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記憶の絵22

时间: 2020-03-30    进入日语论坛
核心提示:春の野菜私は筍、蕗、蕗のトウ、山椒、根芋、芹、田芹、クレッソン、なぞの春さきの野菜がなんともいえなく好きで、秋の焼松茸と
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春の野菜

私は筍、蕗、蕗のトウ、山椒、根芋、芹、田芹、クレッソン、なぞの春さきの野菜がなんともいえなく好きで、秋の焼松茸とか、松茸飯、栗、なぞも大すきだが、松茸飯は筍飯より劣ると思うし、栗よりも新|馬鈴薯《じやがいも》の、微かに塩を入れた白煮(甘く煮たもの)の方がすきである。春の新じゃがいもには筍や蕗にあるような渋みのようなものが一寸ある。
ほろ苦い、渋みのある味や香《にお》いはずいぶん強いけれども、濃くはなくて淡泊なので、松茸ならうまく、さっと仕上げれば御飯と一しょにバターでいためても、おいしいが、筍では味も香《にお》いも薄くなってしまうのである。莢エンドウも大すきでまだ若い時から毎日のように、醤油と清酒とかつおぶしで淡味に煮ておかずにする。中の豆が煮てる内に飛び出して皺になるようになった莢エンドウはことに好きである。むきエンドウの御飯(淡い塩味だけ)も、おかずが要らない位好きだ。じか鰹で一寸辛く煮た筍も素敵だが、筍飯の冷たくなったのは何よりおいしい。三田台町のお芳さんは春になると鯛と筍の押し寿司を造らえた。彼女は、鯛の酢のものを造る時のように、鯛の皮を酢の中でもみ、その酢で二杯酢をつくる。その白く濁った酢に浸けて表面が一寸白くなった鯛を用意しておき、その淡泊《あつさり》した酢と魚で寿司飯を造らえて大阪風に型で押し出すのだが、その時上に銀杏切りの淡泊に煮た筍を一枚と、皮つきの小鯛を斜《はす》かいにのせ、木の芽をそえる。東京ではあまりみないから、広島風なのか、お芳さんの発明だろう。私は春の日本料理の中では母親が造らえた筍飯の冷たくなったものと、お芳さんの筍ずしがすきである。弟の奥さんの造る、油揚げなんかを入れない、筍と椎茸、卵の薄焼、青豆位のあっさりした筍のちらし、母方の叔父の奥さんの造る鯛の酢じめと三つ葉、人参、筍なぞを入れた白い、酢味のおからもおいしい。(これは従妹が継承している)
筍飯に、油揚げが入ったり、栗飯に小豆が混入したり、鰻丼に卵を流したりというのは、すべてきらいで、へんにごちゃごちゃした着物の柄と同じで嫌厭している。日本料理屋でいろいろな形に造らえたり、染めたり、生の魚が動いているとか、そういう凝りすぎたのもきらいである。私が子供の時、稀に行った伊予紋や八百善のお料理はそんなところがなくて、普通だった。柳川や、鰹を酒と醤油で煮、下ろし際に木の芽を入れて一寸煮たもの(母に習った)も、新牛蒡や木の芽で素敵になる。お芳さんがどうかすると小声で歌った。「奥山に、雉ときつねとおねこと犬とが、あつまりて、なんというて鳴いた……」の小唄(?)の声音《こわね》、義姉の一人が(うちがこのごろ遊んで困る)といった時(あそぶの)と軽くきき返した、お芳さんの皮肉な、言葉の軽い味は、春の野菜の苦みであった。日中は埃まんまんとして野暮衆《やぼしゆ》たっぷ、おそるべであるから、春はうちにいて美味しい料理をたべるのが一番である。
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