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記憶の絵62

时间: 2020-03-30    进入日语论坛
核心提示:鮭の白ソオス魚藍《ぎよらん》坂を上がって三田通りへ抜けるごみごみした狭い道に、大きな家が三つだけあった。一つは賀陽宮《か
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鮭の白ソオス

魚藍《ぎよらん》坂を上がって三田通りへ抜けるごみごみした狭い道に、大きな家が三つだけあった。一つは賀陽宮《かやのみや》の家、一つは岸という人の家、(岸さんの隣といえば誰にでもひと言で通じたが、私はどういう人だか知らなかった。今も知らない。私は芸術方面の人以外の名前を知らないので、私の前で有名な人の名を言う人は、反応のない私の顔を眺めて隔靴掻痒の感を味わうのである)もう一つはその隣の石塀の家で、それは私が結婚した山田珠樹という人の父親の家である。その宏大な家の最左端の、日本館の二階に移り住むようになってから間もないころ、夫の姉婿の長尾恒吉という人物が実家に来て、私の父親に言った。「茉莉さんは台町《だいまち》の台所に一度も出ないようだが、そんなことでは困る。少しずつでも馴れるようにして貰いたい」。お茉莉に甘い父親でなくてもそれは難問題である。舅の陽朔の妾《しよう》のお芳さんによって采配をふられている、三田台町の台所は、三年位料理の習練を積んだお嫁さんにも手の出せない台所である。新橋、吉三升《よしみます》に半玉から出ていた、一流ではなかったらしいが相当の、新橋村育ちのお芳さんは、女中たちは高野さんと呼び、家族はお芳《よう》ちゃんと呼んでいるが、母親、奥さん、の称号を与えることを、つまりナントカ、ダッチェス、ウィンザアの称号を与えることをはばんでいるのは珠樹一人である。穏《おとな》しい、意地悪のない女《ひと》であるが賢くて、陽朔の故郷の広島の料理をマスタアし、それを粋化《いきか》した料理の名手である。五、六人の、茉莉より七つ位年上の、背も体格も大きい女中がそれぞれ煮方、焼き方、洗い方をやり、静かで乱れのない、お芳さんの采配で、手早く料理は出来上る。お芳さんは陽朔を脅かすのも、すねるのも静かな戦法で、芸者にも暴れるのも、金切り声を出すのもいるだろうが、彼女は無口でいつも静かである。「クレピュスキュウル・デ・ナンフ」(ニンフの黄昏)の中で希臘の置屋のマダムがやる教育に似た新橋村のしつけ[#「しつけ」に傍点]である。そこへお茉莉が飛びこんでも運び方もむつかしい。「お芳さんの統率している台町の台所では茉莉にはむつかしいでしょう。あれで家ではなかなかうまい料理を造りますよ」と、父親は言って、綺麗な微笑を浮べて恒吉を見た。母親も危ながったが、お茉莉はどうしたのか敢然実行した。お芳さんが意地悪でなかったからである。その日お芳さんは座敷に引っこんでいた。鮭の切身を十七、八枚買わせたのは滑稽だったが、女中をこわごわ使ってやると、神の助けか成功で、家族が擽ったい顔を隠してズラリと並ぶ食卓へ、薔薇色の鮭の上に卵入りクリイム色の、だま[#「だま」に傍点]一つない白ソオスをかけたのが次々と運ばれた。西洋料理は料理店のしか知らない舅も家族たちも満足した。「このソオスはどうなさいますんですか?」お芳さんは小型の髷《まげ》(丸髷のこと)の髪を傾けて、白ソオスを口もとに運びながら言った。
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