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記憶の絵75

时间: 2020-03-30    进入日语论坛
核心提示:続・ホテル、ジャンヌ・ダルクその上に私たち日本人は、希臘人の学生ジョオジ・アデス、支那の留学生の陳と陽の三人よりインテリ
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続・ホテル、ジャンヌ・ダルク

その上に私たち日本人は、希臘人の学生ジョオジ・アデス、支那の留学生の陳と陽の三人よりインテリで、自分たち巴里人のユウモア感覚も通じるし、服装《なり》のこのみも巴里人がわらうことの出来ないものを持っている。チップも多い。辰野隆、矢田部達郎、と私たちムッシュ・ヤマダ、エ、マダァム・ヤマダの四人はホテル、ジャンヌ・ダルクの寵児だった。
おかげで単なる一人のナマケモノで、用のない奥さんの私も王女の如くもてなされ、一寸お腹が悪いというと、大切な鶏の卵を焼いて「ビャン、ショオ、アッタンシヨン、マダァム」と後から差出す。黒のスカアトに黒の靴、肌色の靴下で、頭髪はコワフウルで巴里式に縮らせ、鉄錆《ルイユ》赤の毛糸のジャケットのポケットに両手を突込み、すっかり巴里女気取りの私はわがもの顔にホテルの中を濶歩していた。又、夫や友人たちの生活様式のおかげで、私は巴里というものの中に嵌りこんでいて、まるで(巴里)を舌の上にのせて、アイスクリイムのように溶かしていた。
彼ら巴里人たちも全くの巴里人の生活を私たちの前に隠さないわけで、私は全くのところ、モオパッサンの小説の頁の中にいる自分を感じていた。それに前にも書いたように巴里に生れたのかと、わが身を疑ったほどの私にとって、他の日本人の奥さんなら一日も我慢出来ないいろいろの不自由も平気の平左、歓びだけがある、毎日だった。いつも薄い微笑《わら》いを浮べて音をさせずに歩き、ナイフとフォオクを人に持たせられた感じに、落しそうに手に持って、笑いながら食事をする気狂いの博士一人だけは私たちに無関心だったが、ベルナルジニも、ジベルニイ夫婦も、学生三人も、五十六位の婆さんとその男妾の二十五位の薄化粧している男も、私たちには一目おいている有様。彼らフランス人は食堂で、昨夜から持ち越しのジュフォオル夫婦の喧嘩に、二手《ふたて》に分かれて参与し、カンカンガクガクのお喋りをするかと思うと、政治を論じたり、苺にクリイムをかける方が美味しいか、レモンの方がいいかでも二手《ふたて》に分れて談論風発。仏英和女学校卒業の、一言《ひとこと》も喋れない私もつりこまれて、巴里人になった気で片言で喋り出した。
巴里に着くとすぐに春になって、灰色だった空はどこまでも深く青く、マロニエの並木の緑は、海草のように透って、巴里の家並みの谷間に燃え上った。その年に流行った藤紫《モオヴ》がチラチラと混る、黒い色の多い群衆が、来る日も来る日も巴里の大通りや、キャフェのテラスを埋《うず》め、藤紫や薄赤のシャツのアパッシュやマクロオ族の兄哥《あにい》たちが色眼を流しているカルチエ・ラタンにはキャフェから流行歌、エレオノオルが流れていた。ブウランジェという学者の爺さんにフランス語を、コラという女教師にピアノを習う他は自由のナマケモノは我が世の春とばかり浮かれ、夫の友だちの一人の、仏蘭西製的悪魔を観察したり、素晴しい巴里女に憧れたり、していた。
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