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記憶の絵55

时间: 2020-03-30    进入日语论坛
核心提示:大正の新劇と、その人々明治の新劇は引きつづいて、さかん[#「さかん」に傍点]で、「寂しき人々」「マクベス」「幽霊」「出発
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大正の新劇と、その人々

明治の新劇は引きつづいて、さかん[#「さかん」に傍点]で、「寂しき人々」「マクベス」「幽霊」「出発前半時間」「夜の宿」なぞをやっていて、「マクベス」は特に印象が深く、「画に描いた鬼を見てこわがるのは子供のことでござりまする」なんて言って夫のマクベスをけしかけ、王の寝室へ追いやり、自分も手伝って王を殺させる、マクベス夫人という悪女が、王の暗殺後に発狂して、血がついた記憶の除《と》れない手を夜中に起きて洗うところも面白かったが、魔女の洞窟の入口に立つマクベスに魔女たちがした、王の義勇軍に敗れる最後の日の予言が、最後の幕で当るところも白《せりふ》まで覚えた。その内に松井須磨子が現れて、「人形の家」や「海の夫人」「マグダ」「トスカ」なぞを演ったが、大正に入ると「カルメン」「復活」「モンナ・ヴァンナ」「緑の朝」を演り、ことに「復活」のカチュウシャが評判になって、須磨子は「復活」を持って全国、でもなかったかもしれないが主《おも》な都市は殆ど廻ったらしかった。カチュウシャ巻きという髪やカチュウシャ止《ど》めという丸いお下げ止めも流行り、酒屋の小僧は「カチュウシャ可愛いや別れのつらさ」と歌いながらお味噌を配達していた。「復活」は上野の納涼博覧会でも演り、母親と妹とで見に行ったが野外劇で、すごい人出だった。九つ位の妹はわけがわからずに芝居が好きで、人混みを分けて行く母の手を引っぱって前の方へ出ようとして夢中になっていた。一条汐路なぞも出た。須磨子は器用ではないが体当りでなんでもこなし、「マグダ」や、「モンナ・ヴァンナ」なぞを想い出すと、たしかに一人の大女優だった。島村抱月の演出もよかったらしい。須磨子は自由劇場の衣川《きぬがわ》孔雀のように特異な凄みと魔力のある女ではなかったが、魅力があって、島村抱月をとりこ[#「とりこ」に傍点]にし、楽屋では大変我儘で、抱月が死ぬと生きていられなくなって哀れな自殺を遂げた。私の父親は衣川孔雀が須磨子に比べて芸に謙遜なところが好きで、美も認めていたが、母の方は須磨子が好きで彼女が或日家に来た時は喜んでいた。四畳半に行ってみると須磨子が、盛り上ったような太い膝で、派手な明石の着物でかしこまって坐っていた。これも太い指には牛乳の中に虹が光っているような指環を嵌めていた。(オパアル?)子供の眼にも、どこかふとい[#「ふとい」に傍点]ところのある、だが可愛らしくもある感じだった。太い声に驚いた。衣川孔雀は父親が「千人切り、千人切り」と口癖に言っていた男で、その父親に抱かれて寝ている内に千人切りが大変偉いものだと思いこみ、すごい魔力のある女に成長した(上山草人の小説を信用するとだが)という女《ひと》で、後に歯科医の奥さんになって、誰かが訪ねて行くと、地味な大嶋に濃い紫の前掛けをしていたそうだが、そういうなり[#「なり」に傍点]は眼の大きな鼻の高い、所謂美人がやると、変にいき[#「いき」に傍点]すぎるが、眼立たない、一寸女学生風の孔雀がすれば素敵にちがいない。
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