そこからでも、充分女の靴はみえるのである。なるほど、いまとなっては、それは女の靴に違いなかった。女の靴以外のなにものでもなかった。これがハマナスの花だなんて、どうかしている。それこそ、三本、毛が足りない。
モヨは、女の靴から目が離せなくなっていた。女は|踵《かかと》の高い靴から、なおも足の踵を上げて爪先立っている。そのまま、男も女も動かない。動かない方が、それだけ長く眺めていられて、よかったのだが、モヨは、なぜともなくいらいらしてきて、舌うちをした。
全く男というやつは、とモヨは思った。どうしてあんなに女の口を舐めるのが好きなのだろう。
モヨは、遊び仲間から外れてひとりで浜をほっつき歩いていたころ、浜に打ち揚げられた難破船の残骸の蔭や、岩蔭や、浜のはずれの松林などで、近くの町や村から海をみにきたらしい若い男たちが、連れの女たちの口を念入りに舐めているのを、何度も見掛けたことがある。
若い男ばかりではなく、例えばこの作業場の親方のようなゴマ塩頭でも、一週間にいちどは市場から廉く買った魚を土産に、モヨの母親のところへやってくる。
女の口の、どこがそんなに|旨《うま》いのだろう。モヨも女だから、女の口がちっとも旨くなんかないことぐらい、自分でよく知っている。モヨの口など、いつだって唾に砂粒が混じっていないことはないのだ。
ようやく、二人は静かに歩き出した。モヨは、女の靴から伸びている目にみえない糸に|牽《ひ》かれて、テトラポッドの脚におでこをぶつけた。すると、不意に女の泣き声がきこえた。|怺《こら》えても、つい声が洩れてしまうという、あの大人たちの泣き方をしている。女の靴は、泣きながらやがてテトラポッドの蔭にみえなくなった。
モヨは、なんとなく、溜息が出た。ああ、あの女もまた男にいじめられて——と、そう思った。モヨの母親もまた、親方が帰ったあとで、かならずといっていいほど頭から布団をかぶってそんな泣き声を洩らすからである。