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記憶の絵61

时间: 2020-03-30    进入日语论坛
核心提示:三田台町の食卓私が山田家に、嫁ぐことになると=もっとも私の場合は嫁ぐというようなニュアンスはなかった。嫁に行くというのに
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三田台町の食卓

私が山田家に、嫁ぐことになると=もっとも私の場合は嫁ぐというようなニュアンスはなかった。嫁に行くというのに、教訓らしいものは何一つ与えられない。後になって映画で、嫁に行く娘が父母の前に両手を仕えて、育ててくれた恩を謝すのを見て、魂の底からおどろいたのである。その上米を磨《と》ぐことも炊《かし》ぐことも知らない。出来るのは鮭の白ソオス位のものである=父親は「お茉莉が毎日西洋料理をくうだろう」と言って、微笑《わら》った。私が、嫁に遣る娘として甚だ心細い娘なのを知る父母たちは、金持ちから来た話を躊躇なく受けた。そこで私を溺愛していた父は、今のようなことを言って微笑っていたのであるが、その父親の歓びはみごとに、外れた。山田家にはお芳さんという料理の名手がいたが、西洋料理というものはオムレツ一つ造らなくて、オムレツも早川亭という近所の、岡持《おかもち》みたいなもので運んでくる西洋料理屋からとった。陽朔が毎朝たべる半熟卵とトオスト位が台町の西洋料理である。
台町で困ったのは入浴の順番で、私が一番後なのである。親子、兄弟の順で、男は女より上である。年は私より一つ上だが、たった一人だけ私より順番が下の義妹と一緒に入った。何故それが困るかというと、私は化粧も着物を着るのものろいので義妹は先に化粧がすむ。隣の茶の間の食卓では皆が揃って、私の現れるのを待っているのである。「茉莉や、お化粧はもうそれ位でええや」と舅が隣から言うと、夏はあとからあとから汗が出た。その上に三日にあげず嫁いでいる義姉とその夫、子供たち、中村のおじさんという、関係のよくわからない人物なぞが来て、夜の食卓は二十人を越える。牛鍋と刺身と酢の物にお椀、それに法蓮草の浸しなぞが出るが、牛鍋というものは一緒にたべるものに定っているとして、刺身も一緒盛りである。立派な鯛や平目であろうと、錦手《にしきで》の皿についていようと、一緒盛りというのは、このごろ流行《はや》るパァテイの料理同様、苦手である。
実家では、一人前を自分のものとして確保していたのにも拘らず、妹の分《ぶん》を二切れこっちへ移動させた位の刺身ずきの私は、先ず三切れ位小皿にとっては窃かに様子を窺った。それでお芳さんが粋《いき》な発音で、「一しょ盛りにして頂戴」というのを聴く度にがっかりした。舅が「茉莉や、一杯飲めや」と盃をくれたり、早川亭のものの中では出色の、ロオスト・チキンを割《さ》いたのを分けてくれたり、豆腐を小皿にとる私の手もとを見て「茉莉は箸遣《はしづか》いがうまい」とほめたり、その合間合間に私は刺身をねらい、牛肉をねらった。そこへ又大きい方の義弟が遠くから箸をのばして来て、牛肉は生煮《なまに》えのうちにどんどん義弟の口に放り込まれてゆくのである。すべてに「お先《さき》へ」「お後《あと》へ」と挨拶の喧ましい家で、義妹の富子以外は私は「お後《あと》」の方であるから、目上の人の箸とぶつかってはいけない。とにかくしんの疲れる食卓であった。
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