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記憶の絵77

时间: 2020-03-30    进入日语论坛
核心提示:続・二人の教師フランス語を習うのは、面白がるためにやることではなかったが、蜂蜜が出てくる日しか楽しくないので、西欧羅巴の
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続・二人の教師

フランス語を習うのは、面白がるためにやることではなかったが、蜂蜜が出てくる日しか楽しくないので、西欧羅巴の旅に行ってからあとはなんとなく止めてしまった。爺さんは日本語を研究している学者だったので、私との交換教授は半分は本気で、向うも失望していたかもしれない。だが私の前に交換教授をした何とかいう大学の先生より、私の話の方がよくわかる、と夫に言ったのはおせじだったらしい。私は子供のままで大人になってしまった人物で、デパアトの食堂ではお子様用の高い椅子に乗り、兎の顔の刺繍のあるエプロンを首に結び、お子様ランチをたべるのが似合う位の人間なので、十八歳になっていても知識慾も、勉強の慾もなかった。それで今でも女学校卒業というだけの教養を使って盲目《めくら》滅法に小説書いているのである。その私も六十歳を迎えたので、よく知っている人の他は(カンのある人はひと眼でわかるが)子供の筈がないと思うらしく、中にはカマトト的演技者と信じている、という莫迦げた人間もある。
私はあまり人を憎まないが、自分を客観するようになって来たので、他人のような眼で、子供の自分を判らない人を、可哀そうな自分という人間のために、憎んでいる。ブウランジェは或日、夫と一緒に行った時、寝室に案内したが、部屋の真中にある大きな寝台《ベツド》の、枕元の壁に十字架にかけられた銅製の基督が打ちつけてあり、全く何一つおいてない森閑《しんかん》とした部屋で、パアテル・セルギュウスか、サン・タントワアヌの寝室みたいだった。フランスの、恋人と住む爺さんの寝室というものは変ったものである。私はその部屋の壁に、苦験僧用の鞭が下がっているような錯覚を、一瞬起した。
もう一人のピアノを習った女の教師はコラという妙な名で、西洋人には珍らしく低い鼻が上向いて、鼻の下がそいだようになり、鼻の穴が細長くなっていて、一寸レプラに患った人の鼻のようで、顎がしゃくれ、横から見ると三日月が笑ったようだった。私のピアノは日本で小松先生という人が内心あいそを尽かしたほどのもので、少しも上達しなかった。或日コラ先生は大きな鍔《つば》の裏に真紅《まつか》な布を張った帽子を被って来て、授業の間もソワソワしていたが、夫が入ってくると、「私は今度、結婚することになりました」と言い、とめどなく喋り、かつ笑い、という有様で、私は愕いて、三日月様の横顔が真紅《あか》い帽子の蔭で、横に長い、薄い唇が、箪笥の環のような形に動くのを眺めた。顔が美人とはあまりに距離のある顔である上に、どういうわけか、どこにも巴里女《パリジエンヌ》らしいところがなく、裾の長い大柄の洋服で、まるで私の父親が訳した、一八〇〇年代の芝居に出てくる女のようで、顔さえもう少しよければ(人形の家)のリンデン夫人のようにみえるにちがいなかった。巴里にも不美人はいたが、コラさんほど美人でない女はみたことがなかった。
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