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記憶の絵76

时间: 2020-03-30    进入日语论坛
核心提示:二人の教師巴里で私がフランス語を習ったのはブウランジェという六十位の爺さんだった。ブウランジェというのは麺麭屋のことだか
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二人の教師

巴里で私がフランス語を習ったのはブウランジェという六十位の爺さんだった。ブウランジェというのは麺麭屋のことだから麺麭屋何兵衛というわけである。誰の紹介だか、どういう経歴の人か私は知らなかったし、名前も苗字しか知らない。日本の奥さん(奥さんに限らない、旦那様も令嬢も、お婆さんもお爺さんもそうであるが)のように、今日会った人は、誰々さんの奥さんの実家の兄さんの、その又奥さんの知人で、旭電気の、或は三菱化成の、重役の妹である、というようなことを一度で覚えることがないし、大体そういうことに興味がない。夫も、私にそれを言っても、どうせ「あら、そうなの?」と興味を示さないし、覚えもしないのを、婚前一年間の交際当時から以後二年の夫婦としての交際で知っていたので、糠に釘を打つのがばかばかしいから言わなかったらしい。或日夫と下宿の前の四つ角を渡って一寸行くと、ホテル、ジャンヌ・ダルクにまさるとも劣らない、汚ない建物があった。ブウランジェはその三階に姪と住んでいたが、少し経つと姪ではなくて恋人なのがわかった。その姪は鹿のような優しい顔の、背が高く体格のいい美人で、どこかに勤めているらしく、最初の日は出て来たが、殆どいなかった。ブウランジェは巴里の爺さんらしく好色な人物だったようで、夫や辰野隆氏に、背中だか、どこかに何か仕掛のある、変な人形を見せて、にやにやしたそうである。そういう人だということはいくらかは感じたが、その姪が本当の姪ではないことも私が発見したのではない。その爺さんは太っていていかさ[#「いかさ」に傍点]ないし、美人の姪の方も私は魅力を感じなかったので、私のカン[#「カン」に傍点]は全く働かなかった。興味がなかったのである。ブウランジェは、夫に、「マダァム・ヤマダと私とは交換教授をしましょう」と、いった。それは私を子供扱いにして言ったのはわかったが、私は半分本気にして、交換教授をしている気だったのはこっけいである。或日「日本に匙があるか」ときくので、「(ちりれんげ)というのがある。それは日本で仏様を信仰する人が死ぬ時、天《そら》から散ってくる蓮華《れんげ》という仏様の花の花片の形だからである」と、出鱈目を教えた。出来ないフランス語で一生懸命にそれをわからせたのだが、ブウランジェは次に夫と一緒に行くと、「マダァム・ヤマダが川に落ちても助けなくていいよ。彼女はどうにかやって上ってくるから」と言って、笑って私を見た。時々紅茶に、田舎の家で造った蜂蜜を入れてくれるのが何より楽しみだった。砂糖を倹約しているらしかった。爺さんは或日いつもより長い時間教授をしたが、何とか派という宗教の苦験僧が、背中を出して輪になり、互いに鞭で背中を打ち合う話をしている内に、眼がいやに光って来たので一寸こわかったが、そんなことはその日だけだった。私は興味のない人物のことなので、その日のことも下宿に帰るまでに忘れた。
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