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記憶の絵37

时间: 2020-03-30    进入日语论坛
核心提示:歯医者歯医者に行くということは私にとっては死刑場に自らおもむくことである。子供なんかが「二本抜いて来たよ」なぞと、言って
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歯医者

歯医者に行くということは私にとっては死刑場に自らおもむくことである。子供なんかが「二本抜いて来たよ」なぞと、言って笑うのを見ると、平気だということを多分に誇示しているらしい点を差し引いても、おどろく心を抑えられない。私は歯の治療の途中で卒倒に近い状況になることもある。「一寸失礼いたします」と言うつもりが、「一寸……」になり、死刑台の如き治療椅子から下りて、部屋の隅にある椅子に行こうとするが、その椅子に手をかけたかと思うとへなへなとうずくまってしまう。団子坂下の歯医者は「おや」と言ってどこかへ行き、計量コップに何か生ぬるい液体を入れて持って来た。脳貧血の薬かと思って飲むと、水道の水割りのウイスキイだった。内幸町の大坂ビルの二階に治療室を持っていた、鈴木操さんという歯医者に通ったのはもう二十年以上前のことである。子供のころ甘いものをたべすぎたので三十代で前の上歯が真黒に欠けて来た。母親が喧しくいうので通いはじめたが、一人では心細くて、中年の家政婦と行ったが、その人が都合が悪い日は、母親の碁の相手に来る正ちゃんという十四位の男の子に行って貰った。鈴木さんはにこにこ笑っている。色が白くて紅みのある顔の下に、苦笑や、呆れ果てた顔をうまく隠して、私を迎えた。
アメリカに十年いたという人なので、患者もアメリカ人が多く、彼らが入ってくると、フワァとした感じの流暢な英語で話していた。最初の日、私のかけている死刑椅子の肱つきに右手を軽くかけ、低めた体の足を軽く組み、微笑して私の歯を覗いた時、私はもの凄い責苦の予感の中にも、これはヴェテランだ、という安堵感を覚えた。仕事にファイトを持っている人物で、治療にかかる時、右手の指を、スペインのジプシイが、カスタニェットの代りに指を鳴らす時のように、ピシッと鳴らした。私の、殆ど前歯皆無の真黒状態は、たしかに彼の仕事への意欲をそそったことだろうと思う。幸、脳貧血も一度も起さずに、私の前歯はちゃんと揃った。というのは、彼がうまかったこともあるが、付添い人を常につれて行った上に、母親は電話をかけて、「二分位しましたら休んで下さいまし」と申請するというように念を入れたからでもあった。この厄介な患者は、それだけでも充分困るところへ、よく遅刻した。或日鈴木さんは言った。「森さん、アメリカではこんな、子供でも(と、手で小さな子供の背丈を示して)何時と言えばその時刻に戸を開けると、そこに立ってますよ」。しかし何といわれても糠《ぬか》に釘である。その時は、なるほどと思うのだが、出かける時になると、(大抵大丈夫だろう)という、長閑な精神状態になるのである。その上死刑椅子と、うれしそうな死刑執行人の顔を想い浮べると、足は速くは動かないのだった。
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