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もめん随筆12

时间: 2020-03-31    进入日语论坛
核心提示:七月廿四日昼のうたた寝に芥川さんの夢を見た。しんとした屋敷町のせまい路を芥川さんと二人で歩いてゐる。真昼の事で空も地面も
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七月廿四日

昼のうたた寝に芥川さんの夢を見た。しんとした屋敷町のせまい路を芥川さんと二人で歩いてゐる。真昼の事で空も地面も白白と明るいのにどこからか暗いかげがさして夜中のやうな心細い気もちがする。芥川さんのお宅には何か取込事があつて大勢集まつて騒いでゐるらしいのに、芥川さんはそれをよそにしてこつそりと抜け出して来られたらしい。芥川さんの行かれる先きが何となく気がかりで、私はしきりに芥川さんの御機嫌をとりながら随いてゆくと、何処からか若いやうな老けたやうな女の人が一人出てきて、芥川さんの手に血みどろの赤児を渡した。私は突然ぞつとするやうな寒気におそはれ、それでもまだ芥川さんを見失ふまいと、石くれと土でこさへた段段のやうなところを一トあし一トあし降りていつた。血みどろの赤児を抱へた芥川さんと私とのならんだ左手に、ゆさゆさと空をおほふやうに枝をのばした大きな樹が、鬱蒼とまるで森林のやうに茂つてゐる。——
眼がさめるとびつしより盗汗をかいてゐた。をかしな夢を見たものだと思ふよりもさきに、しんとした四辺の気配が夢の中の真昼のやうにぞつと身に沁みて、私はわつと声をあげながら飛び起きた。さんさんと明るい午後であつたのに、子供の時黒い板硝子に眼をあてて日蝕をのぞいたやうな、きらきらとした太陽の銀盆が半分欠けてゐるやうな、何か手頼りない寂しさが四辺から迫つて来た。
 その年の夏は暑かつた。七月の廿四日、とりわけて暑い日に、おなじ矢来うちにかねがね頼んでおいた古風な家をやつと貸して貰へる事ときまり、汗をふきふき引越しの荷ごしらへを初めてゐた。芥川さんが死なれた、——といふ思ひもよらぬ出来事を、私は汗と埃の荷物の中で耳にした。一どきに疲れが出てくたくたと坐りこみ、涙さへも出なかつた。
やうやくにその事が事実であるとわかりかけると、今度は又とめどなくほろほろとこぼれる涙のあひまから取りとめもなくあれこれと芥川さんの事が思ひ出された。まことに浅い御縁であつた。だが浅い御縁であればあるだけたつた二度よりお眼にかからないその時時のありさまが、写真にとつて残しておいたやうにこまごまと思ひ出されてくるのである。初めてお眼にかかつたのはその年の二月九日、漱石山房の夜の事で、帰りがけには他の先生方と御一緒にうちまでお寄り下すつた。一時すぎにもなつたと思ふ深夜、矢来の交番前から田端のお宅までお送りしたその時の自動車代が、後から見るとちやんと支払ひずみになつてゐる。その上に又短冊まで書いて頂いて、お礼にも伺はぬうち突然逝つてしまはれた。気もちの上の事はもとよりながらそんな些細な事までも芥川さんには借りばかり、芥川さんは貸しばかり残して御自分ひとりいきなりちがふ世界へ行つてしまはれたのかと思ふとくやしかつた。親切ばかり残された人の心といふものがどれ程みじめなものであるか、芥川さんに訴へたい。その、その芥川さんが最早や永久に私達の周囲から姿を消してしまはれた。
翌朝は腫れぼつたい眼のままに、物憂い身体を起して田端まで伺つた。その年の四月三日に初めて内田先生に連れてきて頂いた事があるのだけれど、道が何だかごたごたしてまるきりわからないので運転手に聞いてもらつて通りに車を待たせておき、ゆるやかな坂道をひとり歩いてゆくとすぐ石くれと土でこさへた段段につきあたつた。そこをのぼつて左へ折れるとひつそりとした細い路で、小ぢんまりとした家家が曇り日の下にならんでゐる。私の前をいかにも山の手の奥さんらしい若いけれども落着いた感じの人が、小さな赤ちやんを抱きながらもの静かに歩いてゐる。さうだ、この奥さんには前にも会つたと思ひながら行くうちに、何処からか女中が出て来て奥さんに蛇の目の傘を渡し、さうして赤ちやんを奥さんの手から受け取つた。二人は私を道の傍へよけ笑ひながら話してゐる。——蛇の目の傘ではなかつた筈だ、私はなぜだかそんな事を思ひながら、ぼんやりと芥川さんの門をくぐつて、又ぼんやりと帰つて来た。石くれと土でこさへた段段を降りながら、左手の方に榎であらうか空をおほふばかり鬱蒼と茂りあうた樹立を眺めて、ああこの樹も前に見た樹と思つた。
 引越しを一日のばして、手伝ひの人達にも帰つてもらひ、疲れた身体をすこしでも休めようと横になつても眠られなかつた。新しくきまつた家には庭に枝ぶりのいい松があり、私はそれを見た時すぐその家へ芥川さんに入らして頂く事を考へた。桜があつたり楓があつたり、裏口には矢来で二番とかいふ大きなとちの樹があつたり、さうかと思へば庭のまん中に大根花が咲いてゐたりして、まるで山家へ行つたやうなその風情を、芥川さんはきつと好いて下さるだらうとひとりぎめして考へたそれも無駄になつてしまつた。くすんだ萌黄の糸のはいつた古風な格子縞の着物に、筑波織とかいふ茶人風な羽織をかさねて、それがよく身について見えたのは二月九日の夜の芥川さんである。私が鈴木先生に短冊を書いていただく傍から、僕にもとねだられて、たしか紅の短冊に、珊吉おすゞと三重吉先生は御自分の可愛いお子さんのお名前を書いてあげられた。——「涙が出るぞう」と酔うてほんたうに涙を浮べられた鈴木先生に、幾度かうなづき返して「わかる。わかる。……僕も涙がこぼれます」と眼をしばたたいた芥川さん。その短冊を大切さうに背中へさし入れてお帰りになつたが、あ、もうあの時からうすうすと今日の覚悟がおありになつたのではなからうか。
 しんと更けた夜の机の前にただ一人坐つてゐると、又新しい涙がながれてきてひとしきりむせんだあと、私は蚊遣りの匂ひの眼にしみいるのをこらへながらただぼんやりと空を見つめてゐた。あけ放したままの縁側の向うに、すこしばかりの庭樹がよりあつて、いきものが黙つたやうに音もなくぢつとしてゐる。——不意に私は背中から水を浴びせられたやうにぞつとした。さつき通つたあの樹立のわきの道、石段段のある道は、あれはこの前百〓先生と御一緒に行つた時の道ではない。一度も通らぬあの道をまへにも来たとばかり思つてゐたのは、——さうだ、あれは初めて芥川さんのお宅へ伺つてから三日目の、四月六日のふしぎな夢の中で芥川さんと御一緒に歩いた道であつた。
明るい朝陽がさしてくるまで、私はものにしばられたやうに机の前から動けなかつた。手をふれると自分のからだがせともののやうに冷えてゐる。ほんの偶然にすぎぬのであらう。幾度となくさう思つたが、しかしその日は一日ぢゆう私は無暗に寒かつた。
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