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記憶の絵58

时间: 2020-03-30    进入日语论坛
核心提示:婚約者山田珠樹が婚約者となって、千駄木町の家に現れたのは大正七年十月の初めか、或は九月の末だった。赤坂第三聯隊第五中隊に
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婚約者

山田珠樹が婚約者となって、千駄木町の家に現れたのは大正七年十月の初めか、或は九月の末だった。赤坂第三聯隊第五中隊に一年志願兵で入隊中の見習士官だった山田珠樹は、始めは日曜日だけに来た。見合いの時の、見習士官の軍服を脱ぎ捨てて、紺の背広で颯爽として、山田珠樹が千駄木町の表玄関に現れた時から、パッパのお茉莉はその傾く目盛りを百度とすれば二、三十度がた珠樹の方に傾いた。時は大正七年で、まだ明治の尻尾がどこかにたなびいている。女学校の生徒の間で Sex に関係した会話がひそかに交わされるというようなこともなかったようだし(成績の悪い二、三人の不良分子の間にはあったかもしれない)その上爺さん婆さんの間に育った一寸法師的な私は、幼い時とあまり変っていない。凝《じつ》となにかを視ている間に、周囲にあるものの中から、何かの隠されたもの、真実を、見つけ出す能力のようなものが幾らかあるばかり。presentiment はあるから、紺の背広の青白い青年に、父親とは全く異ったものを見つけたのは事実らしいが、正直のところ、父親の愛情の他《ほか》にもう一つの幾らか異った愛情を、つまり甘い豊富《たつぷり》ある蜜の他に少し味の変った菓子を見つけて、その二つともを右と左の手に持っていたい、という心境である。父親と自分との甘い蜜の世界を、絶対のものと、思っていて、母親も兄も、妹、弟も、その圏外の人間だと思っている。
紺の背広の山田珠樹になるまでの、見習士官服の山田珠樹は私にとって「いい人らしい」、にすぎなかった。軍隊にはオーダアの洋服は売っていないが、特大肥満の青年用はあったらしく、広い肩幅からも胸の幅からも、カアキ色の見習士官服ははみ出して、余っていた。父親の顔や姿を認識しはじめた三つのころから、ロンメルに扮したジェムズ・メイスンよりずっと高級、学識の美と見識の香気がカイゼル・ウィルヘルム二世に文学の煙を纏わせたような顔と姿とに燻《く》ゆっている、いかしにいかした[#「いかしにいかした」に傍点]軍服の男を見馴れた私の眼にはいただけなかった。紺の青年は十月末になるや、或日ホオムスパンの青年紳士に変った。(これはホオムスパンです。父が造ってくれました)と青年は誇らしげに言ったが、父親が醸しだしている一九一〇年代の独逸のハイカラを呼吸している母娘にはその布の名がわからなかった。だがわからぬなりになんとなくいい織物である。市川左団次から「虞美人草」の甲野さんに憧憬が移っていた少女の眼に、山田珠樹の唇元《くちもと》を左へ曲げる癖のある皮肉たっぷりの微笑《わら》いと、これも又皮肉味のあるものの言い方、額の秀でた青白い幽愁の美は容易に滲透した。(友だちが山田の笑い方は皮肉だって言うんですよ)。このフランス文学銀時計の青年の殺し文句も勿論、低いとこに流れる水のように滲透した。大悪党ではない。普通の、一寸した不良の青年であるが、真白な卵のようなお茉莉にとって、この水はチフス菌入りで、あった。
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