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もめん随筆23

时间: 2020-03-31    进入日语论坛
核心提示:花の色小文をつづつて芝居の雪と題し、ポストへ入れてしまつてから、さういふ題は自分が初めて考へたものではないやうに感じて気
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花の色

小文をつづつて芝居の雪と題し、ポストへ入れてしまつてから、さういふ題は自分が初めて考へたものではないやうに感じて気にかかり出した。誰がどんな文章にもちひたのか思ひ出せないけれども、たしかに使つた人があるやうな気がする。偶然おなじ題をつけたところで、もともと小文の事ではあるし、さしつかへないとは思ふのだけれど、やつぱり気もちはさらりとしないのであつた。そのくせ誰が使つたのか、思ひ出せさうで思ひ出せないのがよけい苛立しい。
昼寝をして眼をさました瞬間に思ひ出した。二十年むかし、夢二が呉服橋のほとりに「みなとや」といふ店を出してゐた頃、そこで発行された千代紙の中に芝居の雪といふのがあつたのである。紅味の勝つた紫地に、緑や紅や黄やうす藤など色とりどりの不規則な三角形が入り乱れて、いかにも芝居の雪らしい美しい図柄であつた。はいばらの千代紙とは実にはつきりした相違で、いまなほ心に残つてゐるのは、それが在来の千代紙の型を破つて非常に幻想的なものであつた事よりも、若いお嬢さんの羽織にしてどんなによいだらうと考へて眺めたせゐであるかもしれない。だが今思へばああいふ柄をそのまま布地に移してみて、それをうまく着こなせる人があつたかどうか、少し疑はしい心地もされる。
みなとやはその時分半衿が評判で、夢二好みの溶けるやうな色が多かつたが、中でも一トきは淡いにくいろの、それもどこかにくろずんだ紫のかげをひそませた生地に、ぶだう色の濃い糸でべたにさくらんぼを縫とつたのがあつた。ゴリゴリとしぼのあらい縮緬で、私よりすこし年下の友達がその高価な半衿を惜しげもなくふだんにかけてゐたけれども、あたりまへの人がかけたのではなかなか似合ひさうもない風変りな色のさくらんぼが、まるでその友達一人のためにつくられたもののやうにピツタリとしてゐた事をなつかしく思ひ出す。一たいにみなとやの半衿は立派すぎて、額に納めて眺めてゐたいほどのものだから、ふつうの人がそれを身につけると半衿ばかり眼にたつて、きれうはたしかに三割がた劣つてみえたくらゐだけれど、その友達の場合にはまことに会ふべき人に会つたかたちでかけてもらつた半衿もいきいきとさぞ愉しかつた事であらう。音楽学校でピアノを習つてゐて、卒業もしないうち若くて死んでしまつたが、いつもどんな着物を着てゐたかどんな帯を締めてゐたかよくは思ひ出せないのに、ただそのさくらんぼの半衿だけは、ロセツチの画とそつくりの情味ゆたかな唇と、こころもちしやくれた異国風のあごの下に、なくてはならぬものとして浮んでくるのである。
私はなぜか昔から半衿といふものにはあまり興味がなく、それでゐて何処の店へいつてもいきなり気に入るやうな色はすくないので、四五年このかたは自分で好みの色をあはせて染めたもので間にあはせる事にしてゐるが、ただ一すぢの半衿でもさうやつて自分で手をつけてみると、染めものといふものの難かしさが今更のやうに身にしみる。おなじ生地だからこの前とおなじ色にあがるだらうなどと思つたら大へんなまちがひだし、おなじ時に染めてもちよつと生地の組織がちがふと決しておなじ色は出ない。もちろん素人の悲しさにはちがひないけれど、本職にはまた本職の、人に知られぬさまざまな苦心があらうと察しられもするのである。いつか大阪できいた話に、お正月までに納める筈の振袖がまにあはなくて、呉服屋の番頭さんが自から京都まで飛んでゆき、工場の人と一しよになつて寒風に吹かれながら切られるやうな鴨川の水に足を浸してやうやく仕あげたといふ事をきいたけれど、さういふ時にはつくづくと番頭さんもらくではなからうと思ひやられる。
染めものの面白さは、だが十枚が十枚ともおなじ色に仕あがらぬところにあるので、金子と閑のある婦人は好みの下絵を自分で描いたり描いてもらつたりして染めに出す楽しみを、もつともつと一般的に享受されてもよいのではないかと思ふ。それはちやうど苗床に種子をおろして花の咲く日を待つ楽しみと似てゐて、殊に朝顔の種子などは決して去年とおなじ花のひらかぬところ、年毎に咲かせて飽きぬゆゑんであらう。染めにやつた模様が下絵よりも趣ふかく出来てきた折のうれしさは、更に初めてそれに手を通した時の心のはずみは、よくぞ女に生れたると身に応へるよろこびであるにちがひない。
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