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記憶の絵53

时间: 2020-03-30    进入日语论坛
核心提示:明治の新劇夢をみているのかと思うような、暈《ぼんや》りした眼をあいている小さな顔が、白い羅紗の、広い鍔《つば》がたわんだ
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明治の新劇

夢をみているのかと思うような、暈《ぼんや》りした眼をあいている小さな顔が、白い羅紗の、広い鍔《つば》がたわんだようにうねうねした、クラウンの平たい、へりに橄欖《オリイヴ》色のびろうどをめぐらし、クラウンを取り巻いた幅広の白いリボンが鍔を通して顎の下で大きく花のように結ばれている帽子と、これも白の毛皮の、マッフ付きの襟まきとの間に埋まったような、西洋の子供のような幼女が、黒の長いマントゥの下から洋杖《ステツキ》の先と袴の出ている、カイゼルのような顔の五十位の男と、お堀端《ほりばた》の暗い闇に、黄色い宝石のように光っている帝国劇場の階段を上って行った。ナポレオン時代の小さな令嬢のような白い帽子の子供と、異様な黒マントゥの魔もののような二人伴れに、人々は眼をそばだてた。それはその日帝国劇場で上演されている「ジョン・ガブリエル・ボルクマン」を訳した鴎外という男とその娘で、着ているのは男がよく似ているのを自慢にしているカイゼル・ウィルヘルムの国から海を渡って来たものである。褐色の髪の、これもカイゼル型の大きな頭。髭は鏝《こて》でねじ上げていて、下り加減の三角の鋭い眼と調和を保っている。そのころ私は後《のち》になって伊太利の黄金色《きんいろ》の午《ひる》の中を歩いては暗い美術館《ミユゼ》に入り、又、午《ひる》の中に出たように、或期間楽しい、明るい日が続いたと思うと、暗い、暗鬱な舞台の前に伴れて行かれた。その舞台は帝劇のこともあり、有楽座のこともあり、どうかすると明治座のこともある。それは不思議な夢だった。恐ろしい夢。何故かそのころ上演された北欧や独逸の芝居は一つ残らず暗鬱で、若い男が暗殺されて、真紅《あか》い帷《とばり》の蔭からその脚が出ていたり、可愛らしいおとめが真白な寝衣の胸を燃えくるう花のような、真紅《まつか》な血で染めて死んだりするようなことが起り、壁に模様のある部屋の中を椅子を動かし、靴の音をたてて歩き廻る男たちも女も、すべて何かの影を曳いていて、表情の動きや、手の動きにも、何かの恐ろしい意味をひそめていた。(モルヒネです)と言い放つエルハルトの白い手は、胸の隠しを抑え、狂気したような眼は哀れな母親を視るのだ。(鍵はここに持っています)。そう言ってブラウスの胸を抑え、狂気したサビイネを見下《みくだ》す世話娘は、サビイネの夫と共謀《ぐる》になって彼女を苦しめているのだ。サビイネが殺そうとしたエジトと寝台《ベツド》をとりかえて、母親に刺され、胸を真紅《まつか》にして父親の腕の中に倒れかかるのは、初めの幕で、(いもうとよ、いもうとよ)と歌っていた、エジトの姉娘のエンミイだ。ボルクマンと、夫人、恋人のエルラの複雑な、陰鬱な争闘も、なんとなく私には解って、私は小さな、狭い胸をどきどきさせたり、固くしたりして、それらの人々の眼や、悪意の潜む言葉、動作に眼をつけていた。悪い奥さんのエルガァは伯爵の膝にかけて、伯爵と情人のオギンスキイとの間に交される恐ろしい言葉を聴いていた。私の幼い心を怯やかしたそれらの暗い舞台の、引摺るような靴の音、冷笑の声音は、今も水底《みなそこ》の音のように、私の耳の中に残っている。
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