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記憶の絵87

时间: 2020-03-30    进入日语论坛
核心提示:ニジンスキイ夫妻と「能」巴里の小劇場で石本己四雄の「能」公演があったと思うと、今度は又一層驚くべきことが起った。ニジンス
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ニジンスキイ夫妻と「能」

巴里の小劇場で石本己四雄の「能」公演があったと思うと、今度は又一層驚くべきことが起った。ニジンスキイとニジンスカアヤの二人が、公演の噂を誰かにきいたのか、それとも公演の観客の中に彼らの弟子でも紛れこんでいたのか、是非見たいと申込んで来たのである。その辺は例によって山田珠樹によって、いい意味でつんぼ棧敷におかれていたから、或日、「石本のお能をニジンスキイ夫妻に見せるんだよ」と言われてはじめて驚き、どこへでもお洒落をして出かけるのは好きな私は、歓《よろこ》んで仕度にかかった。日本を発つ時、父親と母親が新調してくれた総模様の留袖《とめそで》=お納戸地に小豆色や青磁色、珊瑚色《さんごいろ》、白、なぞで蝶と鳥の図案を大きく出した一越《ひとこし》で、白い絹糸で桜の花の刺繍のある帯に、珊瑚色の丸ぐけの帯止めだった。草履も帯地で造った珊瑚色《さんごいろ》だった=を着てショフウル(運転手)が眼を丸くしているタクシに乗りこんだ。夏は襯衣《シヤツ》に安ジャンパア、冬は、猟師が撃ちそこなった兎かむじなの毛を集めて繋いだような毛皮(毛の長さが不揃いで、色も茶や白、灰色のまだらである)をぼやぼやさせている巴里のショフウルである。ロペラやコメディ・フランセェズで巴里美人の中に混ってお得意の私はいざご帰館となると、こういうボロうんちゃんのオンボロタクシに乗った。矢田部達郎も石本己四雄の紋付、袴、を包んだ風呂敷包みを持って乗りこんだ。
行ってみるとニジンスキイ夫妻の宿っている巴里の豪華ホテル=豪華ホテルといっても古い巴里の建物の中に同じく古い時代の家具がどっしりと鎮《しず》まり返っている中に、そのころの流行の洋服のなりの巴里女がしっくりした調和で溶けこんでいるホテルであって、桐の間とかナントカの間があって、毒|茸《きのこ》のような卓子《テエブル》のある、入《はい》ったとたんに心臓が切なくなってくるような現代日本のホテルのようなのではない=かと思ったら、ロオゼンシュタイン(薔薇色の石という意味だが素晴しい名もあるものだ)というニジンスカアヤの女弟子のアパルトマンの広間で、もう他の弟子たちや、きき伝えた役者なぞが集まっていた。ジャンヌ・ダルクの面々は当時三十代で青年の覇気にみち、俺たちのように偉い奴はないという気持でジャンヌ・ダルクを梁山泊になぞらえていたが、わざわざ(自分たちは帝大名誉教授の卵である)なぞと先方へ言わなかったのだろうから、ニジンスキイ夫妻としては東洋の日本という国から来た学生達位に思っていたわけで、女弟子の家に招んで、そっと見に行こうという仕掛けになっていたらしい。少間《しばらく》すると高弟たちや、知り合いの役者たちに取囲まれたニジンスキイ夫妻が入って来たが、石本己四雄が始めると、流石はバレ・リュッスの名人である。彼らの眼はぴたりと、石本己四雄の爪先きの静かな動きに当てられた。その夜は矢田部達郎がロオゼンシュタインの憧憬を自分のものにした夜でもあった。
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