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もめん随筆16

时间: 2020-03-31    进入日语论坛
核心提示:冬を迎へるこころ暑い暑いとかこつてゐたのはつい昨日の心地がするのに、自分はもう縁側の硝子障子をしめきり、座布団を持出して
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冬を迎へるこころ

暑い暑いとかこつてゐたのはつい昨日の心地がするのに、自分はもう縁側の硝子障子をしめきり、座布団を持出して日向を恋うてゐる。季節のうつりかはりの慌しさは、年を追うてますます激しくなりまさつてゆく。紙と木の家に住む自分は、縁側からすぐ土の黒い庭へつづく起居を毎日楽しんでゐたのに、いま硝子障子をしめきつて陽のぬくもりをなつかしみながら、もし家をたてるならばと思ふ事には、何よりも第一に完全な暖房装置のある部屋がほしい。それにはどうしても洋館でなくては、障子と襖ではいくら電気ストオヴをたいてみたところで、ほんたうに暖かいといふ訳にはゆかぬであらう。硝子ごしにすぐ日光が身体にあたる窓のある部屋。厚い壁と一枚の重いドアとですべてのものから絶縁され、完全に一人きりになれる部屋。さういふ部屋で自分はひとりぼんやりと日光浴をしながら、誰にも煩はされる事なく、越年する草木のやうに黙つて暮したいと思ふのである。子供たちにどんな家が欲しいかとたづねると彼等は言下に西洋館と答へる。まつたく彼等は洋服を着て育ち、椅子に腰かけてよみ書きを習ひ、食事の時は純粋の日本料理をきらつて、ハムとかカツレツとかさういつたものを好んでたべる。その日常に、洋館の方をどんなに住みよいかと思ふのは無理からぬ話であらう。家に一脚のソフアがあれば彼等は寝ころぶ時決して畳の上には横にならず、すこし勉強に疲れたと云つては身軽るにソフアの上へ足を伸ばしてゐる。その姿は見てゐる者の眼にもいかにもらくさうで、又ほんのちよつとのくたびれ休みといふ気持にふさはしい。しかしそれなれば彼等は見るものも聞くものも凡て西洋のものがよいかと云へば、決してさうではないのである。縦に書く文字を習うてゐる彼等は考へる事もやはり縦に書く思想で、よらば斬るぞの剣劇や印を結ぶ忍術の魅力は、いつになつても消えるといふ事がないらしく、家では買つてやりもしないのに教育講談全集などといふ本を友達に借りてきて熱心に読み、忠臣蔵の話はいつでも飽きる事なく聞きたがるのである。彼等は成長すれば必ず一度は忠臣蔵の芝居を見、浪子と武男の芝居も見たがるであらう。いまは洋館を欲しいと思ふ自分も又、夏がくるとその考へは変り、畳から縁側へ縁側から庭への、家と外との区別すらはつきりしない日本の住居を、ぜひこれでなくてはと思ふであらう。その時西洋館の事を思へば、あの脊の高い窓ばかりの部屋では、息がつまると考へるにちがひない。
時の文相がパパママを禁止すると新聞に出て以来、そちこちの小家庭で時時それが話題になる。「坊ちやん、パパはおうちですか」「パパは今日からゐなくなつたの、お父さんならゐるの」そんな漫画が何処かに出てゐた。子供がそれを見つけて、「やあ、うちとおんなし事が書いてある」と手を拍つて喜んだのは、あの新聞記事が出た日の朝、父親が非常に威張つて、「さあ今日からはお父さんと呼ばせて、絶対服従を命令する。信坊煙草を持つてこい。新聞をとつてこい」と宣言したからである。「ちつとも怖くないや」と子供は笑つて逃げていつたが、まつたく今からではもう遅すぎる。十数年のあひだパパと呼び慣はした親しみを、お父さんの観念にかへるには、子供も又相当の時日を要する。
パパママといふ言葉は実際あまり品のいい、奥床しい言葉とは言ひかねる。それはちやうど文化住宅で、畳の上に椅子を置いて、カレーライスをたべるやうな、上辷りのした感じである。心ある人は初めからその浮薄を避けてお父さんと呼ばせてゐる。だがさういふ家庭の子女が凡て親を尊敬してゐるかと云へば、あながちさうばかりではないらしい。親に理解がなくて困ると不平をもらしてゐる家の子は、必ず躾が厳格である。家では思ふ存分云はして貰へない鬱憤を、自然戸外へ出てはらす事になるのであらう。
幼ない日の自分をふりかへつて、やはり私にもおなじやうな悩みのあつたのをほろ苦く思出す。私の生れたのは札幌で、そこはある意味では日本の外国とも云ふやうな土地であつたが、進歩的な父に引かへ、母は極く旧式な口叱言の多い人であつた。父が私に洋服を着せておくのをひどく嫌つて、西洋人の子供と遊ぶ事にも余りよい顔をしなかつた。それで家へは誰も連れて来られなかつたが、私が病気をして寝てゐると、ふだん遊びにくる日本人の子は寄りつきもしないのに、ミリアムさんといふ牧師さんの子供は必ず見舞に来てくれた。そして私が薬を厭がつて母に叱られてゐるのを見ると、大人のやうな生まじめな顔で忠告をするのである。
「ママのいふ事をよくきいて早くよくなりなさい」
