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記憶の絵80

时间: 2020-03-30    进入日语论坛
核心提示:巴里の銭湯仏蘭西の人間は(少なくとも私の周囲にいた人間は)入浴は殆どしない。ではどうしているのかというと、水で拭くのであ
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巴里の銭湯

仏蘭西の人間は(少なくとも私の周囲にいた人間は)入浴は殆どしない。ではどうしているのかというと、水で拭くのである。鴎外流である。欧羅巴の裸女《ニユウ》画には洗面器をおいて、体を拭いているところがある。ジャンヌ・ダルクにも階段の下に風呂場はあったが、使う人間は殆ど無い。手拭いに石鹸をつけてごしごし洗い、ざあざあ湯を被《かぶ》る日本人が考えると、ひどく気持の悪い習慣のようだが、巴里で暮してみて、彼らがそれで平気な理由がわかった。巴里は空気が乾燥していて垢がつき難《にく》い。そこへ欧米人は皮膚の肌目《きめ》が荒いので、日本人が思う程のことはないらしいのだ。或日ジャンヌ・ダルクの風呂の釜が壊《こわ》れたので、近くの銭湯に行くことになった。詰り法湯《フランとう》である。行ってみると巴里の銭湯は浴室が横に一列に並んだだけの監獄《かんごく》のような建物で、内部《なか》は殺風景を極め、浴槽はジャンヌ・ダルク以上に汚ない。やくざやプウル(商売女)が代る代るに入って、その特別悪性の黴菌が附着しているのではないか、という恐怖で私は顫え上ったのである。銭湯を出て、鍵町《リユウ・ド・ラ・クレ》の通りをジャンヌ・ダルクに向って歩いていた夫と私とは、ホテルの近くまで来た時、喧嘩を始めた。私の方が滅茶苦茶を言い出したのである。珠樹は急に踵《きびす》を返してホテルの方へ歩き出した。私たちはジャンヌ・ダルクを通り越して、プラス・モオヴェエルに踏みこんでいたので、珠樹は私が恐れをなして直ぐに後《あと》から来るものと定《き》めている。私は怒って、引返えさずに前に進んだ。既に人通りはなくて、凸凹に削った石を波形に埋めこんだ石畳の上に瓦斯灯の光がちらちら落ちている大通りは無限のように広く、私の前に拡《ひろ》がっている。どの珈琲店《キヤフエ》にも人間は一人もいない。だが人間が一人だけ、いたのである。ガランとした珈琲店《キヤフエ》のテラスの前に腕組みをした給仕が立っていて、私をジロリと見た。その目はいかにも玄人《くろうと》っぽい目だが余裕《ゆとり》があって恐ろしくはなかったが、私は前に進む勇気を失い、給仕《ギヤルソン》の目を見たかと思うと向きを変えて、引返した。プラス・モオヴェエルの珈琲店《キヤフエ》の多くは珈琲店《キヤフエ》は表向きで、裏では賭博《とばく》、誘拐なぞの犯罪が行われているのだと、きいていたからだ。私はその大きな目を明瞭《はつきり》と、想い浮べることが出来る。獲物を狙《ねら》い待機している目ではあったが、雑魚《ざこ》なんかはなんとなく逃がしてしまう、というような余裕のある、悪党としての大人の目である。その給仕が普通の給仕で、私を見て(何だい、此奴は)と思ったのか、或は私の恐れたように、何かの悪事の張り番だったのか、それは判らないが、ともかく彼は≪巴里のギャルソン≫であった。或は≪巴里の悪党≫で、あったのだ。
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