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記憶の絵71

时间: 2020-03-30    进入日语论坛
核心提示:巴里ギャアル・ドゥ・ノォル(北駅)に着いて、がたがたのタクシに乗り、車ごと踊るようにしてリュウ・ドゥ・ラ・クレ(鍵通り)
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巴里

ギャアル・ドゥ・ノォル(北駅)に着いて、がたがたのタクシに乗り、車ごと踊るようにしてリュウ・ドゥ・ラ・クレ(鍵通り)の下宿まで行く道で私は≪巴里≫を直覚し、以後≪巴里≫を毎日呼吸していたといっていい。雨は巴里の雨であったし、風は巴里の風だった。薄汚《うすぎたな》いでこぼこの敷石、家々に沿って一人しか通れない細いトロットヮアル(人道)が曲りくねり、葡萄酒の色が滲《し》みた大きな樽《たる》が錆びた鉄の枷《たが》を嵌めて道路に転がっている。腹のつき出た爺さんが何を見ているのか、ぼんやり立っている。二階の窓にもくもく盛り上がった、料理なら特別大盛りというような胸を、これも脚のように太い腕で抱えこんだ内儀さん風の女が、屋根屋か錠前直しみたいな痩せた男と上下で声高に喋っている。(巴里の年増の乳房は、子供に呑ませた牝牛のような乳房をコルセェで下から突き上げるからすごいヴォリュウムである)花の巴里、という言葉から、硝子の宮殿が並んで照り映え合っているような町を漠然と考えていた私は一眼みて、(これが巴里か)と思い、そう思ったトタンに不思議にも体ごと、魂ごと、パリの中に浸《つか》りこんだ。巴里に到着したのは朝だったが午《ひる》になって下宿の近所の町を見ると、小太《こぶと》りのや、背の高いのや、プゥル(下級娼婦、巴里の男が「フェエル、ル、ジュウ。アシュテ、デ、プゥル」と言うあのプゥルである)が黒のクレェプ・ドゥ・シィヌのスウツの着古しに肌色の靴下、首の後《うしろ》に貧弱な狐色の毛皮の尻尾《しつぽ》を垂らし、その尻尾の先をふりながら腰で調子をとって歩いている。夜は男と一緒で、男は女の腰に腕を廻し、二人の人間が完全に一人になって、人生に感動し、愛《アムウル》に感動するのは今のこの時間しか無い、という感じで歩いている。日本には一生に一度も人生のない人がいるのに比べて、巴里の、ことに下町の人間には毎日違った人生がある。二人が一人になって歩いているのはプゥルと客の男だけではない。セーヌの川添いには黒い紗のヴェエルを垂らした未亡人と、水色の軍服(帽子は真紅《あか》の縁どり)の兵隊が二つの人生をその瞬間は完全に一つにして歩いている。そうして誰もふり返えらない。現代の外国、及び日本のようなSEXはお茶を飲むより軽くて、空気を吸うのと同じ、という、そんなものではない。凝《じつ》と見つめ合う代りに或時間は接吻しているのであって、愛《アムウル》の中に魂と、自分たち二人の各々|異《ちが》った人生とを一しょに投げ入れ、そのことに酔って、夢か、うつつか、の状態に入っているのである。巴里の雨は恋人たちの髪を濡らし、巴里の嵐は恋人たちを鎧扉《よろいど》の窓の中に閉じこめる。巴里の朝の陽は、一つの寝台《ベツド》で夜を過した恋人たちが首を二つ並べて出している屋根裏の窓に輝き、森の巣の中の二羽の小鳥の濡れ光った羽の上に、輝く。それがどうして、悪いことだろうか? 巴里は夕方になると、家も樹も人間も、犬も、水色の靄の中に沈む。色で言うと薄紫の町、巴里は恋の町である。
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