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記憶の絵52

时间: 2020-03-30    进入日语论坛
核心提示:料理と私私は料理が好きで、それもなかなか上手《うま》いのだということを人に話すと、誰でも例外なくにやにやと笑う。全く信じ
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料理と私

私は料理が好きで、それもなかなか上手《うま》いのだということを人に話すと、誰でも例外なくにやにやと笑う。全く信じようとしないのである。もっとも私がそれをきかされた側の人間だとして考えてみても、たしかにそれは信じられないだろうと思う。のろのろと、不器用に外套《オーヴアー》に手を通す私の格好を見ただけでも、料理に限らず、何一つ家庭の用事が出来る人だとは思われないだろう。人に後《うしろ》から着せかけて貰っても、すらりとは着られない。私が難なく外套を着られたのは、巴里の給仕《ギヤルソン》に着せかけて貰った時だけである。私の父親の小説「ヰタ・セクスアリス」の中に出てくる、男の人の足袋を脱がせる遣手婆さんのようなところが、巴里の給仕や、仕立屋《クウチユリエ》の女にはある。私が外套を着まいとしても着てしまうような着せかた、靴を履きたくないと思っても、履かせられてしまうようなところが、巴里の給仕《ギヤルソン》や、靴屋の美人店員にはあった。私は大体、何もしたくない人間で、小学校の時から靴を履くのも、ランドセルを背負《しよ》うのも下手だった。私は戦時中、雪国に疎開していたが、雪靴の紐が切れると私は雪の中に立ちすくんで、心の中で泣いた。そうして笠置の山を落ちて行った後醍醐天皇が、二人の家来を伴れていたことを羨ましく思った。だが料理は器用だけで出来るものではない。私が上手《うま》いのは料ではなくて専ら理の方である。
人々は私が料理が好きで、結婚時代には正月の黒豆を、水飴で照りをつけて造り、戦後始めて卵を手に入れた時には、ニュウムの弁当箱で二色《にしき》卵を造《こし》らえた、なぞと言っても、にやにやと莫迦にしたように笑い、尚も言いつのると、やや真面目な顔になり、子供の話を聴いてやっている大人の顔になる。男の人の中にはなかなか感心な人間がいて、或若い画家はただちに信じた。もっとも彼は彼自身も、顔つきやものぐさな様子に似合わない料理の名人だからで、私は感激して彼に、巴里の下宿で習ったヴェルミッセルの肉汁《スウプ》の、恐らく日本ではコックも知らないだろうと思う秘伝を授けた。
私の料理は天性らしく、(料理以外は洗濯も、掃除も、裁縫も、小さな紙切れを失くさずに取っておいて、期日までに金を収めたりするようなことも、家庭の用事は一切駄目である)料理に喧しかった母親は、病身になってからは私の造ったものしかたべなかったし、舅だった人も料理にはうるさくて、新橋の芸者だったお芳さんという女《ひと》が造ったもの以外たべなかったが、私の西洋料理を喜び、お芳さんが真似をして造ったほどである。私の腕を信じないで、失礼な言を弄していた萩原葉子は、或日、私が持って行った、鯛と若布、うど、葱《ねぎ》の、白味噌のぬたを試食しておどろき、猫のように小さな胃袋に、大型弁当箱に入ったのを七分通り平らげた。而る後彼女は私に不明を詫び、彼女と同じように私の腕前を信用しないもう一人の友だちに、確かに上手《うま》いと伝えることを私に誓ったのである。
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