天内《あまうち》茜《あかね》はドアを開ける。
「ただいま」
答えはない。3LDKのマンションは静まり返っていた。ラメの入ったオレンジ色の派手《はで》なサンダルを放り出すように脱ぎ、玄関から廊下へ上がる。
明るい色のミニのワンピースから長い素足《すあし》が伸びている。サンダルと同じ色の帽子を脱いで、疲れきった足を引きずるようにして、リビングの方へ歩いていく。きれいにカールした明るい色のロングヘアが額《ひたい》にかかる。茜《あかね》は無表情のまま、少し唇を突き出してふっと息を吹きかける。
きちんとしたメイクや派手《はで》めの服のおかげで、大人《おとな》っぽく見られることが多いが、先月十八歳の誕生日《たんじょうび》を迎えたばかりだった。それもそういうファッションが好きというだけではなく、その方が外を歩いていても警察《けいさつ》に呼び止められることが少ないからだ。
このところ、学校には行っていない。クラスの友達とも全然連絡を取っていなかった。それよりもずっと大事なことがあるからだ。
リビングの手前にはキッチンがある。
(ママのキッチン)
彼女は心の中で呟《つぶや》き、リビングへのガラス戸を開ける。
(パパのリビング)
ソファのそばのサイドボードに、ファックスつきの電話が置かれている。着信を示す赤いランプが点滅していた。トレイの上に一枚の用紙が置かれている。彼女は紙を手にとってそれを見て——しばらくの間、身じろぎもせずに立っていた。
それから、紙を手にしたままのろのろと向きを変え、再び廊下へ出る。そして、一枚のドアの前に立ち止まる。ノブを握りしめた手が小刻みに震《ふる》えていた。そして、ゆっくりとドアを開ける。
小さな洋間だった。ベッドと机とクローゼットがある。出窓にはふくろうのような形をした青い鳥のぬいぐるみが並んでいる。
(小夜《きよ》の部屋)
彼女は声に出さずに呟《つぶや》く。彼女の妹の部屋だった。茜は目を閉じて、深く息を吸う。ほんの二ヶ月前も、こうしてドアを開けてフローリングを見下ろしていた。
床の上には、白いテープで描かれた人型が残っていた。
フローリングにはまだかすかに血がこびりついている。
(小夜の死んだ部屋)
茜は両手で顔を覆《おお》う。彼女の口から嗚咽《おえつ》がもれた。妹はまだ中学三年だというのに、助けられなかった。考えられないようなひどいことをされて死んでいった。
(ママの死んだキッチン、パパの死んだリビング)
泣きつづけている彼女の足元には、さっきリビングから持ってきたファックスが落ちている。そこには左手で書いたような太い文字がのたうっていた。
「ただいま」
答えはない。3LDKのマンションは静まり返っていた。ラメの入ったオレンジ色の派手《はで》なサンダルを放り出すように脱ぎ、玄関から廊下へ上がる。
明るい色のミニのワンピースから長い素足《すあし》が伸びている。サンダルと同じ色の帽子を脱いで、疲れきった足を引きずるようにして、リビングの方へ歩いていく。きれいにカールした明るい色のロングヘアが額《ひたい》にかかる。茜《あかね》は無表情のまま、少し唇を突き出してふっと息を吹きかける。
きちんとしたメイクや派手《はで》めの服のおかげで、大人《おとな》っぽく見られることが多いが、先月十八歳の誕生日《たんじょうび》を迎えたばかりだった。それもそういうファッションが好きというだけではなく、その方が外を歩いていても警察《けいさつ》に呼び止められることが少ないからだ。
このところ、学校には行っていない。クラスの友達とも全然連絡を取っていなかった。それよりもずっと大事なことがあるからだ。
リビングの手前にはキッチンがある。
(ママのキッチン)
彼女は心の中で呟《つぶや》き、リビングへのガラス戸を開ける。
(パパのリビング)
ソファのそばのサイドボードに、ファックスつきの電話が置かれている。着信を示す赤いランプが点滅していた。トレイの上に一枚の用紙が置かれている。彼女は紙を手にとってそれを見て——しばらくの間、身じろぎもせずに立っていた。
それから、紙を手にしたままのろのろと向きを変え、再び廊下へ出る。そして、一枚のドアの前に立ち止まる。ノブを握りしめた手が小刻みに震《ふる》えていた。そして、ゆっくりとドアを開ける。
小さな洋間だった。ベッドと机とクローゼットがある。出窓にはふくろうのような形をした青い鳥のぬいぐるみが並んでいる。
(小夜《きよ》の部屋)
彼女は声に出さずに呟《つぶや》く。彼女の妹の部屋だった。茜は目を閉じて、深く息を吸う。ほんの二ヶ月前も、こうしてドアを開けてフローリングを見下ろしていた。
床の上には、白いテープで描かれた人型が残っていた。
フローリングにはまだかすかに血がこびりついている。
(小夜の死んだ部屋)
茜は両手で顔を覆《おお》う。彼女の口から嗚咽《おえつ》がもれた。妹はまだ中学三年だというのに、助けられなかった。考えられないようなひどいことをされて死んでいった。
(ママの死んだキッチン、パパの死んだリビング)
泣きつづけている彼女の足元には、さっきリビングから持ってきたファックスが落ちている。そこには左手で書いたような太い文字がのたうっていた。
「お前の家族を皆殺しにした者は、東桜《とうおう》大学にいる」
そして、その後に三角形を二つ組み合わせたマークが描かれていた。
そのマークの意味は分からない。しかし、彼女には確信《かくしん》があった——これは犯人から来たメッセージだ。家族が「皆殺し」にされたことを知っているのは、彼女と犯人だけだ。
「……殺してやる」
こわばった指と指の間から、低い彼女の声が洩れる。
「ボルガ」
茜《あかね》が呼びかけると、足元の影《かげ》が突然濃《こ》くなった。一陣の風とともに、一羽の大きな鳥が影の中から飛び出して彼女の背中に留まる。
それは大きく翼《つばさ》を広げる。彼女自身の背中に黒い翼が生《は》えたようだった。
「行くよ、ボルガ」
ボルガ、と呼ばれた鳥はその言葉に答えるように、かすかに翼を震《ふる》わせる。もはや自分がただの人間ではないことを、茜は自分でも分かっていた。彼女は常にこの怪物とともにある。
そして家族が殺されて以来、彼女にとって何よりも大切なこと——彼女のねがい。
それは復讐《ふくしゅう》だった。
そのマークの意味は分からない。しかし、彼女には確信《かくしん》があった——これは犯人から来たメッセージだ。家族が「皆殺し」にされたことを知っているのは、彼女と犯人だけだ。
「……殺してやる」
こわばった指と指の間から、低い彼女の声が洩れる。
「ボルガ」
茜《あかね》が呼びかけると、足元の影《かげ》が突然濃《こ》くなった。一陣の風とともに、一羽の大きな鳥が影の中から飛び出して彼女の背中に留まる。
それは大きく翼《つばさ》を広げる。彼女自身の背中に黒い翼が生《は》えたようだった。
「行くよ、ボルガ」
ボルガ、と呼ばれた鳥はその言葉に答えるように、かすかに翼を震《ふる》わせる。もはや自分がただの人間ではないことを、茜は自分でも分かっていた。彼女は常にこの怪物とともにある。
そして家族が殺されて以来、彼女にとって何よりも大切なこと——彼女のねがい。
それは復讐《ふくしゅう》だった。