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『あんまり気にすることねえんじゃねえか』
と、電話の向こうで佐貫《さぬき》だった。
「でも、あいつが意味もなくぼくになにか教えてくれるなんて思えないんだよ」
裕生《ひろお》はベランダの隅にうずくまって、携帯で電話している。小声で話しているのは、部屋にいるはずの葉《よう》に聞かれないためだった。
彼が話しているのは、昨日の晩|天明《てんめい》が言ったことについてだった。裕生が使ったカゲヌシの毒は、「黒の彼方《かなた》」の血から作られたかもしれない、という話だった。
『そうだとしても、俺《おれ》たちのやろうとしてることになんか影響《えいきょう》するわけじゃないだろ』
確《たし》かにその通りだった。あまり気にする必要はないのかもしれない。
『それが本当だとすると、『黒の彼方』っていうのは他《ほか》のカゲヌシとは体の造りとかも全然違うってことになるよな』
「うん。そうだね」
前にアブサロムも「黒の彼方」はカゲヌシの階位からはずれた存在だと言っていた。
『でも、『黒の彼方』の血だったら、お前が会ったっていうレインメイカーだったか? そいつはどうやって手に入れたんだろうな。それも分からないんだろ?』
「……うん」
彼の存在もよく分からない。人間なのかどうかもはっきりしないし、彼の口にした言葉もよく分からなかった。特に「ドッグヘッド」というあの言葉が、裕生には気になっていた。黒の彼方を倒すためには首を切れ、という意味に取れたが、なんとなく他の意味もあるような気がした。
『今のところ、そっちはうまくいってるんだろ?』
と、佐貫が言った。
「うん。多分、気が付かれてないと思う」
『俺の方も例のものはうまくいったから。じゃあ、後でな』
と、電話の向こうで佐貫《さぬき》だった。
「でも、あいつが意味もなくぼくになにか教えてくれるなんて思えないんだよ」
裕生《ひろお》はベランダの隅にうずくまって、携帯で電話している。小声で話しているのは、部屋にいるはずの葉《よう》に聞かれないためだった。
彼が話しているのは、昨日の晩|天明《てんめい》が言ったことについてだった。裕生が使ったカゲヌシの毒は、「黒の彼方《かなた》」の血から作られたかもしれない、という話だった。
『そうだとしても、俺《おれ》たちのやろうとしてることになんか影響《えいきょう》するわけじゃないだろ』
確《たし》かにその通りだった。あまり気にする必要はないのかもしれない。
『それが本当だとすると、『黒の彼方』っていうのは他《ほか》のカゲヌシとは体の造りとかも全然違うってことになるよな』
「うん。そうだね」
前にアブサロムも「黒の彼方」はカゲヌシの階位からはずれた存在だと言っていた。
『でも、『黒の彼方』の血だったら、お前が会ったっていうレインメイカーだったか? そいつはどうやって手に入れたんだろうな。それも分からないんだろ?』
「……うん」
彼の存在もよく分からない。人間なのかどうかもはっきりしないし、彼の口にした言葉もよく分からなかった。特に「ドッグヘッド」というあの言葉が、裕生には気になっていた。黒の彼方を倒すためには首を切れ、という意味に取れたが、なんとなく他の意味もあるような気がした。
『今のところ、そっちはうまくいってるんだろ?』
と、佐貫が言った。
「うん。多分、気が付かれてないと思う」
『俺の方も例のものはうまくいったから。じゃあ、後でな』
佐貫との電話が終わって、部屋に戻ると葉が立っていた。
「あれっ」
裕生《ひろお》は目を瞠《みは》った。葉《よう》はブラウスとスカートを着て、肩からトートバッグを下《さ》げている。すっかり出かける準備を終えていた。
「どうしたの?」
時計を見るとまだ二時前だった。待ち合わせは駅前に五時だから、いくらなんでも早すぎる。
「わたし、用事があるから先にいきます」
「はあ?」
