「うおおおおおお!」
四畳半の方から突然兄の野太《のぶと》い声が聞こえて、キッチンで料理をしていた裕生《ひろお》は飛び上がった。なんとなく歓喜《かんき》の雄叫《おたけ》びのようにも聞こえたが、いずれにせよとんでもないことが起こったに違いない。
慌ててキッチンを出て、四畳半のふすまを開ける——しかし、そこにはあぐらをかいて腕組みをしている兄がいるだけだった。畳の上に置かれたノートパソコンのモニタを、真剣な表情で見つめている。
「今の声、なに? なんかあったの?」
雄一《ゆういち》は裕生《ひろお》が近づくと同時にモニタをぱたんと閉じてしまった。人に見られたくないものでも見ていたのかもしれない。
「いや……ただ喜んでりゃいいってこっちゃねえな。俺《おれ》にも話を聞いた責任ってもんがあんだしよ」
「は?」
ふと、雄一は裕生を見上げた。
「お前、誰《だれ》かに秘密を打ち明けられたことってあるか」
「え?」
「まわりにいるヤツの秘密だよ。そう簡単《かんたん》に人には言えねえようなことだ」
そう言われて、裕生は葉《よう》のことを思い出した。あの「黒の彼方《かなた》」——あれは葉と裕生だけの「秘密」のようなものだ。他《ほか》の誰にも知られてはならない。
「あると思う、けど」
「そういう時、お前ならどうするよ」
裕生は戸惑《とまど》った。質問の意図《いと》が分からない。ただ、葉との秘密のことなら、答えはもう決まっている。
「自分のできることで、その人の力になろうとする……かな」
沈黙《ちんもく》が流れた。雄一は珍しいものでも見るように目を瞠《みは》っている。
「どうしたの?」
「いや、お前の方こそどうしたんだ。なんか俺と喋《しゃべ》ってるみてえだぞ」
裕生は顔をしかめないように努力しなければならなかった——それは誉《ほ》め言葉なのだろうか。雄一は何度も深く頷《うなず》いている。
「ま、そうだよな。そういうことだ……晩メシ、まだか?」
「まだだよ。できたら呼ぶから」
キッチンに戻りながら、裕生は葉のことを考えていた。夕食を食べに来ることになっている。食事の時にでも、よかったら自分たちと一緒《いっしょ》に住まないか聞いてみるつもりだった。今度は雄一ではなく、自分の提案として。
葉の秘密が自分になにをもたらすのか、裕生にも分からない。しかし、彼女と一緒にいるつもりだった。
いつでも彼女の力になるために。