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記憶の絵86

时间: 2020-03-30    进入日语论坛
核心提示:巴里で演じた「能」巴里でバレ・リュッスが大喝采を浴びて、ロングランを続けていた時の或日、全く変ったことが起った。誰の口か
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巴里で演じた「能」

巴里でバレ・リュッスが大喝采を浴びて、ロングランを続けていた時の或日、全く変ったことが起った。誰の口からどこへどう伝わったのか? 誰が誰にどこで会ってどうしたのかを、当時ホテル、ジャンヌ・ダルクにいた人もいなかった人も、周囲の人は皆知っていたが私は知らない。ともかく私たちとジャンヌ・ダルクにいる石本己四雄という人が十年お能を習っているということが大使館方面に伝わって、二百人位|入《はい》れる或小劇場で石本己四雄が踊ることになった。新聞には出なかったが、大使館関係の人やきき伝えた人々が二百人位はいたらしく、満員にはなった。だが鼓を打つ人なんかは巴里にいた人の中に、本職に近い人がいたが、謡《うたい》は山田珠樹、その他がインスタントで稽古をして謡ったのだし、肝心の石本己四雄が素人であるから、大分心細い話だった。だが辰野隆をはじめ、みんな、巴里人にお能を見せるのだというので張切り、一番難しい衣裳は誰かがカンヴァスに張る布のような、ごわごわの布を買って来て、そこの奥さんがどうやら縫い、これも誰かの伝手《つて》で、藤田嗣治の家に持ちこんで頼んだ。私も一緒について行ったが、藤田嗣治は玩具の三味線や、お祭の半纏、豆絞りの手拭いなんかが、壺や絵具台、ごちゃごちゃした描きかけのカンヴァスなんかに混って置いてある広い画室に、フランス人の奥さんといた。腰の大きな奥さんは木綿に荒い唐棧縞の、よく呉服屋が反物を包んでいる大型風呂敷で造《こしら》えたスカアトに、小さな穴が一つ開いたのをはいて、地味なブラウスを着ていたが私を見て、「シャルマントゥ」と言った。魅力があるという意味ではなくて、可愛らしい位の意味だったろうが、その時は一寸得意だった。藤田嗣治は黒縁の眼鏡の中の、小さくて丸い鋭い眼を、茫洋と据えて私たちを見たが、やがてごわごわの布を床にひろげ、はじめから襯衣《シヤツ》一枚だったが、とにかく大童《おおわらわ》になって能衣裳や、揚げ幕まで塗ったり、模様を描いたりした。藤田嗣治の父親は軍医で、私の父親とよく逢っていたらしいが、その軍医はひどく頭の切れる人物だったようで父親が、(あんな頭のいい男は珍しい)と言っていたそうである。嗣治もその父親の頭をうけ継いだらしく、茫洋として人を視る眼差しの中に、得体のわからない賢《かし》こさと不逞な精神が、見えていた。藤田嗣治が塗った衣裳を着て石本己四雄は一生懸命になって踊ったが、日本の「能」の神髄を伝えるのには、役者も鼓打ちも、(謡はことに駄目だった)未《いま》だしの感が深かったので、あんまり評判にもならないで了《おわ》った。カンヴァスの布みたいな布地の能衣裳も困ったが、生れて初めて能衣裳を縫った人の謹製なので、後から見える程深く合わさる筈の上前《うわまえ》がよく合わなくて、足が見えたのも困った。ノエル・ヌェットゥが見に来て、(C'est pittoresque)=奇怪だね=と言った切りだったので辰野隆、山田珠樹等の面々はがっかりした。
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