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記憶の絵102

时间: 2020-03-31    进入日语论坛
核心提示:続々・目白時代或日、奥さんと子供とは庭と縁側とで話していた。(杏の種を蒔きましょうか?)。(駄目、杏は秋蒔きだよ)。母親
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続々・目白時代

或日、奥さんと子供とは庭と縁側とで話していた。(杏の種を蒔きましょうか?)。(駄目、杏は秋蒔きだよ)。母親が寄木細工の種の箱を再び箪笥の上に返した時、玄関の呼鈴《ベル》が鳴り、行くと、茶っぽい絣の着物に羽織の、一寸田舎染みた男がもっさり立っていた。珠樹の親しい友達だと名乗った男は、私の仏英和時代の上級生の兄であることがわかった。たしかに小倉さんと言ったその三級上の女生徒は或日私が、その日誕生日だったマ・スウルに上げろと言って父親が持たせた花束を持って階段を上った時に上から下りて来て、黙って私を見て微笑《わら》ったことがある。その生徒の顔は玄関に立っている顔と全く同じである。その頃生徒の間にSという言葉が流行っていて、私はそれが生徒同志で仲のいい人たちのことだ位の意味までは判っていて、その時その言葉がなんとなく頭に浮んだ記憶があった。珠樹はいなかったが私は「お上りなさい」と、言った。例のないことだが私はよほど退屈していたようだ。二十三歳と六つとの、二人の暗い子供は小倉さんに従いて二階に上った。小倉という男は善良そうな人物で、障子のところに立ち、煙草の煙を輪にして吹きかけて見せてくれた。二人の暗い子供を一寸の間遊ばせて帰って行った小倉は間もなく重い病気に冒り、珠樹は見舞いに行ったが、帰ってくると言った。(小倉が茉莉子さんを外へ伴れて行って遣れよ、って言ったよ)と。彼がつい言ってしまったらしいその言葉から私は、山田珠樹の抱きはじめた一種の疑いのようなものが、友達の間に広く伝播していたことと、小倉が暗い顔で倦みはてていた母子を見て、珠樹の疑いが猜疑だと見ぬいて、そうして気の毒に思ったこととを知った。この出来事は山田珠樹を愛して、彼の言葉を忽ちに信じた辰野隆等々の七賢の面々が知らずにいた、一つの挿話《エピソオド》である。矢田部達郎は、山田珠樹の持っている暗黒なものを誰からも知らされていないようで、近くに住んでいる彼が庭の木戸を開けて入ってくることは暗い母と子との歓びだった。彼は疑惑の父を混えた親子三人とも、母子二人とも、遊んだ。四人で目白の女子大の塀の続く暗い横丁にあった小さな氷屋で氷水を飲んだり、花火をしたりした思い出がひどく楽しい。二十三歳になった私に軽いフリルテの言葉を投げるようになっていた彼が或日、私に(どこかへ行かない?)と言った時私は、(珠樹が今度一緒に行くと言ってるから)と、小さな声で言っている自分に気づいて愕いた。ごく軽い意味だと解っているのにも拘らず、目白の家の門が、明るい小道に向って毎日毎日無駄に開け放たれているのを哀しみで一杯で眺めていたのにも拘らず、珠樹がその頃下谷で遊んでいたのにも拘らず断ったからだ。私は自分の体の中に、自分でも知らずにいた固いものがあるのを、みた。山田陽朔が駒込駅に家を建て、そこへ移る日が近づいていた。大正の終りの年である。
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