裕生は思わず聞きかえした。急に出かけると言い出したのも驚《おどろ》きだが、妙に楽しそうに見えるのも気になる。
「待ち合わせの時間にはちゃんと駅にいきますから」
そう言い捨てて、彼女はすたすたと部屋を出ていった。裕生は慌《あわ》てて後を追う。
「ちょっと待って。用事ってどこにいくの?」
「秘密です」
葉は笑顔《えがお》で答えた。
「秘密じゃなくて、万が一のことがあったら……その、行き先ぐらいは言って欲しいんだけど」
葉は玄関先で立ち止まって、しばらく考えこむ様子《ようす》だったが、やがて口を開いた。
「西尾《にしお》さんのうち」
「え? 西尾?」
まったく予想もしていない返事に、裕生はますます混乱した。
「いってきます」
彼女はサンダルをはいて、外へ出ていった。
「あれっ」
裕生《ひろお》は目を瞠《みは》った。葉《よう》はブラウスとスカートを着て、肩からトートバッグを下《さ》げている。すっかり出かける準備を終えていた。
「どうしたの?」
時計を見るとまだ二時前だった。待ち合わせは駅前に五時だから、いくらなんでも早すぎる。
「わたし、用事があるから先にいきます」
「はあ?」
裕生は思わず聞きかえした。急に出かけると言い出したのも驚《おどろ》きだが、妙に楽しそうに見えるのも気になる。
「待ち合わせの時間にはちゃんと駅にいきますから」
そう言い捨てて、彼女はすたすたと部屋を出ていった。裕生は慌《あわ》てて後を追う。
「ちょっと待って。用事ってどこにいくの?」
「秘密です」
葉は笑顔《えがお》で答えた。
「秘密じゃなくて、万が一のことがあったら……その、行き先ぐらいは言って欲しいんだけど」
葉は玄関先で立ち止まって、しばらく考えこむ様子《ようす》だったが、やがて口を開いた。
「西尾《にしお》さんのうち」
「え? 西尾?」
まったく予想もしていない返事に、裕生はますます混乱した。
「いってきます」
彼女はサンダルをはいて、外へ出ていった。
「うん。雛咲《ひなさき》さん来てるよ。昨日約束したから」
みちるはむすっとした顔で携帯に向かって言った。
『それなら昨日ぼくに教えてくれればよかったのに』
ここはみちるの家。今、葉は和室でこれから着る浴衣《ゆかた》を選《えら》んでいる。裕生から電話がかかってきたことに気づいて、みちるだけ部屋を抜け出したのだった。
「色々言えないこともあるの! しょうがないでしょ」
『え、どういうこと?』
「うるさいなあ。少しは自分で考えなよ。じゃ、あたし忙《いそが》しいから。後でね」
みちるは一方的に電話を切り、はあ、と深いため息をついた。そして、重い足取りで和室へ戻る。ふすまを開けると、母の由紀恵《ゆきえ》が葉と膝《ひざ》をつき合わせて熱心《ねっしん》に話しこんでいるところだった。みちるが戻って来たのにも気づいていない。
「若いからなんでも似合うと思うけど、おばさんのお薦《すす》めは紺地《こんじ》のこの柄《がら》。こっちはちょっと模様《もよう》が細かいから地味すぎるけど、白の花柄のこれもかわいいわね……あ、雛咲さんはどういう感じがいいのかしら? 大人《おとな》っぽくしたい? それともかわいらしくしたい?」
普段《ふだん》の由紀恵《ゆきえ》はおっとりしていて、どちらかというと口数も少ないのだが、今は別人のように目を輝《かがや》かせて喋《しゃべ》り続けている。とにかく、若い娘に着物を着せるのがなによりも好きだった。
「……大人っぽく」
葉《よう》は真顔で答えた。
「そう。じゃあ、浴衣《ゆかた》はこれにして、次は帯を……あら、みちるちゃん」
由紀恵はようやく娘の存在に気づいた。葉も顔を上げる。
「みちるちゃんはどの浴衣にするの? 早く選《えら》びなさい」
来たよ、とみちるは心の中でつぶやいた。
「だから、あたしは着ないって何回言えば分かるのよ」
「なに言ってるのかしら。お友達が着るのにあなたが着ないなんてそんなの許しません。ダメです、絶対。ねえ?」
