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もめん随筆14

时间: 2020-03-31    进入日语论坛
核心提示:人妻今度の関西の暴風雨は思ひのほかにひどかつた。天王寺の五重の塔が飛んでしまつたときいて夢のやうな心地がするにつけても、
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人妻

今度の関西の暴風雨は思ひのほかにひどかつた。天王寺の五重の塔が飛んでしまつたときいて夢のやうな心地がするにつけても、思出すのは初めて大阪へ行つた時の事である。十月初めのうすら寒い夕方、信越線を廻つて塩尻で乗換へ名古屋で乗換へ亀山で乗換へ、東京から大阪までの旅に二日もかかつた私達は、やうやくの思ひで天王寺の駅へ着いたのであつた。震災直後の秋の事である。
亀山からの汽車の中で私達は年増の女中をつれた新婚旅行の人人と乗りあはせた。新婚旅行に女中をつれて歩くのも東京ではあまり見馴れぬ風習だが、そのお嫁さんは黒地に大きく梅の花を木ごと染めだした羽織を着て、その柄の奇抜さはもの珍しく眼に残つた。お嫁さんは白く丸くつきたてのお餅のやうな顔をしてゐて、女中とばかり話した。奈良からは子供を連れた遠足帰りらしい家族連れが大勢乗り、車内は急に賑かになつた。その一行の婦人達は乗つてくるなり手提の中から酢こんぶを出して噛みながら、よくしやべりよく笑つた。その人達の手折つてきた一枝のうす紅葉があみ棚の上にあり、私達が天王寺の駅で降りてからも、汽車はその一枝のうす紅葉をのせて湊町へ向いて疾走していつた事を、なぜかいまなほ忘れ難い。
大阪に三年暮し、私は戸外へ出る度に腹をたててばかりゐた。何処へ行つても旦那さんばかりが大切に扱はれて、殊にたべ物屋の階段を上る時なぞ、いくら夫が手を差出しても下足番は執拗に私に合札を握らせねば承知しないし、たべ終つて座をたつ時女中はあるだけの荷物全部を必ず私の手につきつけるからである。ある百貨店の食堂では、偶ま先きに椅子についた夫が私のために一杯の茶を汲んでくれた時、女給仕はクスクスと笑ひ出し、すぐ友達を呼んできて私達を指してもう一度笑ひ直した。大阪の奥さん方は戸外へ出てまでこんな差別待遇を受けながら、それでよく黙つてゐると私は他人の事にまで又余計な腹をたてた。しかしいまでは大阪も加速度にひらけてきて、もうこんな事はない。
退屈で何にもする事がなかつたから、仏蘭西語を習はうと思つた。谷町といふところに聖母女学院といふ仏蘭西の宗教学校があつて、そこの先生のふらんすの尼僧達が放課後に個人教授をしてくれる。仏蘭西語の他にもピアノや刺繍やペンペンテイング——あのペンのさきに油絵具をつけて刺繍のやうに絵を描く方法なども教へるので、花やかな令嬢や若夫人がいつも応接室に二三人は時間を待つてゐた。元気のいい女学生達の帰つたあと、急に静まり返つた教室の窓から、青草の伸びるがままに茂つた中庭が見渡され、大阪の市中とは思へぬ程しんとした感じで、折折の風に草の匂ひが流れた。ボンジユウル、マメエル、コンマンタリヴ? そつと足音もなくはいつてくる尼僧に私は大いそぎで挨拶をするのだが、いつも私の声は四方の壁からがんとはね返つてきて、私はその度にびくりとした。気持が冷たくなつてくる程ひつそりとまるでお寺のやうな学校であつたが、それでも応接室だけはさすがに賑かで、やがて私にもものをいふ相手が出来た。「あんたのハズさん何してはるのん」「銀行員。——あんたのとこは」「うちとこ大阪に事務所あるねん」何の商売とも云はなかつたが、家は蘆屋にあつて、大村さんといふその若夫人は蘆屋から出てくるのであつた。大柄な色の白い、すこし怒つた肩つきがかへつて品よく見える人で、いつも帯から半衿から草履の先まで手のこんだ刺繍づくめの贅沢な服装をしてゐた。「うちあんた好きやねん、友達になつてほしいわ」見込まれて友達になつたけれど、別に手紙のやりとりをするのでもなく、お互ひの身の上話をするのでもなく、ただ学校の帰りに一しよに心斎橋をぶらぶらして、先生の噂などしながらお茶を飲んで別れるだけの事であつた。大村さんはピアノを習つてゐた。大きな教則本を重さうに抱へながら、自分も前には仏蘭西語をやつてゐたのだけれど、あの尼僧の先生は復習を怠るとひどく怒るから面倒になつて止めてしまつた。「あんたもう何べんぐらゐ怒られたん」と隔てなくきくので、一ぺんも叱られない、それどころか大へんよい生徒だとほめられてばかりゐる「ビヤンビヤントレビヤンて云はれるわ」と先生の身ぶりをして見せると「ふうん」とちよつと羨ましさうな顔をして「うちも又仏蘭西語して見ようかしらん」仏蘭西語だつてピアノだつて好きでもきらひでもないけれど、何にもする事がないから習つてゐるまでの話である、だからいつ止めてもいいし、いつ初めてもいいのだと云つた。一年ほどのつきあひに旦那さんの話はただの一度もしなかつた。私はそれが気に入つた。後年私は谷崎先生の「まんじ」を読み、あの中の柿内未亡人がそつくりそのままあの大村さんに思はれてならなかつた。いつも何か物憂いやうな焦点のない表情で、それでその一ト皮下に激しい情熱がうかがはれた。とき色とかうす藤色クリイムなどのとけいるやうな淡色ばかり身につけて、眉の下のぼうつとして見える大村さんは、いつも自分では何を探してゐるのかわからなかつたのであるかも知れない。つきあひが絶えてからもう七八年も経つけれどいつまでも忘れ難く、ばたんばたんと草履の先で土を蹴つて歩く癖までがなつかしく思出されてくるのである。
人妻の美しさは源氏物語の紫の上に、人妻のあはれさは十三夜のおせきにと、馬鹿の一つおぼえで身に沁みてゐるけれど、二つながらいまの世では到底会へさうにも思はれない。奥さんといふものは家に台所があるやうに軒並にありながら、さてどの人もつきあつてはどうやら玉葱をむくやうになかなかつきあひにくいのである。むいてもむいても皮があり、うつかりしてゐると泣かされる。この広い世の中で旦那さんひとり大切にしてゐれば、まづ衣食住には事欠かぬ奥さん家業の職業意識が、不知不識他の女に対していつも油断のない身がまへをさせる事になるのであらうか。男女同権といふ言葉がすたれて男女協力と云はれるために、此頃はどこの家でも主人を大切にする事が一般に流行つてゐる。郊外の小住宅区域に暮すと日ぐれ方、新しい袷の銘仙を着た若い奥さんが、お白粉とほほ紅で鮮かに彩つた顔を門口に晒して旦那さんの帰りを待つてゐる。近所隣の奥さん方と一ときの社交の時間でもあるらしいが、然し何となく昔の吉原の張店を想起させ、あまり見よいものではない。おや今日は隣の細君の方が……と洒落た亭主なれば思はぬこともなからうとそんな失礼な推察までされなくもないのである。若い夫婦が連立つて美しく装つて出掛けるのはよその見る眼も爽かだが、若い細君は化粧をしたら必ず家の中に居るべきで、断じて門口に立つてお喋舌をしてはならぬ。待つてゐる者が一夜の夫でも一生の夫でも変りなく見えるからである。
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