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シャドウテイカー 黒の彼方08

时间: 2020-03-27    进入日语论坛
核心提示:7「お前それさあ」話を聞き終えた佐貫《さぬき》が真顔で言った。「同棲《どうせい》か?」「声が大きいよ」裕生は慌ててあたり
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「お前それさあ」
話を聞き終えた佐貫《さぬき》が真顔で言った。
「同棲《どうせい》か?」
「声が大きいよ」
裕生は慌ててあたりを見回した。朝のホームルーム前で、教室はざわついている。二人の会話を聞いている生徒は誰《だれ》もいなかった。裕生は昨晩|雄一《ゆういち》が言い出したことについて、佐貫に相談《そうだん》していた。
「それで、親父《おやじ》さんも止めなかったのか?」
「止めなかった。『ああ、いいんじゃないか、俺《おれ》もそう思ってたぞ』だって。あの二人、似てるから考え方もどっかズレてるんだ。第一、雛咲《ひなさき》だってもう子供じゃないんだよ? もう高校一年なん」
あ、と裕生はそこで初めて気づいた。確かに葉とは兄妹《きょうだい》のように育ってきたが、もう小学生でも中学生でもないのだ。当人もそう思っているに違いない。血が繋《つな》がっていても、その年になれば兄弟を避《さ》けるはずだ。気軽に葉が藤牧《ふじまき》家に来なくなったのは、実はそのせいではないのだろうか。
「で、お前本当にあの子に『ぼくんち住まない?』なんて聞く気か? いくら幼馴染《おさななじみ》って言ったって、そんなこと聞かされたら引くだろ。ただの親切だなんて普通思わねえよ。絶対疑われるぞ。お前の陰謀《いんぼう》だとか、ドス黒い欲望だとか、性いてっ」
さすがの裕生《ひろお》も力をこめて佐貫の頭をはたいた。
「なに言ってんだよ! もともとぼくじゃなくて兄さんが言い出したんだよ?」
「それも言うつもりか? 『うわこの人、兄さんダシに使ってる。最悪』で終わりだな。二度と口きいてもらえねえよ」
裕生は気が重かった。佐貫が言うことはあながち間違っていない。そういう誤解《ごかい》を受ける可能性があるのは確かだった。せめて二、三日の心の準備期間が欲しいところだったが、「その手の話は早い方がいい。明日言っとけ」という父親の言葉でそんな期待も打ち砕かれた。
「良かった、元気みたいだね」
二人が振り向くと、みちるが立っていた。彼女はバッグを机に下ろし、二人のそばの椅子《いす》を引き寄せて座る。
「今朝《けさ》のニュースで見たけど、藤牧の住んでる団地で火事があったでしょう。大丈夫だった?」
ああ、と裕生は思った。結局、それで兄との話がなし崩《くず》しに終わってしまったのだ。
「うちからは離れた棟《とう》だったから大丈夫。でも、一人見つかってない人がいるみたいだけど」
「見つかってないって?」
「よく分からないけど……あれ?」
裕生《ひろお》は首をかしげる。考えてみれば、火事で行方《ゆくえ》不明というのもおかしな話だ。漠然《ばくぜん》と留守中に火事になったのだろうと思っていたが、いなくなった人が帰ってきたという話も聞いていない。
火が出たのはスーパーに近い棟の二階だった。集まった加賀見《かがみ》団地の住人たちが見守る中、消防署から次々と放水車やはしご車が到着して、消火にあたっていた。火の出た階はひどいことになっていたが、三十分ほどで消し止められている。
「どうかした?」
みちるが不思議《ふしぎ》そうに裕生の顔を覗《のぞ》きこんでいる。
「なんでもないよ」
「ふうん」
彼女は不審《ふしん》げな顔をしたが、すぐに話題を変えた。
「そういえば、英語のテストの話聞いた?」
「聞いてねえよ、多分《たぶん》」
と、佐貫《さぬき》が言った。
「三年生のテストの問題盗まれたかもしれないって話。前から似たような噂《うわさ》あったけど、今回はかなり怪しい人がいるんだって」
