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記憶の絵54

时间: 2020-03-30    进入日语论坛
核心提示:明治の新劇の人々「ボルクマン」、「ファウスト」なぞの、日本で最初の新劇を演《や》った人々は、上山《かみやま》草人、同浦路
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明治の新劇の人々

「ボルクマン」、「ファウスト」なぞの、日本で最初の新劇を演《や》った人々は、上山《かみやま》草人、同浦路、伊庭孝、衣川孔雀、東儀鉄笛、加藤精一、酒井米子。歌舞伎役者の市川左団次(先代)、猿之助(猿翁)、寿美蔵(寿海)、松蔦《しようちよう》、左升、等々だった。左団次のボルクマンなんかは、イプセンの写真を見ながら顔を造ってなかなか上手《うま》く、松蔦は後《のち》に岡本綺堂ものに左団次とコンビで出た頃、大正初期の青年たちが女優と信じこんで、憧れて通《かよ》った位、頸が細くて華奢《きやしや》で可愛らしい顔なので自然だったが、大抵の役者は赤毛が似合わなかったし、ゴツゴツの大男《おおおとこ》が山猿のような顔を白く塗り、どういうわけか髷がお供えのように二つ重《かさ》なった赤毛の束髪に肩の怒《いか》った洋服で、水玉模様のエプロンをした女形なんかは(これは「馬泥棒」の街娼の一人)すごかったが、主な役の人は皆|上手《うま》かったし、(他《ほか》の人も熱心で、舞台にたるみを見せるような役者は無かった)小山内薫《おさないかおる》の演出がよかったらしく、芝居は例外なく面白かったようだ。私にとってはそれ以上、どれもこれも恐怖と感動の舞台だった。白いブラウスの厚い胸に手を遣って、(鍵はここに持っています)と憎々しく言い放ってサビイネを苛《いじ》め、私の小さな胸をドキリとさせた女形は誰だったろう。(モルヒネです)と言って、チョッキの隠しを母親に示し、私を怯《おび》やかしたのは猿之助だった。ダァウィンのような上山草人(彼は書斎の場はよかったが、メフィストフェレスの魔法で若返って、羽飾りのある大きな帽子を被り、ちゃんちゃんこのように袖の無い外衣《ガウン》のようなものを着て、真白に白粉を塗ってからは全くいただけなかった)が(哲学も医学も文学も、あらずもがなの神学もことごとく研究して、そうしてここにこうしている。気の毒な、莫迦な、俺だな)なんて言って天を仰いで悩んでいる暗い書斎に、音もなく現れた伊庭孝のメフィストフェレスは、きびきびと、生きた海老のようで、ノオトゥル・ダムの怪物《シメエル》の中の痩せたののような顔の額の真中に昆虫の触角のような雉《きじ》の尾羽を尖らせて、薄暗い中を自由自在に飛び廻った。彼がファウストの顔を窺って、(胸には黄金《きん》の飾りがついています)と言うと、私には彼がファウストを誘惑しているのがわかる。私はまばたきもせずに息をつめた。何しろ日本ではじめて、ゲエテの「ファウスト」をやる、イプセンの芝居をやる、というさわぎだったから、役者たちは熱心の塊《かたまり》になって、若い役者は(僕は若いんです)と年中言い、歌舞伎の若者は(家《うち》の親父《おやじ》は頭がない)と言ったりし、親父は親父で、(何をいやがる。世の中に頭の無い人間があるものか)なぞと言っていたらしいが、日本の新劇の黎明《れいめい》の鐘の音は、それらの騒然とした中に、鳴りひびき、東京の中にいる限りの芝居好き、文学好きの若者たちは黒い蜂の群のように帝劇に、有楽座の三階の立見席に蝟集《いしゆう》し、彼らは、紺絣の腕を組み、厚い羅紗のマントの体を寄せ合って、それはまるで一つの青春と憧憬との黒い群像であった。
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