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記憶の絵73

时间: 2020-03-30    进入日语论坛
核心提示:欧羅巴の中にあるもの私が支那人の洋服に桜田本郷町の靴で、マルセイユの美術館の階段を上った時、窓の外には海の香《にお》いの
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欧羅巴の中にあるもの

私が支那人の洋服に桜田本郷町の靴で、マルセイユの美術館の階段を上った時、窓の外には海の香《にお》いのする(その海には巌窟王のダンテスが閉じこめられたシャトオ・ディフが幻《まぼろし》のように浮んでいる筈である)マルセイユの街があり、階段の壁にはシャヴァンヌの画があったが、その瞬間から、漠然とした香《にお》いのようなものが私を包みはじめた。なにか偉《おお》きな、だが圧縮された、深い香《にお》いのようなもので、それは考えると、「欧羅巴」という魔神(女)がその身《からだ》に纏っているヴェエルの端《はし》で私を軽く払ったのだ。つまり、欧羅巴は彼女の持つ魔の力の、ほんの切れはしを私に見せたのだが、私の頭は茫漠の中にいた。
だが魔性を持っているものは、その自分の持っている魔の力を、どんな相手にでも見せたい、わからせたいと思っている。執拗に、わからせたいと思っている。そのくせ、投げやりで、わからない相手は放っておくこともある。その後私はその漠としたものをどこかで見、どこかで感じはじめた。凸凹したトロットヮアル(歩道)を商売女《プウル》の後《うしろ》から歩いている時、プリュニエの牡蠣《かき》が、地中海の香《にお》いをたてて舌に溶ける時、両掌で温めて、酒精分の香《にお》いの去った古い葡萄酒を舌にのせた時、「アン、ボック!」「ドゥミ、ブロンド!」と呼ばわりながらいつまでもとぐろを巻いている巴里の男たちに混ってキャフェの椅子に暈《ぼんや》りしている時、自分を視ているように思われる、巴里のやくざの酒に酔ったような流し眼に眼をあて、まるで母親の袖の蔭から男の子たちを窺いみる高校生のように、夫の肱に手をかけ、寄り添いながら歩いている時、歯の欠けた大年増のプウルの、据わった眼が、ふと深海に住む怪魚の眼のように私を視て動いたように思われる時、ホテル、ジャンヌ・ダルクの浴室や、一人一人個室になった巴里の街場の浴槽に入ろうとしながら、ドゥガの裸の女が、浴槽に片脚をかけている素描を想い浮べる時、いろいろな時に私は、マルセイユに上陸した時から自分を包みはじめた、香《にお》いのようなもの、どこか恐ろしい陥穽《わな》のようなものを、漠とした中で、うけとっていた。
(どうしてここにこんなものがあるのか?)(それは何なのか?)と、そういうように明確《はつきり》考えていたわけではない。はじめて出会うもの、はじめて感じとるものには恐れがあるから、私はどこかで恐れていたが、表面の私は相変らず青黒い、異様な練り薬を塗って腕の産毛を除るという騒ぎをして、紫薔薇色のソワレに肱まである白の鞣《なめし》皮の手袋、ピネの黒靴でオペラなぞに行き、階段の踊り場にボンボンを並べている婆さんが、(おや又来たね)という顔でにこにこ渡してくれるボンボンの小箱を受けとり、不思議さと、奇妙さと、異国的なものへの一種の感歎とで見送る巴里の紳士、美人の間を抜けて席におさまり、デコルテの婦人の黄金《きん》色の産毛の靄に包まれた肉感的な白い腕の群を見回したりしていた。
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