「盗むったって、どこから盗んでるんだ?」
「それはよく分かってないみたいだけど、先生たちが今回は本気で調べてるみたい。卒業した人たちにまで聞きこみしてるって言うから、見つかったらかなりマズイんじゃないの」
裕生は上の空で二人の話を聞いていた。後で葉《よう》と会わなければならない。学校にちゃんと来ているんだろうか、と彼は思った。
 昼休み、裕生は旧校舎にある茶道《さどう》部の部室の前に立っていた。
葉のクラスに行ったのだが、彼女はいなかった。近くのクラスメイトをつかまえると「茶道部の部室に行ったかもしれない」という返事だった。裕生は引き戸に手をかけたまま、固まっていた。
「……あれ?」
どうしてわざわざ学校で言わなければならないのか。裕生の説得が一番効果がある、というのが確かだとしても、別に二人きりで話す必要は全くなかった。そもそも発案者は兄なのだ。すぐ近くに住んでいるのだから、雄一《ゆういち》と一緒に葉のうちを訪ねるか、彼女をうちへ呼んで話せばいいだけである。
(……よし)
雄一《ゆういち》の思いつきに無理矢理《むりやり》つき合わされているようで、もともと不愉快《ふゆかい》だった。夕方にまた話そう、と思ってその場を離れかけた時、
「誰《だれ》かいるの?」
部室の中から女の声が聞こえた。葉《よう》の声ではない。裕生《ひろお》はほっとしてドアを開けた。
「あ、なんだ。裕生くんじゃない。なかなか入ってこないから誰かと思っちゃった」
「先輩《せんぱい》か。よかった」
畳の上で、前の部長の志乃《しの》が弁当箱を広げている。人の上に立つタイプではないが、後輩の面倒《めんどう》をよく見ていた。裕生の周辺では珍しく、さほどクセのない常識《じょうしき》的な人間だった。
「よかったってなにが?」
志乃は微笑《ほほえ》んだ。
「えー、なんでもないです。雛咲《ひなさき》、来ました?」
「葉ちゃん、ここに来るの?」
一瞬《いっしゅん》、裕生はかすかに志乃が表情を曇《くも》らせた気がした——見間違いだろうだと思った。裕生の知る限り、葉と志乃は仲が良かった。
「いや、よく分からないんですけど」
裕生は部室に入った。ここに用事があったわけではないのだが、いきなり立ち去るのも不自然だった。彼は何となく壁《かべ》に貼《は》られている「歴代部長」の写真を見上げる。兄の写真はあまり見たくなかったので、主にその隣《となり》の「二代目部長・西尾《にしお》夕紀《ゆき》」の写真を見ていた。妹のみちるとはあまり似ていない。柔らかい笑みを浮かべている、きれいな女子生徒だった。
「部長の引き継《つ》ぎしてから、部会ってまだやってないのよね」
と、志乃が尋《たず》ねてきた。
「来週はやりますよ。でも、部員って言ってもぼくと雛咲しかいないし、改まって部会やるほどじゃない気もしますけど」
ふと、例の「同居」の話を思い出した。万が一、一緒《いっしょ》に住むようになった場合、本当に部会も意味がなくなる。毎日部会みたいなものだ。
「ごめんね、部長やらせて」
「なんの話ですか?」
「もともと裕生くんって、西尾先輩につられて入部しただけでしょ? 私、知ってるよ」
裕生の顔にかすかな動揺が走る。彼が入部した時、部長をしていたのはみちるの姉の夕紀だった。彼は写真から目をそらして、志乃から表情を見られないようにさりげなく背を向けた。
「そんなことないですよ。なりゆきみたいな感じで」
「へえ、そうかなあ。西尾先輩なら憧《あこが》れるのも当たり前だと思うけど」
誰にも話したことはなかったが、初めて「気になった」のがこの西尾夕紀だった。告白するとか、そういう風に考えたことはない。志乃《しの》の言うとおり憧《あこが》れに近いものだった、と思う。
「まあ、葉《よう》ちゃんには言わないでおいてあげる」
「……なんで雛咲《ひなさき》が出てくるんですか?」
志乃はちょっと目を瞠《みは》ったが、なにも言わなかった。彼女は裕生《ひろお》に近づいてきて、「歴代部長」ギャラリーの前に並んで立つ。
