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記憶の絵33

时间: 2020-03-30    进入日语论坛
核心提示:手紙の雪或日私は友だちと喧嘩をして、友だちから「マリさんこそ交際家よ」と言われ、大いに怒った。勿論私も、その友だちも、所
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手紙の雪

或日私は友だちと喧嘩をして、友だちから「マリさんこそ交際家よ」と言われ、大いに怒った。勿論私も、その友だちも、所謂交際家ではない。友だちは父親の知人関係のグルウプの会がいくつもあって、そのどれにも律義に出席するので、私が会おうとする時いつも留守になるので、私が怒って、「八方美人」と言ったので友だちも怒り、最近、若い詩人や画家の友だちがふえて、婆さんの癖に若者たちの夜明しパァテイなぞに出席する私を見て「マリさんこそ」と言ったのである。彼女は若者たちのさわぎを白い眼で見る中年婦人では決してないが、私のように一緒になって浮かれられないたちなので退屈し、私を引張って帰らせようとやっきとなるのが、いつものことだ。
その友だちは得《とく》に出来ていて、人と向い合っている時自然で、話がなくて苦悶することがない。従って相手も楽で疲れないのである。私の崇拝している室生犀星先生なぞは、その友だち以上に世間話がうまく、犀星と植木屋とのつき合いなぞが、どんなに素晴しかったかが、彼の随筆を見るとわかる。
私はというと、自分のすきな話を喋るだけで、それも面白くきかせることが出来ない。自分だけで面白がっているので相手は唯顔を見ている。自分の小説を読んでいて、それをわかってくれる人以外の人とは話が皆無である。私の小説をみとめてくれている編輯者の人と会っていても、話が自分の小説から離れると、トタンに言うことがなくなり、苦悶に陥る。相手もぎごちなくなり、私はそれをみるとますます話がなくなる。そうしてその人が帰ったあとは疲労|困憊《こんぱい》である。
相手が私の小説を大変すきだと言ってくれる人だと、ねじの壊れた機械のようになって喋りつづけ、終りがなくなり、あっという間に四、五時間が過ぎる。相手は喜んでくれるが、内心はよほどおどろいているようである。私は怒って友だちの女詩人に書いた。「私が交際家なら、日本中の人が交際家のわけである。そうなると、日本中の人が交換する白い手紙で、郵便局は屋根も見えないように手紙の雪で埋ってしまう。そうして人々はお互いにパァテイを開いては招《よ》び合うから、日本中の家は大抵空屋になって、日本中泥棒だらけになるのだ」と。その手紙を受取った女詩人が書いた。「マリさんの言う、手紙の雪で埋まる郵便局は、丸ビルのような固い、四角いのではなくて、メルヘンに出てくるような、西洋の小さな村の郵便局みたいな建物でしょう。それは美しい画のようで、ほんとうにスバラシクテスバラシイことです」と。私は自分の娘のような、年下の友だちに褒められたことで慰められ、大いに満足した。
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