五
男が帰ってきたとき、すでに子供は生まれていた。それにはなんの文句もないのだが、一と月半も前に生まれていたというのが、気に入らなかった。
なぜなら、彼は前に女房が手紙に書いてよこした出産予定日という日に合わせて、休暇をとって帰ってきたからである。
出産予定日といっても、それはあくまでも予定日で、かならずしもその日に生まれるとは限らないのだということは、会社の寮の|賄婦《まかないふ》に聞かされて知っていた。だから、彼もちょうど女房が子供を生もうとしているところへ帰れるとは、最初から思っていなかった。
帰ってみたら、生まれていた。結構だ。生まれた子供は男の子だ。申し分ない。けれども、それにしても一と月半も前にというのは、いただけない。
きのう、というのなら、話はわかる。三日前、一週間前……半月前でも、いいとしよう。けれども、一と月半となると、これはいけない。いただけない。これでは予定日がなんのためにあるのかわからなくなる。
女の腹に子種が入ってから、それが赤ん坊になって生まれるまで、|十月十日《とつきとおか》というではないか。当然、この十月十日目が予定日のはずだ。それなのに、女房はなぜ十月十日で生まなかったのか。子供はなぜ十月十日で生まれてこなかったのか。
どうも、十月十日が気にかかる。女房も子供も、十月十日でないのが気に入らない。
彼が十月十日にこだわるのは、それなりの理由があるからで、というのは、まさしくいまから九カ月と十日前に、彼は年末年始の休暇でこの浜の家に帰っていたからだ。(会社の寮の賄婦によると、十月十日というのは足掛けの話で、実際は九カ月と十日で子供が生まれるのだということである。四人の子持ちの賄婦がそういうのだから、この説は信用しないわけにはいかない)
彼には、確信があった。女房が生む子はあのときの子に違いないのだ。ということは、まぎれもなく自分の子だということだ。彼はそう信じて疑わなかった。
ところが、予定日に合わせて帰ってきてみると、女房はもうとっくに生んでしまっている。彼は裏切られたような気がした。おなじ早く生まれるにしても、一と月半はひどすぎる。女房は九カ月と十日かかるところを、八カ月足らずで生んだことになる。
彼の確信はぐらつきはじめた。まさか——まさかそんなことはあるまいと思うが、女房の奴、俺の前に、誰かよその男の子供を宿していたのでは……。