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記憶の絵08

时间: 2020-03-30    进入日语论坛
核心提示:よく走る馬私は鉛筆が一人で削れない、靴も上手《うま》く履けない、というような状態で、尋常小学校に入学した。(靴は横止めの
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よく走る馬

私は鉛筆が一人で削れない、靴も上手《うま》く履けない、というような状態で、尋常小学校に入学した。(靴は横止めのだったが、ホックのような金具の出っぱりを紐に開けてある穴へ入れるまでも大変で、やっと入れても呼吸が下手だからなかなかパチンと嵌らなくて、突張ったままなのをもて扱っている。私が靴を履くのを見ていると皆、苛々した)それだけではない。学校の勉強の方は入学前にもう、仮名から漢字から、数字も日本式と西洋式とで百まで書け、足し算、引き算も一寸は出来、自分の名前も漢字と羅馬字で書けるように、いささか山雀《やまがら》の芸当か、猿廻しの猿めいてはいたが、仕込まれていたが、(五歳の頃家に石川啄木が来て、四畳半の客間に待っていた時、出て行って、自分の名を羅馬字で書いて見せたことがある。それが嘘ではない証拠は、啄木の明治四十年頃の日記にちゃんと、その時のことが書いてある)母親のどうした手抜かりか、時計の見方を教えなかったので、時間がわからなかった。朝は(時間ですよ)と女中か母親に人力車に乗せられるので無事遅れずに登校出来るというだけで、教師が「明日から八時半始まりですよ、皆さん判りましたね」と言っても、皆さんの中で森さんだけは判らなかった。授業中に教師が時計を見に遣《や》るのが、扉口に最も近い隅の席の子供に定まっていたのは幸《さいわい》である。そんな風だから入学前はひどかったが、何から何まで人にして貰いながら言うことだけは生意気で、明治四十一年頃コッホが日本に来て(細菌学者だと思うが、細菌学者という部門があるだろうか? 当時売り出された彼の写真入りの絵葉書に、顕微鏡でみた黴菌のいろいろが、薔薇色の円形で囲った中に紅や紫、黒なぞで写っていたからだが、はっきりしたことは判らない。とにかくコレラ菌を発見した学者だということは間違いないようだ)帝劇で何か催しがあり、私は父母の会話からコッホという名と、コレラ菌の学者だというのを聴き覚えていた。そうして叔母や従姉が(コッポ)と言うと、(コッホよ)と訂正をし、コレラキンの学者だと、つけ加えた。四、五歳の時母親に、(お刺身)、(いり卵)、(ご飯)と、一|匙《さじ》毎に注文してはたべさせて貰っているのを、同じ年の子供を伴れて遊びに来ていた女中が見て愕くと同時に大いに軽蔑し、「家の子供は何でも自分で致しますし、よく走りますです」と言った。彼女は私が走るのが遅《のろ》いのを知っていたのである。するとお刺身を噛んで呑み終った私が言った。「それでは読本の馬のようですね」。女中は私が小学一年の読本にある(走れよ小馬)の文句を知っているのに又もや愕いて黙った。七つ位まで大病のやり通しで、看護婦に食べさせてもらった癖がついていたとはいえ、又母親が滾《こぼ》してそこらを汚すのを嫌ったからもあるとはいえ、四、五歳になっていて、御飯をたべるのに口ばかり動かしていたとは呆れたことである。
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