と、葉に合意を求める。彼女は戸惑《とまど》ったようにうなずいた。
「ほら、雛咲《ひなさき》さんもそんなの一生許さないって……」
「言ってないでしょ。やめてよもう。恥《は》ずかしい」
みちるはお祭りに行く時に浴衣をあまり着たがらない。ただでさえ動きづらいのに、人混みの中を長時間歩かなければならないからだ。去年、鶴亀《つるき》神社の夏祭りにいった時も、いつも通りTシャツとジーンズで出かけ、由紀恵をがっかりさせていた。
それに、今日はただお祭りを見るのが目的ではない。どんな危険な事態《じたい》になるか分からないというのに、動きにくい格好《かっこう》は避《さ》けたかった。
「そんなに着たくないなんて、浴衣になにか恨《うら》みでもあるのかしら……」
由紀恵は浴衣の生地《きじ》を撫《な》でながら、大袈裟《おおげさ》にため息をついた。
「あるわけないでしょ。っていうかなんでそんなに熱心《ねっしん》なわけ? そっちの方がおかしいよ」
「じゃあ、なんで着たくないのかちゃんとお母さんに説明しなさい」
「だって今日は」
みちるははっと口をつぐんだ。葉が不審《ふしん》げにみちるを見上げている。あまり断り続けていると、今日なにかあると感づいてしまうかもしれない。
(ああもう。しょうがない)
「分かった。着るわ」
みちるはしぶしぶ言った。
みちるはむすっとした顔で携帯に向かって言った。
『それなら昨日ぼくに教えてくれればよかったのに』
ここはみちるの家。今、葉は和室でこれから着る浴衣《ゆかた》を選《えら》んでいる。裕生から電話がかかってきたことに気づいて、みちるだけ部屋を抜け出したのだった。
「色々言えないこともあるの! しょうがないでしょ」
『え、どういうこと?』
「うるさいなあ。少しは自分で考えなよ。じゃ、あたし忙《いそが》しいから。後でね」
みちるは一方的に電話を切り、はあ、と深いため息をついた。そして、重い足取りで和室へ戻る。ふすまを開けると、母の由紀恵《ゆきえ》が葉と膝《ひざ》をつき合わせて熱心《ねっしん》に話しこんでいるところだった。みちるが戻って来たのにも気づいていない。
「若いからなんでも似合うと思うけど、おばさんのお薦《すす》めは紺地《こんじ》のこの柄《がら》。こっちはちょっと模様《もよう》が細かいから地味すぎるけど、白の花柄のこれもかわいいわね……あ、雛咲さんはどういう感じがいいのかしら? 大人《おとな》っぽくしたい? それともかわいらしくしたい?」
普段《ふだん》の由紀恵《ゆきえ》はおっとりしていて、どちらかというと口数も少ないのだが、今は別人のように目を輝《かがや》かせて喋《しゃべ》り続けている。とにかく、若い娘に着物を着せるのがなによりも好きだった。
「……大人っぽく」
葉《よう》は真顔で答えた。
「そう。じゃあ、浴衣《ゆかた》はこれにして、次は帯を……あら、みちるちゃん」
由紀恵はようやく娘の存在に気づいた。葉も顔を上げる。
「みちるちゃんはどの浴衣にするの? 早く選《えら》びなさい」
来たよ、とみちるは心の中でつぶやいた。
「だから、あたしは着ないって何回言えば分かるのよ」
「なに言ってるのかしら。お友達が着るのにあなたが着ないなんてそんなの許しません。ダメです、絶対。ねえ?」
と、葉に合意を求める。彼女は戸惑《とまど》ったようにうなずいた。
「ほら、雛咲《ひなさき》さんもそんなの一生許さないって……」
「言ってないでしょ。やめてよもう。恥《は》ずかしい」
みちるはお祭りに行く時に浴衣をあまり着たがらない。ただでさえ動きづらいのに、人混みの中を長時間歩かなければならないからだ。去年、鶴亀《つるき》神社の夏祭りにいった時も、いつも通りTシャツとジーンズで出かけ、由紀恵をがっかりさせていた。
それに、今日はただお祭りを見るのが目的ではない。どんな危険な事態《じたい》になるか分からないというのに、動きにくい格好《かっこう》は避《さ》けたかった。
