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記憶の絵84

时间: 2020-03-30    进入日语论坛
核心提示:カルメン役者マルトゥ・シュナァル巴里人はものすごいカルメン好きである。「C, a, l, m, e, n」の六字がコメディア(演芸新聞)
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カルメン役者マルトゥ・シュナァル

巴里人はものすごいカルメン好きである。「C, a, l, m, e, n」の六字がコメディア(演芸新聞)や、街の広告塔の紙に出ると、ロペラ(オペラ座)は超満員になる。集まってくる人々は皆、「カルメン」の曲を空で覚えているらしくて、或熱気のようなものが場内にみちてくる。棧敷では爺さん婆さんの夫婦がそっと手足で拍子を取り、小さな声で曲をなぞっている。なんという楽しい観客たち。私は日本の音楽会は嫌いである。気取らないで入って行くと、場ちがいのバカおばさんと言わぬばかりの眼が集まる。日本人は音楽を聴きに来たのか観客を見に来たのか判然しない。私はもし人間の眼玉が高く売れるものなら、こっちを見たところをちょいちょいくりぬいて集めて売れば、小説を書こうとして苦しむ必要がないな、と思いながら、とくに女のは意地悪く残虐な、それらの眼を見るのである。カルメンは何度も見たが、席について幕開きの音楽が湧き起るともう、歌劇「カルメン」の魅力にひきこまれた。音楽のことも、オペラ界のことも知らないから、世界一のカルメン役者が誰だか知らないが、私の見た中では誰がなんと言ってもマルトゥ・シュナァルである。マルトゥ・シュナァルのカルメンを見た私は、十八の時だったせいもあるだろうが、まるでビイトルズに夢中になる現代の女の子そこのけに惚れこみ、私の眼は舞台の彼女に吸いよせられて、決して離れなかった。若い私の魂は幕開きの音楽から誘惑された男のようになる。絶えず肱を張って手を腰にあてているシュナァルの腕や肱の皮膚は、後《あと》になって読んだピエェル・ルイの「女と人形」にある表現の通りの感じだった。≪C ait sa chair, son odeur…≫(それはコンチタの肉であり、香《にお》いであった)。全部書きたい位だが三つの素晴しい場面を書くと、まず誘惑されたホセが捉《つかま》えていた繩を放すや、肱を立て、襞の多いスカァトを掴み上げるようにして舞台奥の階段を駈け上がるところ。次はホセを訪ねて来たミカエラと、ホセの廻りをゆっくり一廻り歩き、二人の真中に腰を下ろして太い咽喉をみせて仰向き、煙草の煙を空に真直《まつすぐ》吹き上げるところ。そのようすに心を奪われ、哀れな許婚者の前でカルメンに見入るホセ役者も、シュナァルを好きなのかと思った程|上手《うま》かった。又最後の刺される場面が出色で、どの女優のカルメンもかなわなかった。闘牛場からざわめきに混ってエスカミロの闘牛士の歌が聴えてくるとカルメンは地団駄踏むようにしてホセを振り払い、真《ま》っしぐらに闘牛場の入口に走り寄る。追い縋ったホセの短剣がカルメンの背中の真中を、標本の蝶を止《と》めるようにして突刺すと、シュナァルのカルメンは両腕を上に延ばしたままの形でどさりと仰向けに、大の字に倒れた。他のカルメンのようによろめいたり、哀れな言葉を言ったり、変に形をつけたりしなかった。私はメリメの「カルメン」も、ビゼェの作曲も大好きである。
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