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もめん随筆24

时间: 2020-03-31    进入日语论坛
核心提示:もろきう三月初めの夜ややおそく、市ケ谷から塩町の方へ出る道をひとり歩いてゐると、そろそろ戸を閉しかけた両側の店並の中に一
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もろきう

三月初めの夜ややおそく、市ケ谷から塩町の方へ出る道をひとり歩いてゐると、そろそろ戸を閉しかけた両側の店並の中に一軒非常に電燈の明るい店があつた。店さきにみかんや林檎やバナナなど一ぱいならべてあつて、それが美しく電燈に照り映えてゐるので、初めはくだもの店かと思つてみると、奥の方にいろいろな青い野菜があつて、そこは八百屋だとわかつた。大きな蕗の葉つぱの上に、細いきうりを四五本のせて奥の方の高いところにおいてある。オレンヂ色のくだものを見た眼で見たせゐか、その青さが突然しみいるやうに映つてきて、あ、あれにとろりともろみをつけてたべたいなと思はず思ふと、子供のやうにこくりとつばを飲みこんでしまつた。我ながら意地汚なしだとひとりでふきだしたいやうな気持で歩いてゆくと、冬の外套を着た背の高い男が向うからやつてきてすれちがひざまに顔をのぞきこんで、「今晩は。いかがです」といふ。もちろん見も知らぬ男である。私は歩きながらにやにや笑つてでもゐたのであらうか。——笑ひ話に他人に話す事さへ気がひける程見つともない話ではある。
家へ帰つてきて黙つてゐたが、黙つてゐるせゐかだんだんにもろきうをたべたいといふ慾念が強くなつてゆくのであつた。子供が地面に埋めたまま忘れてゐた銀貨を、学校の教室で不意に思出したやうに、ゐてもたつてもたまらぬ心地がする。胡瓜は今迄にもたびたび見てゐたのに一向たべたいとも思はなかつたのが、不意にこんなに激しくとらへられるのはやはり季節のせゐであらうか。私はふしぎに春になると、必ずもろきうがたべたくなる。しかし大阪にゐる間はそれでよかつたが東京へきてしまつた今ではもうどうしようもない。……
「私このあひだから、もろきうがたべたくつてたべたくつてしようがないんだけれど」
「なんだ、そんな事で苦労してたのか。もろみぐらゐわけないぢやあないか、二幸にだつてどこにだつてある」……
去年一ばんおしまひにもろきうをたべたのはメーデーの日であつた。偶然その道筋を通りかかつて、見物人のうしろに控へさせられ聞くともなく耳にした批評——和服に下駄をはいた年配の男や靴下はだしの少年職工や年頃も服装もまちまちな一団がやつてくると、見物人の中の青いオバオールを着た二人連れが「こいつら不細工ななりしよるナ、エー、セルの揃ひでも着てもうちつとかつこうつけてこんかい」……その、メーデーにセルの揃ひといふ言葉がいかにも大阪の若い者らしいと思つて忘れがたく頭に残つてゐる。そんな遠い思出でも話しあつて、せめてもろきうの事を忘れようと口に出してみると、阿呆らしいと大阪の言葉で云つた方が適切な程で、もろみはすぐ手近にあつたのである。で、その晩の食卓には早速私の願ひがかなつて清水焼の染付の平皿に瑞瑞しい胡瓜が二本、ぼとりと赤黒く田舎びたもろみを添へて出されてあつた。そとの気候はずゐぶんと暖かになつたが、水道の水はまだなかなか冷たいので、水で洗はれた、青い雫のしたたるやうな胡瓜をカリリと噛むと、まるで冷蔵庫へ入れておいたかと思ふ程清冽な冷たさが、からだの中へ沁みとほる。うつらうつら夢のさめぎはに、何かの拍子ではつと眼がさめて、あたりのものが一時にはつきりと見えた心地である。二幸で買つたもろみはかやく入りと瓶の紙に書いてあつて、中には茄子のきざんだのが入れてある。大阪でなじんだもろみの味とはすこしへだたりがあるやうだが、それでも私は満足であつた。こんなにおいしいものをなぜもつと早く、手近にある事に気がつかなかつたらうとたべながら私は自分の迂濶さをくやしく思つたが、もろきうといふものを最初におぼえたのは大阪のたこ平とか浜作とかいふ家であつたために、大阪まで行かねばそれはたべられぬものと、私はあたまから思ひこんでしまつてゐたのである。かうした迂濶さは何もたべものの事ばかりではないが、いまも二本の胡瓜を息もつかずにたべ終つて、さて、ああおいしかつたと余裕のできた気持で思ひ返すと、何の事だ、浜作はとうから東京にもあつたのではないか。……だがしかしもう一度思ひ返してみると、もろきうはやはり大阪でたべる方が一ばんおいしいのではあるまいか。私にはいつまでたつてもわかりにくいあのねばねばとした大阪言葉の伴奏で、あつさりと素直な胡瓜の味が一そうその淡さを忘れがたいものにさせるのではないかと思はれるからである。
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