「そんなに着たくないなんて、浴衣になにか恨《うら》みでもあるのかしら……」
由紀恵は浴衣の生地《きじ》を撫《な》でながら、大袈裟《おおげさ》にため息をついた。
「あるわけないでしょ。っていうかなんでそんなに熱心《ねっしん》なわけ? そっちの方がおかしいよ」
「じゃあ、なんで着たくないのかちゃんとお母さんに説明しなさい」
「だって今日は」
みちるははっと口をつぐんだ。葉が不審《ふしん》げにみちるを見上げている。あまり断り続けていると、今日なにかあると感づいてしまうかもしれない。
(ああもう。しょうがない)
「分かった。着るわ」
みちるはしぶしぶ言った。
裕生《ひろお》は待ち合わせの時間より少し早めに加賀見《かがみ》駅に着いた。駅前にはお祭りにいくために待ち合わせをしている人々でごったがえしていた。時折、女の子が華《はな》やかな浴衣姿で通りかかる。なんとなくそれを目で追っていると、
「早いな」
と、声をかけられた。スポーツバッグを肩から下《さ》げた佐貫《さぬき》が立っていた。プールに泳ぎにいった帰りという印象である。
「そっちこそ」
裕生《ひろお》が言うと、佐貫は顔を寄せてにやっと笑った。
「例のもの、できてるぞ」
そう言いながら佐貫はバッグのジッパーを開いた。一番上に二十センチほどの長さの鉄パイプのようなものが三本見える。先端にはビニールホースで作ったらしいキャップがはまっていた。
「これが俺《おれ》の作った対カゲヌシ用の『武器』だ」
と、佐貫は自慢《じまん》げに言った。
「これを使えば、例の『毒』をカゲヌシの体に直接注入できる」
「この筒《つつ》の中に例の『毒』が入ってるの?」
ああ、と佐貫はうなずいた。裕生はパイプのうちの一本を握って、軽く振ってみた。かすかに水音らしきものが聞こえる。昨日、佐貫は裕生から例のビンを受け取って、たった一晩でこれを作ったのだった。
「よくこんなの作れるね」
裕生は感心して言った。予想以上にちゃんとした「武器」のようだった。
「俺が工作部だったの忘れたのか? それに、俺んちには大抵の工具は揃《そろ》ってるからな」
「どうやって使うの?」
佐貫はパイプのキャップを外した。パイプの中に少し半径が小さな別のパイプが入っている。ほんの少し飛び出た先端《せんたん》の部分は斜《なな》めに切り取られており、なんとなく注射針を思わせた。
「この筒の中に入ってる尖《とが》ったパイプ、これが本体だ。この中に例の毒が入ってる。バネの力を使った注射器だと思ってくれればいい。使い方は簡単《かんたん》だ。キャップを外して、この尖ったところをカゲヌシの体に押しつければいい。それがスイッチになって、この本体がカゲヌシの体に突き刺さる。で、同時に本体の中の毒も敵の体に流しこまれる」
裕生はうなずいた。「黒の彼方《かなた》」が、あの龍子主《たつこぬし》に倒された後は、自分たちがこれを使って残ったカゲヌシを倒すのだ。
「全部で三本あるから、俺とお前と西尾《にしお》で一本ずつだな」
佐貫はそう言いながら、ジッパーを元通りに閉じた。
「そういえば、雛咲《ひなさき》さんは? トイレかなんかか?」
「ぼくと一緒《いっしょ》に来なかったんだよ。西尾の家にいったから、西尾と一緒に来るんじゃないかな」
「なんで西尾?」
「さあ……」
その時、浴衣姿《ゆかたすがた》の女の子の二人連れが改札口の方へ向かって来るのが見えた。浴衣を着ている女の子など別に珍《めずら》しくもない。裕生《ひろお》はさして気に留《と》めずに、葉《よう》たちの姿を捜《さが》していた。しかし、二人は改札口に入らずに、裕生たちの前で足を留めた。裕生はそれでもまったく別の方向を見ていたが、
「……藤牧《ふじまき》先輩《せんぱい》」
女の子の一人が口を開いた。
「えっ」
裕生は初めて彼女たちの顔を見た——立っていたのは浴衣を着た葉とみちるだった。
「早いな」
と、声をかけられた。スポーツバッグを肩から下《さ》げた佐貫《さぬき》が立っていた。プールに泳ぎにいった帰りという印象である。
