返回首页
当前位置: 首页 »日语阅读 » 日本名家名篇 » 作品合集 » 正文

記憶の絵103

时间: 2020-03-31    进入日语论坛
核心提示:大和村の家駒込駅から橋を渡って線路づたいに右へ入り、少し行って左に曲ると、大和村と称する分譲地があり、大きな屋敷ばかりが
(单词翻译:双击或拖选)
大和村の家

駒込駅から橋を渡って線路づたいに右へ入り、少し行って左に曲ると、大和村と称する分譲地があり、大きな屋敷ばかりが既に七分通り建ち並んでいた。その中の角地の一つが、陽朔の建てた今度の山田珠樹の家である。どの家も灰色で、同じ傾向の技術を持った大工が建てたのだろうが皆同じ型の四角な家で、そこら一体妙に明るく、空気までほの明るい灰色に見えた。金持の家ばかりのようで、当時の総理大臣だった若槻礼次郎の家は最も大きく、広大な庭のある辺りを通りかかると雉子《きじ》の鳴く声を聴くことがあるという評判を、商人たちがしていた。私はその塀の辺りを通って丸山町の市電の停留所に出ることがあるので、通る度に耳を澄ましたが、ついに一度も雉子の声は聴えなかった。私は父親が戴いて帰った宮中の料理で、雉子の肉の味を知っていて、形は動物園で見ており、死んでぐにゃりとなったところは春木屋(鶏肉屋)でお眼にかかることがあるので、これで声を知れば、雉子という山鳥については略《ほぼ》完全な知識を持つことになると思って、通る度に耳を澄ました。出入りの商人と世間話をすることがなく(出来てもしないのなら上品な奥さんだが、私の場合はしようと思っても出来ないのである)女中たちから出入りの商人直輸入の隣近所の噂というものを、間接輸入することも全く無い、という変人であるから、陽朔だか、お芳さんだかから聴いて若槻礼次郎邸を知っていただけである。目白時代には、赤屋根の家であることや、邸町ながらに開放的なところがあり、もの売りの声も長閑で、自由に出て行くわけにはいかなくても表の小道にも燦々《さんさん》と陽が当っていて、珠樹の中のどこかに潜んでいるらしい魔もののせいで珠樹との間にいくらか冷ややかなものが流れて来ていたとはいっても、家は一寸馬鹿げた位に明るかった。それで缶のミルクがとよ、とよ、お葡萄もおやすみ、グッドナイ、なぞといって、子供の国を読む母子の姿も、黄色く光る午後の陽光の中では、雑誌の絵も、辺りも明るく、どこか温かいものにつき纏われていたが、石塀の家の、灰色の光の中では、戸棚から出してくる雑誌の絵もそっけなく、冷い。ガランと四角い、何もない庭に、或日陽朔がよこした植木屋が楓を十二、三本運んで来て、何処に植えましょうと、言った。丁度矢田部達郎が来ていて、珠樹と達郎という造庭知識皆無の人の命令で、楓の若木がひょろひょろと塀際と、寝室の窓の下に二本を植えられた。甲野さん的陰鬱が一段と加わった珠樹が大嶋の羽織を長身に短く引っかけ、懐手で立ってあれこれ言い、オマァ・シャリフそっくりの達郎が黒地絣の銘仙に下駄ばきで(ここに一本植えろよ)なぞと言って定めた。それはたしかに大正の色のまだ濃い時期の、心理とフランスとの、帝大助教授の風俗だった。窓から暗い顔を一寸面白そうにして眺めている、西洋式に束ねた髪で円い顔の私は又大正の奥さんであった。
轻松学日语,快乐背单词(免费在线日语单词学习)---点击进入
顶一下
(0)
0%
踩一下
(0)
0%

[查看全部]  相关评论