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記憶の絵96

时间: 2020-03-30    进入日语论坛
核心提示:欧羅巴の悪魔夫の肱に捉《つか》まって、伊太利《イタリア》の熱い太陽の下を歩いていたかと思うと薄暗い、冷え冷えした美術館の
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欧羅巴の悪魔

夫の肱に捉《つか》まって、伊太利《イタリア》の熱い太陽の下を歩いていたかと思うと薄暗い、冷え冷えした美術館の中に入る。又そこを出て太陽の光の中に出る。そういう日日の間《あいだ》で、私は或る日、マルセイユに上陸して以来私を包みはじめた、深い香《にお》いのようなものの根元《もと》、欧羅巴の中にある漠然とした魔力の核のようなものを見たように思った。学問の積み重ねで出来上った知性があって、その知性に照して見たのではないから、ほんとうにあったのか、どうか、それが欧羅巴の魅力のもと[#「もと」に傍点]かどうか、わからない。(ゆめ)のような話である。それは見たこともない偉きな神と、その神と同じ位偉きな悪魔である。その時にはただ(あった)と思っただけだったが、今考えるとその欧羅巴の悪魔は、神に抵抗し、神をねじ伏せようとしていたようで、いつか彼は、自分の中にある黒い魔の毒を神の中に混ぜこみ、その魔の毒の、フォア・グラのようなきめ[#「きめ」に傍点]の細かな摺りものを、神の裳裾の端にすりこんだらしい。へんなことを言うけれども、たしかに、私たち人間の仲間によくいる神様的な、清く正しい人間というものは、あまりに神様的すぎていやみである。蒸溜水を飲むと吐きたくなるが、鉱物や、微生物さえ入っている水は美味しい。ところでその神と悪魔をどこで見たかというと宗教画の中や、貴族の肖像の邪悪な眼差しの中にもいたようだが、彼らの存在を強く感じたのは、フィレンツェの美術館で天井を見上げていた時だ。美術館の天井は空のように広く、高くて、その亀裂《ひび》のある壁の空に、薄藍のと、薄紅との裳《も》を着た二つの神が、裳《も》を靡かせて左右から天翔り、差し延べている二つの神の掌は指先が今にも触れようとしている。夫の説明によると聖霊を授けているところなのである。私は何故とも知らず恐怖して、夫の肱にかけた手に力を入れ、灰色の壁の空を仰いだ。二羽の巨大な鷲が、その大きな翅で空を蔽いかくしているかのような恐怖である。幼いころから、月のある、星のある、明るいものと想っていた私の空を、黒い翼の影が蔽ってしまっていた。その時|巨《おお》きな、豊かな、翼の音がして、私は欧羅巴の神と悪魔とを見たのだ。その神は基督とも異っていたようだ。神は真実《ほんとう》に清らかで恐ろしく、悪魔は底しれない魅惑を持っていた。美術館を出ると、熱い伊太利《イタリア》の午《ひる》が黄金色《きんいろ》に輝き、運河は鈍く重い橄欖《オリイヴ》色に澱んでいる。青い空を押し上げ、辺りに張り漲《みなぎ》っている黄金色の中には神がい、邪悪を吹き上げる鈍色《にびいろ》の運河の中には悪魔がいる。私たち二人の前に、後《うしろ》に、鳴りわたる寺院の鐘の音と一しょに、私たちは魂のないもののようになって、その光景の中に、偉きな神と悪魔が朧気《おぼろげ》な形を私に見せている、伊太利の懶い午の中に閉じこめ、塗りこめてしまうように、思われた、魅力の中にある(魔のようなもの)というものは怖ろしいものである。
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