返回首页
当前位置: 首页 »日语阅读 » 日本名家名篇 » 作品合集 » 正文

記憶の絵70

时间: 2020-03-30    进入日语论坛
核心提示:続・洋服さて横浜の支那人の洋服でマルセイユに上陸、むろんその儘のなりでパリのギャアル・ドゥ・ノォル(北駅)に下りた。真黒
(单词翻译:双击或拖选)
続・洋服

さて横浜の支那人の洋服でマルセイユに上陸、むろんその儘のなりでパリのギャアル・ドゥ・ノォル(北駅)に下りた。真黒な合《あい》の外套(幅広のバンドつき)に絹ではあるが黒い靴下。黒の小さな靴(九文半という支那美人的のおみあしのため、滑稽な位小さい靴になった)は足の甲の上に革のバンドが猫の肋骨のようにたてよこキの字に交叉している。年は十八だったが今の数え方では十六であって、年よりずっと子供だから、巴里の人々は支那かどこかの東洋の修道院(修道院で小学校、女学校の課程を終えさせるのである)の生徒がどういうわけかパリに出て来たと、思ったにちがいない。
だが二週間もしない内にこの支那の修道院の生徒は毛虫が蝶になるようにしてなんとも面白い巴里女(パリジェンヌ)に孵化した。髪はコワフウル(髪結い)で鏝をあてて大人の女の髪に結い、鉄錆赤(ルイユ)のムクムクのカアディガンを横浜の黒のスウツの上から着、肌色の絹靴下にピネ(靴屋)の横止めの靴をはいて鏡に自分を映した私は大いに満足した。夫の生活はソルボンヌに通う以外は勉強のためにオペラ、芝居と出歩く生活だったから、早速ギャルリ・ラファイエット(百貨店)でぶら下りのソワレ(夜の袖のない洋服)をひと揃え買うという幸福がふりかかった。濃い、いくらか紫を帯びた薔薇の色で襟が広くあき、肩から腕の出るソワレには同じ布のサッシュがあり、そこに寒冷紗(透ったサラサラした布地)のココア色の暈《ぼか》しの大きな花が橄欖《オリイヴ》色の葉をつけた長い蔓の先に下がっていた。それに白いなめし革の肱上までの手袋とテクラ(養殖真珠ばかり売る店)の真珠のコリエ(頸飾り)、黒のエナメルの靴を買って、オペラ、コメディ・フランセエズ、オペラ・コミック、ヴィユ・コロンビエ(以上劇場)とボロタクシィで歩き廻った。又、支那人のスウツは脱ぎすてて、黒のクレェプ・ドゥ・シィヌ(一越縮緬のようなもの)のスウツを造り、洗い晒したように薄い薔薇色の、薄地木綿に白糸で刺繍のあるのや、深い真紅《あか》の絹編みの丸首、薄い藤色の木綿のシャツ型、黒い縁《ふち》どりのある白い絹、等々のブラウスを買い、濃紺と黒との麦藁の帽子二つ、靴も黒いのを二、三足。すっかり巴里女(パリジェンヌ)気取りでプリュニエ、イタリヤ料理、お婆さんのやっている菓子店と歩き、サン・ミッシェルやトロカデロや、プラス・コンコルド近辺のキャフェのテラスにのんびり腰かけて通る人々を眺め暮し、森《ボワ》を歩き、ルウブル美術館で暈《ぼんや》り休み、といった生活をした。その内いよいよ巴里づいて、紅色で細い縁《ふち》どりをした薄灰色のと、黒の縁《ふち》どりで燻んだ薔薇色の絹靴下なぞを靴下専門の店で買い、銀の鎖で薔薇色の貝を磨いたものを繋いだ頸飾、栗鼠《リス》のストオルなぞも買ったので、お洒落の私はほくほくだった。私は(仏蘭西絹の肌ざわり、ピネの靴の履きごこち)なぞと詩にもならない言葉を心に呟き、巴里の雨に濡れ、巴里の風の中を、歩いた。
轻松学日语,快乐背单词(免费在线日语单词学习)---点击进入
顶一下
(0)
0%
踩一下
(0)
0%

[查看全部]  相关评论