「この二人と一緒《いっしょ》に自分の写真が並んでるのって、変な感じ」
と、彼女は言った。裕生の目からは、雄一《ゆういち》の写真が一番異様に見えるのだが、それは言わないことにした。志乃は手を伸ばして、「二代目部長」の夕紀《ゆき》の写真に触れる。
「わたしね、西尾《にしお》先輩《せんぱい》みたいな人になりたいと思ってたんだ。頭がよくて、美人だし、誰《だれ》にでも優《やさ》しいし。仲良くなっていくのが嬉《うれ》しい人ってあまりいないんじゃないかな」
志乃が自分のことを話すのは珍しい。普段《ふだん》は聞いてもあまり答えないのだった。
「わたし、そういう人になりたいと思ってた。外見は限度があるけど、そういう性格になりたいと思ったの。だから、葉ちゃんが入ってきた時、すごく嬉しかった。葉ちゃんって可愛《かわい》いし、なんか放っておけないところあるでしょう。ほんとにすごくいい子だと思う。わたし、葉ちゃん好きよ」
裕生は妙なことに気づいた。言葉では誉《ほ》めているのに、志乃の口はだんだん重くなっていった。なんだか、自分に言い聞かせているようだった。
「無口だけど裏表がないし、それに……先輩思いで……」
そこで志乃の言葉は完全に止まってしまった。ひどく思いつめた表情をしている。
「先輩?」
はっと志乃は我に返ったようだった。彼女は裕生に笑顔を向けた。
「ところで、なんで藤牧《ふじまき》先輩は茶道《さどう》部作ったんだろうね。聞いたことある?」
「それだけは絶対口割らないんですよ。何考えてるか分からない人ですから。今もこの都市伝説の研究とか言って、大学休んで近所の団地の中高生に話聞いて回ってます」
「藤牧先輩も、すごくいい人だよね。変わってるかもしれないけど」
「……」
裕生にとって雄一は「いい人かもしれないけど、すごく変わってる」のだが、あえて口には出さなかった。
「前から聞こうと思ってたけど、先輩って無遅刻無欠席だったでしょう。成績《せいせき》もあんなに良かったのに、どうして推薦《すいせん》入試受けなかったのかな」
裕生はふう、とため息をついた。
「うちの兄さん、高校入ったばっかりの時に無期停学になったから」
「え? それ本当だったの? ただの噂《うわさ》じゃなくて?」
「本当です。人んちのバイク盗んで走ってて、コンビニの窓に突っ込んだところで警察《けいさつ》に現行犯でつかまりました」
志乃《しの》はぽかんと口を開けて、裕生《ひろお》の顔を見ていた。
「で、停学明けに茶道《さどう》部を作ったらしいです」
「……すごいね。よく分からないけど」
「ぼくも分かりません」
雄一《ゆういち》がごたごたしていた時期に、ちょうど裕生は病院のベッドにいた。裕生に心配をかけまいと思ったのか、父も詳《くわ》しい事情を話さなかったが、雄一はほとんど家に帰っていなかったらしい。初めて雄一が見舞《みま》いに来たのは、裕生の手術が終わってすぐの頃《ころ》だった。麻酔《ますい》が覚めきらず、朦朧《もうろう》とした意識《いしき》の中で、これからはマジメにやる、という力強い宣言も聞いた気がする。警察《けいさつ》に捕まって反省したのかもしれないと思っていたが、よくよく考えれば今も昔もそんなに素直な性格ではない。そのあたりの事情もはっきりしないのだった。
「先輩《せんぱい》は推薦《すいせん》入試受けるんですよね」
「うん。ぎりぎりだけどね」
裕生は素直に感心していた。推薦入試を受ける生徒は、在学中の成績《せいせき》をまんべんなく保たなければならない。一般入試の一発勝負に賭《か》ける生徒と違って、テストもいつもきちんと受けなければならなかった。
「あ、そうだ。知ってます? 三年のテストの問題盗んだ人がいるかもって話」
また、微妙に志乃の表情が変わる。まただ、と裕生は思う。さっきからなんだか失言を繰り返している気がする。
「……知らない」
「そうですか」
わけが分からなかったが、話題を変えた方がいいかもしれない。