「そっちこそ」
裕生《ひろお》が言うと、佐貫は顔を寄せてにやっと笑った。
「例のもの、できてるぞ」
そう言いながら佐貫はバッグのジッパーを開いた。一番上に二十センチほどの長さの鉄パイプのようなものが三本見える。先端にはビニールホースで作ったらしいキャップがはまっていた。
「これが俺《おれ》の作った対カゲヌシ用の『武器』だ」
と、佐貫は自慢《じまん》げに言った。
「これを使えば、例の『毒』をカゲヌシの体に直接注入できる」
「この筒《つつ》の中に例の『毒』が入ってるの?」
ああ、と佐貫はうなずいた。裕生はパイプのうちの一本を握って、軽く振ってみた。かすかに水音らしきものが聞こえる。昨日、佐貫は裕生から例のビンを受け取って、たった一晩でこれを作ったのだった。
「よくこんなの作れるね」
裕生は感心して言った。予想以上にちゃんとした「武器」のようだった。
「俺が工作部だったの忘れたのか? それに、俺んちには大抵の工具は揃《そろ》ってるからな」
「どうやって使うの?」
佐貫はパイプのキャップを外した。パイプの中に少し半径が小さな別のパイプが入っている。ほんの少し飛び出た先端《せんたん》の部分は斜《なな》めに切り取られており、なんとなく注射針を思わせた。
「この筒の中に入ってる尖《とが》ったパイプ、これが本体だ。この中に例の毒が入ってる。バネの力を使った注射器だと思ってくれればいい。使い方は簡単《かんたん》だ。キャップを外して、この尖ったところをカゲヌシの体に押しつければいい。それがスイッチになって、この本体がカゲヌシの体に突き刺さる。で、同時に本体の中の毒も敵の体に流しこまれる」
裕生はうなずいた。「黒の彼方《かなた》」が、あの龍子主《たつこぬし》に倒された後は、自分たちがこれを使って残ったカゲヌシを倒すのだ。
「全部で三本あるから、俺とお前と西尾《にしお》で一本ずつだな」
佐貫はそう言いながら、ジッパーを元通りに閉じた。
「そういえば、雛咲《ひなさき》さんは? トイレかなんかか?」
「ぼくと一緒《いっしょ》に来なかったんだよ。西尾の家にいったから、西尾と一緒に来るんじゃないかな」
「なんで西尾?」
「さあ……」
その時、浴衣姿《ゆかたすがた》の女の子の二人連れが改札口の方へ向かって来るのが見えた。浴衣を着ている女の子など別に珍《めずら》しくもない。裕生《ひろお》はさして気に留《と》めずに、葉《よう》たちの姿を捜《さが》していた。しかし、二人は改札口に入らずに、裕生たちの前で足を留めた。裕生はそれでもまったく別の方向を見ていたが、
「……藤牧《ふじまき》先輩《せんぱい》」
女の子の一人が口を開いた。
「えっ」
裕生は初めて彼女たちの顔を見た——立っていたのは浴衣を着た葉とみちるだった。
裕生と佐貫《さぬき》は完全に固まっていた。
(そりゃ、驚《おどろ》くよね……)
と、みちるは思った。葉は紺地《こんじ》に大きな花柄《はながら》の浴衣に、あざやかな黄色《きいろ》の帯を合わせている。みちるはえんじ色の浴衣を着て、長い髪の毛をアップにまとめていた。
先に硬直が解《と》けたのは佐貫の方だった。彼はみちるの腕をつかむと、他《ほか》の二人から少し距離《きょり》を置いた。そして、顔を寄せて小声で話しかけて来た。
「なにやってんだよ、お前。それで戦うつもりか?」
「しょうがないでしょ。あたしだって好きで着たんじゃないわよ。着ないわけにはいかなかったの!」
佐貫《さぬき》はやれやれというように首を振り、冷たい目でみちるの全身をじろじろ見た。
「まったく……」
ふと、みちるは自分の浴衣《ゆかた》を見下ろした。無理もないことだとは分かっていたが、ほんの少し彼女は悲しくなった。佐貫に誉《ほ》められようと期待していたつもりはまったくない。それでも、我ながらこの浴衣は似合っていると思う——生ゴミの袋でも眺めるような冷たい目はせめてやめて欲しかった。
