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記憶の絵99

时间: 2020-03-30    进入日语论坛
核心提示:震災風景例によって私は地震でも平然として、自分の中に閉じ籠っていろいろなものを見ていたので次の日廊下ですれ違ったお芳さん
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震災風景

例によって私は地震でも平然として、自分の中に閉じ籠っていろいろなものを見ていたので次の日廊下ですれ違ったお芳さんに「奥さま、きょうはお風呂がお庭ですよ」と言われてやっと湯殿の壁が落ちたのかと思った。地味な縞の浴衣に墨絵で雁と葦の白地の夏帯のお芳さんにはその時どこやら水にかえった魚のようなところがあった。それは、事実は大分待合じみてはいたのだが、彼女としては野暮なお邸の中に来たわけで、その日は二階の廊下からまる見えの、庭の池に渡した石の上に湯桶を据え、葭簀《よしず》で囲っただけで次々と女たちが入るのであるから、彼女の生い立った芸者屋で地震があったらそんな風なことになるだろうと、容易に想像のつく風景が、お邸の中に展開したことになり、それがなんとなしに彼女を生き生きとさせたのに違いなかった。まして芸者家の空気にふれて来た直ぐ後《あと》である。家が半焼けになって三田台町に来ていた斎藤愛子は三十三だが、その頃の三十三歳は今の四十の女位大人だから、歌麿の感じに不足がない。お芳さんは衰えてはいたが、芸者の裸の感じ充分で、これは全くの浮世絵。(彼女の育った世界のヘチャな女は猫の絵草紙=猫が人間の女の体で銭湯に入っている=そっくりだったのである)大正の半玉と令嬢との混じりの富子は桃色で、裸になるといよいよ大人である。母親が一応、たて膝をして入浴する日本の女の形を示していたのにも拘らず、(彼女は浮世絵式ではなかった)私はそういう形はするものの、どこか形が出来ていない。言いたくないが巴里で十九になって、その時は二十、富子ほどではなくても充分ませていていい筈であるのに、まだ子供の分子が残っていた。そういうドゥロオル、フィイユ(奇妙な娘)の私も混って次々と入浴した。
金沢の兼六公園によく似た、池には鉄? の鶴が立っている日本庭園の、遥か彼方《あなた》、塀際に煙る樹々の梢のその又向うの空のあなたに、どこかの二階がありそうな、そこから見えそうな、一種の不安と、広い処に出ると自分が空気の中に分解してしまいそうに不安になる癖が裸のために一層ひどかったこともあって、妙な気分で入浴した。上がって富子と二人、浴衣を着て葭簀を二、三歩出ると、二階の欄干に俊輔と豊彦が見えたので二人は駈け出したが、敵は近くにあったのである。富子の方はそれほど驚かず、どうやらそれを知っていたらしいのにも愕いた。陽朔のせいではないが、三田台町は固いようで軟い家庭だった。漢文も読み、いい字を書く陽朔は挨拶なぞも喧しかったが、その点は、姉さん芸者の前を黙って通ったら大変だとか、着物を畳んで寝るとかいう、花柳界の経験を持ったお芳さんと一致した模様である。警防団に加わり、天水桶に腰かけて冷酒を飲んだために腹をこわして寝ていた珠樹の枕元に直ぐ行った私は、あずけておいた指環を嵌めてくれる珠樹も、それを知っているらしいのを、感じた。
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