「あ、そうだ。雛咲《ひなさき》、最近変じゃないですか?」
「……」
「中間のテストも受けなかったっていうし、なんとなく様子《ようす》が普段《ふだん》と違うっていうか。ぼくが聞いても答えないし、良かったら、先輩から」
「ダメ」
強い口調だった。裕生は思わず志乃を見る。
「え?」
「葉《よう》ちゃん、わたしにはそういうこと言うかどうか分からないし。裕生くんが聞いた方がいいと思うけど」
裕生は相手の目の奥に、今まで見たことのない感情がわだかまっている気がした。今度こそ本当に地雷《じらい》を踏《ふ》んでしまったのかもしれない。しかし、志乃の様子はおかしい——さすがの裕生も口を開いた。
「先輩《せんぱい》、なんか」
あったんですか、と言いかけた時、ドアが開いて葉《よう》が入ってきた。
 一瞬《いっしゅん》、裕生《ひろお》は退路を探したい欲求にかられた。
「……こんにちは」
葉は志乃《しの》と裕生の二人に挨拶《あいさつ》した。三人でいれば例の話を切り出す機会もないだろう、と裕生が思っていると、
「わたし、用事があるから行かないと。ここの戸締《とじま》りしておいてね」
志乃はそう言い、荷物をまとめて部室を出て行こうとする。葉は不思議《ふしぎ》そうにその背中を見送っていたが、ふと我に返ったように声をかけた。
「飯倉《いいくら》先輩」
ドアのところに立っていた志乃は、ゆっくりと振り向く。裕生はさっき志乃の顔をよぎった表情がなんなのか分かった気がした。
恐怖だった。
しかし、何故《なぜ》志乃が葉に怯《おび》えている必要があるのか、さっぱり分からなかった。見間違いだろうと思った。
「……あの」
首をかしげながら、葉は志乃の方へ一歩近づく。一瞬《いっしゅん》、後ずさりをしかけた志乃は、自分を無理矢理《むりやり》奮《ふる》い立たせるように、ぎこちなく葉に近寄った。
「あ、そうだ。これ、例の頼まれてたもの」
彼女は紙袋を葉の手に押しつけるようにする。そして、答える間も与えずに廊下《ろうか》へ小走りに出て行った。
裕生は「じゃあぼくも」と言い出すタイミングを失って、気がつくと部室の中に葉と二人っきりになっていた。葉は紙袋を開いて、中を覗《のぞ》きこんでいる。大きさからすると、雑誌か大きめの薄《うす》い本が入っているように見える。
「えーと、それなに?」
裕生が言うと、葉はばっと袋を閉じて中を隠《かく》した。一瞬のことでよく分からなかったが、『基本のおかず百科』という題名がちらりと見えた気がする。料理の本だろう。そういえば、葉は前々からあまり料理が得意ではないはずだ。
そういえば、葉はテストの最終日に志乃から借りるものがあると言っていた。だとすると、あの日、葉はそのためにわざわざ学校へ来たのかもしれない。
「雛咲《ひなさき》、最終日の中間テスト、受けてないって本当?」
「全部、受けてません」
「なにかあったの?」
「……具合が悪くて、うちにいました」
「そう」
葉《よう》は裕生《ひろお》の顔を見上げている。二人の視線が正面からぶつかった。ほんの少し茶色がかった瞳《ひとみ》が大きく見開かれていた。なんとなく子供っぽいと思っていたが、こうして見ると立派に十五歳の女の子だった。裕生とは一歳しか違わないのだから、考えてみれば当たり前である。
「そういえば、昨日火事があった時、雛咲《ひなさき》、どこに行ってたの」
「え?」
彼女は目を瞠《みは》った。
「昨日ベランダから見てたんだけど、雛咲がどこかに歩いてったから」
「……ちょっと用事があったんです」
「火事の最中に?」
葉は答えなかった。別に家の近くで火事があったからといって、用事で出かけてはいけないというわけではないが、なんとなく不思議《ふしぎ》な気がした——火事の現場から、離れようとしているように見えたからだと思う。
「まあ、それはいいんだけど。すごい火事だったよね」
「……」
このまま別の話を続けて、様子《ようす》を見て出て行ってしまおうと裕生は思った。例の話はまた別の機会にしよう——と、思いかけた時、