葉《よう》たちの方を振りかえると、相変わらず裕生《ひろお》は固まったままだった。あまりにも反応がないので不安になったのか、
「あの……?」
葉はおそるおそる裕生の顔を窺《うかが》った。
(藤牧《ふじまき》、誉めて。そこは誉めてあげて)
みちるはテレパシーでも送るように強く念じた。浴衣とはいえ、初めての着付けは葉にとってかなり大変だったはずだ。それでも裕生はなにも言わない。なにかフォローした方がいいかもしれないと思い始めた時、裕生が微笑《ほほえ》んだ。
「ああびっくりした。最初|誰《だれ》かと思ったよ……すごくよく似合ってるよ」
葉の顔に心の底から嬉《うれ》しそうな笑《え》みが広がった。ああよかった、とみちるはほっと息をつく。自分が誉められたように胸が温かくなった。
「どうしたの、その浴衣」
「西尾《にしお》さんに貸してもらいました」
裕生は葉に向けていたのと同じ笑顔《えがお》でみちるを見た。
「西尾が浴衣着てるとこなんか初めて見た」
と、裕生は言った。
「その浴衣似合ってるね。なんか普段《ふだん》と違う」
(あ……)
みちるはかっと頬《ほお》が熱《あつ》くなるのを感じた。嬉しい気持ちがこみ上げて来るのを留《と》められなかった。
「う、うん。ありがとう」
少し視線《しせん》を逸《そ》らしながらみちるは言った。
「……そろそろいこうぜ」
と、佐貫が言い、他《ほか》の三人もうなずいた。
(そりゃ、驚《おどろ》くよね……)
と、みちるは思った。葉は紺地《こんじ》に大きな花柄《はながら》の浴衣に、あざやかな黄色《きいろ》の帯を合わせている。みちるはえんじ色の浴衣を着て、長い髪の毛をアップにまとめていた。
先に硬直が解《と》けたのは佐貫の方だった。彼はみちるの腕をつかむと、他《ほか》の二人から少し距離《きょり》を置いた。そして、顔を寄せて小声で話しかけて来た。
「なにやってんだよ、お前。それで戦うつもりか?」
「しょうがないでしょ。あたしだって好きで着たんじゃないわよ。着ないわけにはいかなかったの!」
佐貫《さぬき》はやれやれというように首を振り、冷たい目でみちるの全身をじろじろ見た。
「まったく……」
ふと、みちるは自分の浴衣《ゆかた》を見下ろした。無理もないことだとは分かっていたが、ほんの少し彼女は悲しくなった。佐貫に誉《ほ》められようと期待していたつもりはまったくない。それでも、我ながらこの浴衣は似合っていると思う——生ゴミの袋でも眺めるような冷たい目はせめてやめて欲しかった。
葉《よう》たちの方を振りかえると、相変わらず裕生《ひろお》は固まったままだった。あまりにも反応がないので不安になったのか、
「あの……?」
葉はおそるおそる裕生の顔を窺《うかが》った。
(藤牧《ふじまき》、誉めて。そこは誉めてあげて)
みちるはテレパシーでも送るように強く念じた。浴衣とはいえ、初めての着付けは葉にとってかなり大変だったはずだ。それでも裕生はなにも言わない。なにかフォローした方がいいかもしれないと思い始めた時、裕生が微笑《ほほえ》んだ。
「ああびっくりした。最初|誰《だれ》かと思ったよ……すごくよく似合ってるよ」
葉の顔に心の底から嬉《うれ》しそうな笑《え》みが広がった。ああよかった、とみちるはほっと息をつく。自分が誉められたように胸が温かくなった。
「どうしたの、その浴衣」
「西尾《にしお》さんに貸してもらいました」
裕生は葉に向けていたのと同じ笑顔《えがお》でみちるを見た。
「西尾が浴衣着てるとこなんか初めて見た」
と、裕生は言った。
「その浴衣似合ってるね。なんか普段《ふだん》と違う」
(あ……)
みちるはかっと頬《ほお》が熱《あつ》くなるのを感じた。嬉しい気持ちがこみ上げて来るのを留《と》められなかった。
「う、うん。ありがとう」
少し視線《しせん》を逸《そ》らしながらみちるは言った。
「……そろそろいこうぜ」
と、佐貫が言い、他《ほか》の三人もうなずいた。