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記憶の絵74

时间: 2020-03-30    进入日语论坛
核心提示:ホテル、ジャンヌ・ダルク私が巴里で宿っていたのはソルボンヌ(大学)の前の通りをプラス・モオヴェエルの方へ寄った四つ角の直
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ホテル、ジャンヌ・ダルク

私が巴里で宿っていたのはソルボンヌ(大学)の前の通りをプラス・モオヴェエルの方へ寄った四つ角の直《す》ぐ裏手に建っていた五階建ての安下宿だったが、名前は大へん立派(ホテル、ジャンヌ・ダルク)だった。しかも入り口には、イングリッシュ・スポークンと書いてあったが、主人のジュフォオルが一寸|片言《かたこと》が言えるだけだ。又達者な英語を必要とするようなアメリカの金持の客が入って来るわけでもなかったから、イングリッシュ・スポークン、の看板は、ジュフォオルの虚栄心を満足させているだけのものだった。
汚《よご》れ、すり減った絨緞に靴の踵がひっかかる狭い階段が建物の真中を五階まで通っていて各階に(コ)の字型に六室ずつ部屋がある。表通りに向いた窓は人間が一人立てる位の張り出し窓で、窓掛けは薄茶の碁盤目の細《こまか》いレエス。階下には表通りに面して応接間と、主人夫婦の居間があった。私たち夫婦は三階に三部屋を借りている上客だった。寝台《ベツド》の部屋と化粧部屋、客間、にそれを使っていたが、夫が、私という怠け者が巴里で生活すれば朝もおそくまでごろごろしているということを、私が行く前に見通していたからか、安かったからか、これがリュ・ドゥ・ロペラ(オペラ通り)か、リヴォリ通りだったら、一寸したブルジョワか、女優のような借り方だった。本の買い集めと、オペラと芝居を全部観ることと、英国、伊太利、スペイン、ベルギイ、と旅行して廻ることとに金を使って、洋服はぶら下り、たべものはホテル、ジャンヌ・ダルクの硬くてよく噛めないビフテキや、化物《ばけもの》平目(両側の枕木のように並んだ身のところ、即ちえんがわが、もの凄く太く大きくてたべで[#「たべで」に傍点]がある、地中海で捕れるのかどこの海で捕れるのか、大へんな平目で大味である)ムウル貝(烏貝とそっくりで美味)のフレンチ・ソオスなぞに、裏庭にいる鶏の生んだ卵、という貧弱なもの、という生活だったとしても、ホテル、ジャンヌ・ダルクほどの汚ない下宿でなくてもよかったらしかったが、凱旋門辺りのホテルに宿って、ルウヴルとエッフェル塔を見物して帰る、という所謂巴里の旅行者になることを厭がって、巴里のカルチエ・ラタンに住んで、ほんとうの巴里を味わうのだ、という私の夫や友人たちの中の二、三の人々の一種の誇り、だったようだ。金はある人々だったからだ。それにたべものは三日にあげず巴里の真中のレストランへ行っていたから、栄養の点にも心配なかった。私たちの生活はジュフォオル夫婦はじめ、止宿人たちを魂の底から愕かせた。日本という支那の隣か、隅っこにある、地図でもわからない国の、これはよほどの豪族の子弟たちだと、彼らは思っていたらしかったが、おまけに、自分たちも知らないラシイヌ、コルネイユ、自分たちが自慢にしているヴィクトル・ユウゴオも読破している模様で、辰野隆なんていう人物は忽ちラルゴ(俗語)を混えてペラペラ冗談を言う。全く驚異だったらしい。
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