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記憶の絵43

时间: 2020-03-30    进入日语论坛
核心提示:市橋先生裁縫の教師は市橋先生という人だった。たっぷりと大きく面長《おもなが》な顔は、白粉を刷《は》いたように艶のない白い
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市橋先生

裁縫の教師は市橋先生という人だった。たっぷりと大きく面長《おもなが》な顔は、白粉を刷《は》いたように艶のない白い色で、小皺でしわしわになっている。ものを言う度に唇の片側を下へ曲げる癖があった。大きくこちこちに芯を入れて膨らませた束髪《そくはつ》は、染めているように真黒で一本の後《おく》れ毛もない。その、明治天皇の女官たちの束《たば》ねをする最古参の女官のような、歌舞伎なら岩藤のような、威厳のある恐ろしい顔が、見るたびに大変に大きく見えたのは、私の裁縫というものへの恐怖から来る幻影も、多分に加わっていたかも知れなかったが、とにかく大きく、しわしわで、私の頭の上からのしかかってくるようだった。市橋先生の前で、病気の猫のようになっていた私の中に、だが何か突張っているものがあった。裁縫という憎むべきものへの自信をかさ[#「かさ」に傍点]に、着物の胸も袂も、長く引摺った袴も大きい、山のような体の中に、細く尖った針を隠してのしかかってくる彼女に、私は必死に抵抗した。中の方の突張るものが永遠に中に入ったままなので、私は半分泣いた顔になって苛められているより他に仕方のない人間である。実際としては市橋先生は、自分がこの上なく巧者な裁縫を、低能のように不器用にやる生徒に苛々し、それが一種の憎みになっているらしかったが、私のぐにゃぐにゃの抵抗も、見抜いていて、それも憎らしかったかも知れない。彼女が時折にたっと笑うのが、私には自分を嘲笑《わら》っているように見えた。
五年の三学期の或日、受持の田中先生という人が参観に来て、市橋先生と一緒に席の間を回りはじめた。二人の草履の音が背後に逼った時、私は糸に結び瘤《こぶ》を作っていた。糸は何度でも私の指の中で空解《そらど》けた。下着まで汗になって結ぼうとするが成功しない。その時私の頭の上で、市橋先生の声が言った。
「これですからねえ」。私には彼女の伴《つ》れの女教師を振り返り、顔を見合ってにたりと嘲笑《わら》う顔が、見ないでもはっきり解った。ぐにゃぐにゃな猫の中の私の怒りが燻《くすぶ》った。私は次の日の朝、学校へ行くのを厭がって、母が手を引張ると柱に巻きつき、どうやっても動かなかった。私は市橋先生から重大な侮辱をうけたと、思っていた。訳をきかれて訴えると母は苦笑し、父親は大いに同情した。母親が市橋先生のことを髪が真黒で後れ毛一本ない、色の白い、御殿女中のような女《ひと》ですと、父に話すのを、夜床の中で聴いた私は、その言葉の中に意地悪な女だというニュアンスをきき取り、大いに我が意を得た。父と母との相談で転校することになり、次の学校が定まるまで家で遊んでいられるという大幸福がふりかかったのはよかったが、一日母に伴《つ》れられて学用品をまとめ、それから教員室へ行って先生の一人一人にご挨拶をするという、ひどい羽目になった。市橋先生の席に行って母が何か言って少し笑うと、先生も笑ったが、その顔に案外悪気がないのには拍子抜けがし、又いやにがっかりした。
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