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記憶の絵19

时间: 2020-03-30    进入日语论坛
核心提示:萩原葉子    余裕のある根性家前にも、ヤッタルデを嫌いだということについて書いたが、わが親友、萩原葉子について今日は書
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萩原葉子
    ——余裕のある根性家——

前にも、ヤッタルデを嫌いだということについて書いたが、わが親友、萩原葉子について今日は書きたい。何故なら彼女は根性の人であるが、私の嫌いなヤッタルデではないからだ。一寸説明がむつかしいが、彼女を見ていると、なにか、たっぷりした、という印象をうける。大きいのである。(どうせ太ってるわ)という彼女の声がするが、体の容積よりも、気持の大きさである。私同様、彼女は小さなことを気にしてはびくついているが、それでいて、どこかぬけていて、詰り、たっぷり、なのだ。これを書くと、彼女の眼が三角になって来てこわいのだが、彼女の勉強部屋(彼女も私も、自分たちの部屋を仕事部屋と称することがきらいである。若い女優なぞが「お仕事、楽しいですか?」なぞと互いに言い合っているのを新聞なぞでみると、歯が浮いて来るのである)の壁には、精密な時間割りが張ってある。それはよく女学校の地理の教科書に、円形を細かに分けて、※[#網掛け]、※[#細かい網掛け]、なぞで塗り分け、農産物、水産物、なぞの産出量を表示している図があったが、あれと同じの円形の表である。彼女がその時間表を全部守っているとは到底信じることは出来ないが、ともかく大変な窮屈な時間表を掲げている。又、戦時中の、撃ちてし止まん的な言葉を、中学生風にしたような、勇ましい言葉も書いて、張ってある。彼女は椅子にかけて机に向い、私なら見通しになってしまう筈のテレヴィに背中を向けて、小説なぞを書いている。しかるに、彼女は所謂(ヤッタルデ)ではないのである。私はその表示図や、張り紙の言葉に驚愕して笑い出したが、その感じは可笑しいだけで、少しも息苦しくはないのである。もっとも、ナマケモノ、という名の獣《けもの》のように怠惰な私が、肝胆相照らしている(人間と人間のことだから、どこまで照らし出しているかは不明であって、バカなところのある私は始終誤解をしては怒り、彼女は眼を四角にしたり、三角にしたりして弁明にこれ努めるのである)人間が、キンキラキンのヤッタルデであるわけはない。
親友といっても私の方が変人で、しんみりする、ということが絶対不可能の人間であるから、(気持は絶えずフワフワと浮き上っていて、所謂親身になって考えるというようなことは、彼女の方だけの片道切符であって、人生を考えることもない私の方では、ただなんとなくもやもやとした中で、私なりの、透明で頼りない真心《まごころ》を抱いている、という、へんな関係である)萩原葉子は言う。(いいのよ、知ってるわよ、マリさんは性格がないんだから)と。残念ながらこの彼女の言葉は当っている。私はただ、自分では一種変った性格があると信じていて、それを小説の中の女主人公に設定して、延々と描写してみたりするのである。
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