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記憶の絵89

时间: 2020-03-30    进入日语论坛
核心提示:巴里の降誕祭《クリスマス》巴里の降誕祭は、ホテル、ジャンヌ・ダルクの主人のジュフォオルが、友だちの家が、ミジ(仏蘭西の中
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巴里の降誕祭《クリスマス》

巴里の降誕祭は、ホテル、ジャンヌ・ダルクの主人のジュフォオルが、友だちの家が、ミジ(仏蘭西の中部地方)に行くので空くから、そこの家でやろうというので、辰野隆、矢田部達郎、山田珠樹(私の夫だった人)と私、それにジュフォオル夫婦と彼らの養女のルイズ、矢田部達郎のフランス語の会話の女教師のマドゥモァゼル、ショミイの八人で、その空家《あきや》へ行くことになった。料理はマダム、ジュフォオルが造って持ちこんだが酒はシャトオ・ラフィットの紅《あか》と、シャトオ・イキュエムの白をジュフォオルに金を渡して買わせた。料金は辰野隆と山田珠樹が一本宛負担した。赤茶色の髭がぶつぶつ顔一面にあるような感じのジュフォオルは、いつもの狡猾《キヤリイヌ》という形容詞そのものの微笑《わらい》を浮べて、辰野隆と山田珠樹との部屋の扉を叩いた。彼は(少し値段が片っぽうが高いが、お前はどっちにするか)と訊き、辰野と山田とが口を揃えて高い方を負担する、というのをきいて、両方から高い方の料金を受け取った。フランス人というのは、直《す》ぐにばれる嘘を吐き、八百屋の番頭の目を胡麻化し、一|法《フラン》でも、玉葱一つでも儲けようと、虎視眈々としている。どんなに少しの金でも出したがらない。そうして、ゴム紐十|糎《センチ》でも儲けた時はごきげんという人種である。貰うものはスリッパ片方でも喜ぶ。(il a gagn・/T-FONT>〈イラギャゲ〉)=あいつは得した、というのが、彼らの常用語である。八百屋の前を通りかかった婆さんの足元に、玉葱が一つころがってくる。婆さんは目にも止まらぬ早さでそれを拾い、その時何かしていた八百屋の小僧が振り返ると、にっこり笑って玉葱を差し出すのだ。(Merci madame)。小僧は礼を言って玉葱を受けとる。勿論小僧が振り返らなければ、玉葱は婆さんの前掛けの中へ入るのである。ホテル、ジャンヌ・ダルクの主人にとって客のだれかから食事をおごられて、主人夫婦と、ルイズとの三人分の食事の一回分が浮くことは素晴しい出来事である。(Cユest une f腎e!)=こいつは素晴しい=。皺の中に白粉を埋めた婆さんが、これも白粉と口紅で化粧をしたリロンデル(燕)と腕を組んで出かけようが、気ちがい博士が一人でにやにや笑っていようと、そんなことは彼らには関係ない。白粉婆さんが山田珠樹より多くの pourboire(チップ)を出せば、婆さんの方を尊敬するのである。考えるのにあの気ちがい博士が快く置いて貰えたのは、下宿代だけは決して忘れないか、或は頭がおかしいために規定より多く払っていたか、のどっちかだったのにちがいない。
ルイズは私の部屋に来て、緑色と赤と、黄色の三本の糸を見せ、(これを黒い洋服の襟に並べて刺繍するのだが、どの順に並べた方が調和がいいだろう)といって相談したり、去年の帽子の縁《へり》にリボンをまつりつけ、自分で造った花束を同じ色のリボンで囲んだ飾りを縫いつけたのを持って来て見せたりする。徹底してエコノミックな彼女たちだが、魚屋のおかみさんまでレジャー・マダムになった現代《いま》の日本よりは数十段立派である。
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