非常に日本語のうまい子であつたがなぜか、お父さんお母さんといふ言葉が云へないのである。いつもあんたのママはあんたのパパはと云ふので、私も自然にうちのママがうちのパパがと話すやうになつてゐた。お母さんと云ふよりも、ママといふ方が何か自由で、子供心にものびのびと青空を見るやうな思ひがした。戸外へ出てミリアムさんに、うちのママがねと云つてゐると、女の子といふものはと箸のあげおろしに叱言をいふ厭なお母さんの姿が消えて、優しいハイカラなものわかりのよいママの顔が浮んで来、私は幸福になるのであつた。そのママは私が本を読む事も木登りをする事も縄飛びをする事も決して叱つたりなぞしない。いつもにこにこと見てゐてくれて、そして時には私の考へたお伽噺を、それから、それからと優しくきいてくれさへするのである。
しかし、だからと云つて私は自分の子に、パパママと呼ばせようとは夢にも思つてゐなかつた。パパとかお父さんとかいふ呼称の区別といふものは、年がたてばおのづからどうでもよくなつてくるし、私は長女の生れた時何も考へずお父さんお母さんと云つてゐた。ところがつむじまがりのその娘は、なぜかまるで唖のやうに、いつまで経つてもその言葉をおぼえようとはしないのである。誕生過ぎて幾月かたち、よその子供さんは皆しきりに巣立ちした鳥が囀るやうに絶間なくしやべつてゐるのに、娘はたつた二つの言葉より云ふ事が出来なかつた。ヂヂ、トブとそれだけで、ヂヂはお祖父さん、トブとはお豆腐の事なのである。だがそのほかにもう二つだけ、彼女は誰からも教へられずひとりで云ひだした言葉があつた。パッパ、マンマ。——その頃の私は片言をひどく嫌つて、足をあんよとか御飯をまンまとかそんな風に云つた事は一度もないので、或ひはそのためにも一そう言葉がおくれたのであつたかも知れないが、さういふ彼女がいたいけな姿で、おぼつかなく縁側の硝子障子をたたきながら、マンマ、パッパとひとりで自分の言葉をたのしむやうに繰返し繰返し云つてゐるのを見た時には、思はずはつとした。
文化住宅といふものを私は昔からきらひである。見つきもよく間取りの都合にも無駄のないその住居は、ちやうどカロリーとビタミンとをはかりにかけてこしらへた栄養料理とおなじ事で、住みよくはあるが味がない。雲丹やこのわたの妙なうま味が忘れかねる自分などには栄養料理は苦手であるが、しかし子供は雲丹やこのわたなど喰べる必要がないのである。子供はしびれを切らしつつ坐つて御飯をたべるよりも、椅子に腰かけて喰べる方が第一身体のためによい事を、否定する人はないであらう。趣味ではない、必要である。
戸外へ出て働く必要から、男は早くから洋服を着、和服は最早や贅沢品とさへなりつつあるいま時に、女の洋装はひどく遅れて、やうやく此頃一般的にならうとしてゐる。むかし富有な上流婦人は金にまかせて贅沢な洋装をし、何も持たない貧困な下層婦人も又いち早く簡易なアツパツパを着用した。ひとり質実な中産階級の婦人のみは、経済的な立場から去年の浴衣を又今年も着、洗ひざらしの銘仙を袷にして綿入れにして何年となく着続けた。その銘仙が施す術なく切れてしまつたところでやつと彼女は便利な洋服に更へたのである。流行を追ふ虚栄心や新しさをてらふ好奇心からではなく、彼女はそれが必要であるためにさうなつた。
奥さんが家の中に坐つてゐて、何でもかんでも御用聞きに持つてこさせた時代は、遠く我我の間に過ぎてゐる。それは今では富有な階級にだけゆるされた事であつて、いまの我等は降つても照つても一日に一度は籠を携へて市場まで行かねばならない。限られた経済の中で夫や子供により安くよりうまい食事をさせるためである。雨のふる日に足駄をはいて蛇の目の傘をさし、裾やたもとを濡らしながら重い荷物を抱へて、足許に気を配りつつ帰つて来ねばならぬ厄介さにひきかへて、一枚のレインコートはどれ程便利なものであらうか。その上にちよつとレインハツトをかぶれば多少の雨には傘など要らなくなつてしまふのである。暴風雨さへも最早や怖れる必要がないのである。洋服は戸外へ出て働く婦人ばかりではなく、家庭の女にとつても又欠くべからざる必需品となつてきてゐる。彼女はそれを夫や子供のために、よりよく家庭を処理してゆかうとする自分の、便利な仕事着として取りいれつつあるのである。それは最早や洋服ではなく、消化された和服である。
やつと此処まで来たのである。
パパママといふ言葉に奥床しさやうま味はないが、それを云ふ子供の声にはのびのびと人怖ぢしない朗かな響きがある。昔私がその言葉にひろい青空を見たやうに、いまのわが子も又おなじく、胸一ぱいにせいせいと空気を吸つてゐるらしい。ママやパパも洋服のやうに既に消化された愛称で、いまはその愛称で親を呼ぶ子供も、やがて大人になればその言葉の稚なさを恥ぢて自らお父さんと改めるかも知れず、そして忠臣蔵の好きな彼等は、おひおひに雲丹やこのわたまで喰べようとするであらう。さういふ彼等にママパパは栄養料理の一種に過ぎぬ。
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