七
男がサルベージ会社に雇われて浜を離れるとき、彼の女房は一緒についていきたいといって泣いた。会社では、妻を同伴しても構わないといっていたが、|生憎《あいにく》なことに、男の家には一昨年から中風で寝たきりの父親がいた。彼が女房を連れ出すと、父親の世話をする者が誰もいなくなってしまう。母親はもう十年も前に死んでいる。
女房は、どこへでも一緒についていきたいのは山々だが、それは気持だけのことで、実際に寝たきりの親を捨てて出ていくなんて、そんなことはとても自分にはできない、そのことはよくわかっているのだと、彼の胸に顔を埋めて泣きながらいった。よくわかってはいるのだけれど、それにしても夫のいない家で、話相手にもならない中風の男親の世話をしながら日を送らなければならないなんて、あまりにも寂しすぎるではないかといった。
そう訴えられるまでもなく、彼としても女房を可哀相だと思わないわけではなかったのだが、正直いって、潜水夫として、名の通った会社に腕を買われたこの機会をみすみす逃がしたくないという気持の方が強かった。
ここはひとつ、辛抱して貰わなければならない。いまの辛抱が結局将来のためになるのだと、彼は女房にいい聞かせた。これからの仕事は、海鼠採りに比べれば多少の危険はつきまとうが、それだけに報酬の方も海鼠採りとは比較にならない。ここ何年かの辛抱で、相当な貯金ができるはずである。それを元手にして自分の船を持ちたい。父親を病院へ預けられるようになるかもしれない。俺だって腕が立つうちに稼げるだけ稼いで置きたい。とにかく、ここ当分は辛抱がなによりも|肝腎《かんじん》だと、そんなことをいい聞かせてから、年末に帰るときの土産はなにがいいかと尋ねると、女房は、土産なんかは要らないから子供を生ませてほしいといった。
彼は、女房と一緒になってからもう三年になるが、まだ子供はいなかった。できないのではなくて、作らなかったのである。彼が女房を貰うと、まもなく父親が中風で倒れた。それ以来、女房はずっと父親の世話にかかりきりで、とても子供を生める余裕がなかったのだ。
けれども、本人が、病人と赤ん坊の世話はなんとかして自分でするから、生ませてほしい、せめて自分の子供でもいないことには、とても寂しさに耐えられそうもないというのであれば、承知するより仕方がなかった。なに、女に子供を生ませることは、女の土産を選んだりするより|遥《はる》かにお安い御用なのだ。
彼は、今年の正月休暇に、その約束を果した。数カ月して、女房から手紙で子供ができたと知らせてきた。出産予定日は九月の半ばだと書いてあった。彼は、子供が生まれるころには休暇を貰って帰ろうと思い、会社に申し出て許可を貰った。女房には手紙を書いて、子供が生まれても知らせる必要はない、危険な仕事をしているから、海中でふっと思い出して事故を起こしたりしてはいけない、そのうち休暇を貰って顔をみにいくからといってやった。
そうして、帰ってきてみると、このありさまである。子供は一と月半も前に生まれている。随分早かった、と彼が女房にそういうと、そうなの、随分早くて、びっくりした、と女房は笑った。そんなら早産かと思って、産婆のところへ礼にいったとき、それとなく生まれたときの様子を尋ねてみると、目方は三キロもあって元気のいい赤ん坊だったという。予定日より大分早く生まれたが心配ないだろうかと尋ねると、女の躯は複雑で、ひとによってもまちまちだし、予定日などというものは医者でもしばしば間違えるものだと産婆はいった。
けれども、予定日を間違えたといわれると困るのだ。女房が正常に子供を生んだとすれば、正月よりも何十日か前に、すでに子供を宿していたということになる。けれども、そのころは彼は家にはいなかったのだ。
彼は、自分の女房に、初めて疑いを抱いた。すると、これまでなにもかもわかっていたつもりの女房という女が、突然、霧に包まれたようにわからなくなってきて、彼は茫然とさせられた。女房の顔や素振りには、疑わしいふしが全くないことが、|却《かえ》って彼には無気味だった。
鬱々としているうちに、休暇が過ぎて、明日の朝はもうこの浜を発たねばならない。