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記憶の絵21

时间: 2020-03-30    进入日语论坛
核心提示:機械恐怖症私の部屋にある文明の利器といえば、明治の昔からある普通の電灯、トランジスタア・ラジオ、電気湯たんぽ(通例アンカ
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機械恐怖症

私の部屋にある文明の利器といえば、明治の昔からある普通の電灯、トランジスタア・ラジオ、電気湯たんぽ(通例アンカと称しているものだが、その語感を私は嫌悪している。ついでに言うがポオル・アンカというのも下品で不愉快な男である。それに湯たんぽはマルセル・プルウストが愛用していたという、高貴な暖房器具である)それからプロパン瓦斯、の四種の神器で全部である。電流、生《なま》瓦斯、又、すべての機械がこわいので、これだけの器具が私に使える限度、というわけである。現在《いま》強国たちが、地震、海嘯《つなみ》、雪崩、すべて防げなくて、(日本では洪水は年に一遍あり、必ず、ノアの箱舟的世界を現出することになっている)それで、月に上陸しようとしているのは、人類を破滅の危険に晒そうという意識がなくて偶然原爆の素《もと》を造った学者たちとは違って、意識してやっている、人間を犠牲《ぎせい》にしてやる、世界制覇への欲望だと信じているが、とにかくそういう科学発達時代としてはおかしな人間であるが、いくらこれではおかしいと思ってもこわいものは仕方がない。電流のピリリが絶大の恐怖であるから、今、最近距離にある電気屋の番頭が揃って二人とも親切な人であることは神様のお助けであって、私の部屋がどんなに陽当りが悪くても、亡き室生犀星先生が心から勧めて下さっても、引越さない理由の一つにそれが入っているのである。大体、電気は捻子《ねじ》を捻《ひね》ると点《つ》くものである。瓦斯は扉を開けて、マッチを近づけると点《つ》くものである。と思っている人間である。機械で動くものはすべて恐怖であるから、自動車《くるま》が走ってくると、真剣な顔つきになって、広い道路の場合でも、溝《どぶ》の際までわきへよけ、溝に落ちそうになって塀に手をつくというさわぎである。遥《はる》か向うに自動車《くるま》がみえている時でも、今にも自分にぶつかりそうな気がする。こわごわ前を横切ろうとする時、一層速度を増して矢のように疾走してくる自動車《くるま》の恐ろしさには、心臓が冷たくなる。このごろの運転手は気のせいかもしれないが意地が悪くて、人が恐怖していると、わざと警笛を鳴らし、飛びかからんばかりに走ってくる。こわがる人間をおどかすことにサディストの歓喜を味わっているかの如き彼らである。横断歩道を渡る時には信号が青になった直後の他は渡る勇気がない。同伴者がある時には観念して渡るが萩原葉子と同行二人の時には絶対一緒に渡らせるので萩原葉子はふくれている。一人歩きの場合でも五、六人渡る人があると一緒になって恐る恐る渡るが、そのようすは我ながらこっけいである。
その私が、雑誌の用で飛行機に乗った時の気持は今想い出しても深刻だった。友だちは口々に大丈夫よ、と言うが、誰一人、絶対の保証をくれることの出来る人間はいないのである。私は犀星先生に戴いた豚革鞄を手に、屠所の羊のような姿で飛行機に近づき、萩原葉子はその私の姿を、廻廊の硝子|扉《ど》の向うに立って大きな眼で見ていたのである。
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