五
そのときの女子高校生が、いまの六蔵の細君なのだが、しばらく忘れていたどもりが、この夏、不意にぶり返したのは、月遅れのお盆のとき、寺の墓地で、東京から墓参に帰ってきた高森をちらと見掛けたからである。
あ、高森だ。どもりがいる。会って話せばえらいことになる——そう思って、すたすたと足を早めたが、どもりとはなんと厄介なものだろう、そのときはすでに遅かったのだ。
「どうしたの? 急に急いだりして。」
細君にそういわれて、六蔵はつい、
「な、な、な、なんでもない。」
といって、立ち止まってしまった。
やられてしまった。昔のどもり仲間の顔をみただけで、やられてしまった。
——朝、目を醒ますと、まず深呼吸を一つしてから、
「お早うす。」
「お早うす。はい、よくできました。」
これでよし、と思う反面、直ってはぶり返し、また直ってはまたぶり返し——こんなことをいつまで繰り返さなければならないのだろうと思うと、六蔵はうんざりしないわけにはいかない。この分では、世の中にどもりがひとりもいなくならない限り、自分のどもりの完治はむつかしいのではないかという気さえする。
顔を洗い、食事を済ませて家を出ると、道を掃いている近所の細君たちにも、
「お早うす。」
と六蔵は大きな声で挨拶する。道で会う漁師にも、トラックの運ちゃんにも、|罐詰《かんづめ》工場の女工にも、「お早うす、お早うす。」
人には、なにかしら他人にはいえない悩みがあるものだが、六蔵にまさかそんな悩みがあるとは知らない近所の細君たちは、六蔵のことを、随分威勢のいい旦那さんだといっている。
「お早うす。」
「お早うす。はい、よくできました。」
これでよし、と思う反面、直ってはぶり返し、また直ってはまたぶり返し——こんなことをいつまで繰り返さなければならないのだろうと思うと、六蔵はうんざりしないわけにはいかない。この分では、世の中にどもりがひとりもいなくならない限り、自分のどもりの完治はむつかしいのではないかという気さえする。
顔を洗い、食事を済ませて家を出ると、道を掃いている近所の細君たちにも、
「お早うす。」
と六蔵は大きな声で挨拶する。道で会う漁師にも、トラックの運ちゃんにも、|罐詰《かんづめ》工場の女工にも、「お早うす、お早うす。」
人には、なにかしら他人にはいえない悩みがあるものだが、六蔵にまさかそんな悩みがあるとは知らない近所の細君たちは、六蔵のことを、随分威勢のいい旦那さんだといっている。