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記憶の絵106

时间: 2020-03-31    进入日语论坛
核心提示:続々・大和村の家やがて山田珠樹はニュウヨオクで購ったポオタブルと、十枚のレコオドを携え、今度はプレジデント・ウィルスンと
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続々・大和村の家

やがて山田珠樹はニュウヨオクで購ったポオタブルと、十枚のレコオドを携え、今度はプレジデント・ウィルスンという船で帰国した。カルウゾオの(アディオ、ナポリ)や(シエロ、チュルキイノ)の赤盤に削った竹針を落とすと、伊太利の歌い手の、咽喉一杯に歌う、楽しい鳥のような生命《いのち》の歌が流れ出し、薄《うつす》らと白い、空虚の部屋の中に、声高らかにひびきわたった。この世の楽しさと哀しみ、人間の生命《いのち》の歓びと哀しみが、竹の針の尖端《さき》から楽しい汎濫のように溢れ、既に楽しさが遠くに去った私の耳に響いた。矢田部達郎はむろん来なくなり、他の友だち連は、ぶらりと来て、珠樹がいなくても上がって行くというようなことが前からないので、完全な醇風良俗のご家庭同志の交際《つきあ》いとなり、私の部屋は風と音楽の他には吹き通うものがない日が多くなった。小学一年になった子供が学校から帰ると、(アサヒ、マツ、ツル、シカ、ウシ、ツノ、シカのツノ)なぞという母子の声がし、それが止むと何やら熱心に囁きあうのが聴える。目白の家で生れた次男が喋り始めたかた言《こと》を、大学ノオトに書き込んで、山田亨の語彙《ごい》集を造ろうとするのである。二十五になっても、精神に未発育の部分があるのか、母親は相変らず柿をたべても、蜜柑をたべても、種を持って子供と庭へ出て行く。斎藤愛子が呉れた白犬が冬の始めから一員として加わった。クオレ(小説)に出てくるキャピという犬の名をつけられた犬は、義姉の丹精で白く輝いていて、デュウレルの肖像画の老人の髪のように、耳や腰、尾の辺りは美しい巻毛になっていたが、家族の世話は殆ど女中たちによってされるこの家で、女中の中に犬好きがいなかったために、デュウレルの巻毛は忽ち艶を失った。艶を失っただけではなくだんだん抜け落ち始め、キャピは閉め切った硝子扉の向うに、白い魔のように走り廻った。山田珠樹と、茉莉、とを愛していた矢田部達郎が来ないようになってから茉莉が植木屋に植えさせた芝生の色がまだところどころ青を残しているのが、白い魔の後《うしろ》に蒼ざめて拡がり、斎藤省三の会社から入れたスチイムは、山田珠樹以外に扱えないのでどうかすると火が消えて、家は忽ち隈《くま》なく冷えわたった。大学から帰った珠樹が、痩せた体に普段着を能衣裳のように後から上前が見える程キリキリに巻きつけ、左手は懐手でシャベルで石炭を、帝国ホテルの冷蔵庫位ある釜の焚口に放りこむと、火は忽ち地獄の業火のように燃え上った。山田珠樹にも茉莉にも、どうすることも出来ない、珠樹の中の憂鬱の虫が因《もと》で、この壊れかけたピアノのような家庭がとうとう壊れる日は暈《ぼや》けた風景の中で近づいたが、白犬が抜け毛を振り落して駈け廻ったり、高価なスチイムが年中|止《と》まったり、私のいるところに起ることというものは常にどこか滑稽である。相談をしたかった父親も、矢田部達郎も、一人は土の下に、一人は九州に、去っていた。私は一人で考え、一人でこの家を出た。
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