「くろのかなた」
黒い海がありました。
海のむこうにちいさな島があります。その島には、女の子がすんでいました。
気がついたときから、女の子はずっとひとりだったので、名前がありませんでした。
だから、コトバも知りませんでした。
ある日、海のむこうから砂浜にいままで見たこともないものが流れつきました。
それは、
見たことがないものなので、女の子にはなんだか分かりませんでした。
サカナでもケモノでもトリでもありませんでした。
女の子が近づいていくと、そのなにかはきゅうに声をあげました。
女の子はおどろいてにげてしまいました。
かみつかれるかと思ったのです。
だけど、ほんとうはそうではありませんでした。
そのなにかは、女の子を呼んでいたのです。
海のむこうにちいさな島があります。その島には、女の子がすんでいました。
気がついたときから、女の子はずっとひとりだったので、名前がありませんでした。
だから、コトバも知りませんでした。
ある日、海のむこうから砂浜にいままで見たこともないものが流れつきました。
それは、
見たことがないものなので、女の子にはなんだか分かりませんでした。
サカナでもケモノでもトリでもありませんでした。
女の子が近づいていくと、そのなにかはきゅうに声をあげました。
女の子はおどろいてにげてしまいました。
かみつかれるかと思ったのです。
だけど、ほんとうはそうではありませんでした。
そのなにかは、女の子を呼んでいたのです。
そのなにかは、砂浜でくらすようになりました。
さいしょはこわかったけれど、女の子はそのうちになれていきました。
近づいていくと、そのなにかは話しかけてきました。
それはいままで聞いたことのない、いろいろなしゅるいの声でした。
女の子はおもしろがって、その声をまねるようになりました。
女の子は知りませんでしたが、それがコトバというものでした。
さいしょはこわかったけれど、女の子はそのうちになれていきました。
近づいていくと、そのなにかは話しかけてきました。
それはいままで聞いたことのない、いろいろなしゅるいの声でした。
女の子はおもしろがって、その声をまねるようになりました。
女の子は知りませんでしたが、それがコトバというものでした。
流れついたなにかは、女の子にコトバをおしえました。
女の子は星や木や魚の名前をおぼえ、
日に日にかしこくなっていきました。
だけど、ひとつだけどうしても分からないものがありました。
自分がだれなのか、分からなかったのです。
女の子は星や木や魚の名前をおぼえ、
日に日にかしこくなっていきました。
だけど、ひとつだけどうしても分からないものがありました。
自分がだれなのか、分からなかったのです。
彼女にコトバを教えたものは、困ってしまいました。
いろいろな名前を知って、
女の子は世界のことをもうたくさんわかっていました。
だけど、自分の名前がその中にはなかったので、
おぼえたことは、自分とはかんけいがないことで、
自分には行けない場所のことだと思っていたのです。
いろいろな名前を知って、
女の子は世界のことをもうたくさんわかっていました。
だけど、自分の名前がその中にはなかったので、
おぼえたことは、自分とはかんけいがないことで、
自分には行けない場所のことだと思っていたのです。
コトバをおしえた者は、女の子のために舟をつくりました。
すべてのじゅんびを終わらせて、女の子のところへ行きました。
この島から出ていきましょう。
けれど、女の子はくびをかしげるだけでした。
わたしには名前がないから、
ほかの場所にはいきません。
誰《だれ》からもよばれなければ、ここにいてもおなじだもの。
すべてのじゅんびを終わらせて、女の子のところへ行きました。
この島から出ていきましょう。
けれど、女の子はくびをかしげるだけでした。
わたしには名前がないから、
ほかの場所にはいきません。
誰《だれ》からもよばれなければ、ここにいてもおなじだもの。
コトバを教えたものはいいました。
あなたには名前がなかった。
だから、自分が誰なのかを知らない。
あなたに名前がなかったら、わたしが名前を差し上げます。
あなたは黒い海に浮かぶ、小さな島の守り人。
黒い海のかなたにいる者
だから、あなたのなまえは
あなたには名前がなかった。
だから、自分が誰なのかを知らない。
あなたに名前がなかったら、わたしが名前を差し上げます。
あなたは黒い海に浮かぶ、小さな島の守り人。
黒い海のかなたにいる者
だから、あなたのなまえは
くろのかなた
そのとたん、女の子ははじめて気がつきました。
いままでおしえてくれたコトバが、
この世界のことだったということを。
自分もまた、その世界のなかにいるということを。
そして、いままでずっとコトバを教えてくれたのが、
自分とおなじ、人間であること、
そして、同じ年ごろの男の子だと知りました。
男の子ののった舟はあらしにあい、ひとりでこの島へながれついたのでした。
男の子は、女の子にいいました。
この海のむこうに、世界があります。
ぼくといっしょにいきましょう。
女の子はうなずきました。
いままでおしえてくれたコトバが、
この世界のことだったということを。
自分もまた、その世界のなかにいるということを。
そして、いままでずっとコトバを教えてくれたのが、
自分とおなじ、人間であること、
そして、同じ年ごろの男の子だと知りました。
男の子ののった舟はあらしにあい、ひとりでこの島へながれついたのでした。
男の子は、女の子にいいました。
この海のむこうに、世界があります。
ぼくといっしょにいきましょう。
女の子はうなずきました。
二人は舟にのって、小さな帆をはりました。
それから、黒い海へと出ていきました。
……
それから、黒い海へと出ていきました。
……
*
夕暮れの迫る部屋の中で、葉《よう》は古いノートを閉じる。書いてあることは、見なくともすべて暗記している。しかし、裕生《ひろお》の丁寧《ていねい》な字を眺めているのが好きだった。
ノートがぼろぼろになっているのは、彼女がなんども繰り返して読んできたことを示している。四年前、みちるが病室で読んでいたこのノートを取り返した時は、ちゃんと裕生に返すつもりだった。でも、中身を繰り返し読むうちに、どうしても手放すことができなくなった。
本当はこの先も続く物語のような気がする。しかし、今さら続きを書いてほしいと言うわけにも行かない——ノートはなくなったことになっているのだから。
彼女は自分の部屋の中を見回す。もちろん誰《だれ》もいないのだが、そうせずにはいられないほど、彼女にとっては大きな秘密だった。
そろそろ裕生が呼びに来る頃《ころ》だ。今日は夕食に呼ばれている。
彼女は黒いアタッシュケースにノートをしまう。父親の残していったもので、この家にある鍵《かぎ》のかかる入れ物はこれだけだった。
ノートの他《ほか》にはなにも入っていない。たったひとつの宝物だった。
彼女はアタッシュケースを閉じて、しっかりと鍵をかけた。
ノートがぼろぼろになっているのは、彼女がなんども繰り返して読んできたことを示している。四年前、みちるが病室で読んでいたこのノートを取り返した時は、ちゃんと裕生に返すつもりだった。でも、中身を繰り返し読むうちに、どうしても手放すことができなくなった。
本当はこの先も続く物語のような気がする。しかし、今さら続きを書いてほしいと言うわけにも行かない——ノートはなくなったことになっているのだから。
彼女は自分の部屋の中を見回す。もちろん誰《だれ》もいないのだが、そうせずにはいられないほど、彼女にとっては大きな秘密だった。
そろそろ裕生が呼びに来る頃《ころ》だ。今日は夕食に呼ばれている。
彼女は黒いアタッシュケースにノートをしまう。父親の残していったもので、この家にある鍵《かぎ》のかかる入れ物はこれだけだった。
ノートの他《ほか》にはなにも入っていない。たったひとつの宝物だった。
彼女はアタッシュケースを閉じて、しっかりと鍵をかけた。