「用はなんですか?」
「は?」
裕生はぎょっとした。
「さっきクラスに帰ったら、先輩《せんぱい》が探してたって聞きました」
裕生は今度こそ完全に退路が断たれたのを悟った。
「ひ、雛咲はどこに行ってたの? 部室にいるって聞いたんだけど」
「柿崎《かきざき》先生と話してました」
柿崎は英語の教師で、茶道《さどう》部の顧問《こもん》でもあった。
「追試、受けなきゃいけないから」
「あ、そうか」
沈黙《らんもく》。言葉では急《せ》かさなかったが、裕生の話を待っているのは明らかだった。焦《じ》らしすぎると、かえってよこしまな気持ちを持っているように取られるかもしれない。裕生は覚悟を決めた。
「兄さんが言ってたんだけど、良かったらうちに住まない?」
さらっと言えたけれど、いきなりすぎたかもしれないと思った。
「……え」
かなり葉《よう》は衝撃《しょうげき》を受けたらしい。そう言ったまま動かなくなってしまった。裕生《ひろお》はとたんに不安になってきた。
「えーと、あのさ、兄さんが急に変なこと言い出して、なんか雛咲《ひなさき》が一人で住んでるのが心細いんじゃないかって……別に心細いのが変じゃないんだよ? それで、兄さんが使ってた部屋が空《あ》いてるし、もし良かったらそこに引っ越したらどうかって。それで兄さんがうちの父さんに聞いたんだけど、全然構わないって言うし」
あれだけ雄一《ゆういち》に不満を感じていながら、いざ話を切り出してみると、「兄さんが」「兄さんが」と繰り返しているのが我ながら情けなかった。
「あ、もちろん、別に無理《むり》にとかそういう話じゃないよ」
葉は相変わらず固まったままだった。なんとなく無言の怒りを発しているようにも見える。
朝の佐貫《さぬき》との会話が頭をよぎった。
「…………先輩《せんぱい》のうち、ですか?」
葉は絞《しぼ》り出すような声で言い、顔を伏せる。なにを想像しているのか知らないが、頬《ほお》が赤くなっているような気がした。
「…………先輩と」
ほとんど聞き取れないほどの声で、葉は呟《つぶや》いた。裕生は彼女の顔をよく見ようとする。彼女はますます赤くなって顔をそむけた。
「あの……別に今すぐ答えなくてもいいんだけど。ゆっくり考えて」
「無理です」
即答だった。相変わらず彼女は俯《うつむ》いたままだ。ある意味で予想通りの答えではある。しかし、この安堵《あんど》と落胆《らくたん》が入り混じった奇妙な感情はいったいなんだろう。
「……そ、そうだよね。ごめんね兄さんが変なこと言い出しちゃって。そりゃイヤだよね」
「ちが……」
彼女ははっと顔を上げた——その瞬間《しゅんかん》、裕生の首筋《くびすじ》の毛がぞわっと逆立った。なにか奇妙な唸《うな》り声のようなものを聞いた。彼は思わず一歩下がって、部室の中を見回す。自分たちの他《ほか》に誰《だれ》かがいるような、そんな気がした。
「やっぱりいやです」
葉は固い声ではっきり言った。
裕生は真剣な面持《おもも》ちで、改めて葉を見る。たった今まで感じていた緊張《きんちょう》感など、もうどうでもよくなっていた。彼の視線は彼女の顔から体へとゆっくりと動いて、やがて床の上で止まる。
彼女の足元には丸い影《かげ》があった。
「ごめんなさい。でもわたし、一人でも大丈夫ですから」
突然、葉は裕生に背を向けた。
「雛咲?」
呼び止めた声が聞こえなかったように、彼女は部室を飛び出していった。慌てて後を追ったが、廊下《ろうか》にはもう彼女の姿はなかった。
(嘘《うそ》、だったよな)
きっぱりと拒絶されたことで、かえって裕生《ひろお》は疑問を抱いた。昨日、部室で感じた違和感も、ただの勘違《かんちが》いではない気がする。なにかが起こっているような胸騒《むなさわ》ぎがした。
それがなんなのか、はっきり分からない。しこりのような不安だけが残った。
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