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記憶の絵63

时间: 2020-03-30    进入日语论坛
核心提示:三田台町の降誕祭《クリスマス》生れた家で毎年、洋室といっていた、たった一間《ひとま》の西洋間の真中に大木《たいぼく》のよ
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三田台町の降誕祭《クリスマス》

生れた家で毎年、洋室といっていた、たった一間《ひとま》の西洋間の真中に大木《たいぼく》のようなツリイを小さな樽位の鉢に立て、父親と母親とで二《ふた》晩がかりで飾りつけ、三人分の子供への贈物が、その大木の根元に山のように積み上げられた、夢のような降誕祭《クリスマス》をやって貰っていた私は、結婚してから最初の降誕祭を山田の家でやった時にはいささか、もの足りなかった。山田陽朔はイリス商会という貿易商社で育ったので、降誕祭《クリスマス》をやるという習慣は知っている筈なのだが、若い時から相当の遊び手で、結婚後は新橋の吉三升《よしみます》からひかせたお芳さんをうねめ町《ちよう》に住まわせていた、粋《いき》趣味の人なので、西洋式の降誕祭なぞはやらなかった。結婚後最初の降誕祭といっても、十一月二十七日に結婚したのでその年は親類廻りをしたり、私が風邪をひいたりで、結婚した翌年のことである。
地味ななり[#「なり」に傍点]を渋い茶色の、男のもじり[#「もじり」に傍点]のような角《かく》袖コオトで包んだお芳さんと、彼女と対《つい》の外套にらっこの襟巻と、トルコ型の帽子(若い人は「ドクトル・ジバゴ」の、オマァ・シャリフのジバゴが被っている毛皮の帽子だと言えば解るだろう)の山田陽朔、≪外套の下は普段着らしかった。そのことは彼にあまり気がないことを示していて、盛大な降誕祭をやって貰う習慣を持っている私が一員として家族に加わったために、その年から始めたらしい形跡もあった。何故なら珠樹の腹違いの弟の俊輔《としすけ》、豊彦《とよひこ》、妹の富子なぞが、いやに勇み喜んでいたからだ。彼らは私と殆ど同じ年なのにも拘らず、私よりずっと大人で、毎年の例になった降誕祭をやるからといって、そんなに嬉々としたものを表わす筈はないからだ。山田陽朔は、お芳さんを正妻に直すことに大反対の、長男の珠樹が、やっていることといえばわけのわからないフランス文学だし、彼は自分のしていることは軟文学でも厳然たる明治の男子《なんし》であって、にやけ文学を嫌い、漢詩を紙に書いたりしているから、余り珠樹を愛していないが、嫁の茉莉の父親が軟でない方の文学で、且又長男の出世と関係がある。金が目当てでない茉莉も気に入っている、なぞで、その夜の演出になったようでもあった≫慶応の学生服にオーヴァアの俊輔、豊彦、雛妓《おしやく》のような富子、それに私とはハイヤーに乗り込み、銀座をさして走った。資生堂や白牡丹に車を止め、私と富子は天鵞絨《びろうど》の肩掛(私のはお納戸、富子は紅い臙脂)と、珊瑚の入った束髪の飾ピン、男の子たちもそれぞれ高いものを選んだ。男の子達は車の奥にかけた儘のお芳さんが、陽朔のを預かった皮財布からとり出す札を受取り、自分たちだけで車を下りて行った。陽朔はらっこの毛皮に挾まれた関羽のような、髭の顔で窓の外を眺めてい、車の奥に髷の首を据え気味にしているお芳さんは、明治の芸者上りのご新さんというものをその一身にあらわしていた。お芳さんもその夜は陽朔の財布から、クリスマスの贈物、という、ハイカラなお札を貰ったのに違いなかった。
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