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もめん随筆26

时间: 2020-03-31    进入日语论坛
核心提示:桃花扇二十年アメリカへ渡つたきり杳として消息の知れなかつた人が、突然訪ねてきてくれた。カアネギーの秘書になつてゐるさうで
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桃花扇

二十年アメリカへ渡つたきり杳として消息の知れなかつた人が、突然訪ねてきてくれた。カアネギーの秘書になつてゐるさうである。早川雪洲によく肖た堂堂たる美丈夫で、立派な洋服を着、指に宝石の指環をはめ、胸に太い金鎖をからませてゐた。うらうらと空が霞んで、桃の花の咲きだす季節であつた。
私は大阪郊外の千里山といふ処に住んでゐた。そこはもと大きな桃山であつたのを、新京阪の土地会社が切り拓いて文化住宅を建てたので、何処の家の庭にも二株三株づつ桃の樹が残つてゐた。二十年ぶりで会つた伊吾さんは、二階の窓をあけて起つたまま珍しさうに四方を眺めてゐたが、一ト眼で見下せる小さな家家の、赤や緑の屋根瓦がひどく貧弱に見えたのであらう、庭の一隅にほのかな紅の蕾をふくらませてゐる桃の樹には眼もくれず、フムとうなるやうに云つて坐ると今度は、部屋の中をじろじろ探索するやうに眺め廻した。
「毎日何をしてゐるのかね、……」
「何にもしてゐないわ」
伊吾さんは自分が成功したやうに、私も何か偉い者になつてゐるのでなくては気がすまないらしかつた。
「何でもあんたは文士になるとかなつたとかいふ話をきいてゐたのだが、……」
「ごらんの通り人の細君よ」
「わかつてるよそれは。——自分があたまがいいと思つて、この伊吾さんを馬鹿にしてはいけない」
伊吾さんに可愛がつて貰つた幼ない日のことが、にじむやうに胸に浮かんできた。伊吾さんは私が十歳の時中学を卒業してそのままアメリカへ苦学をしに行つたのである。伊吾さんのお父さんは何をしてゐたのかよくわからないが、お母さんは町一番の髪結ひさんでその上恰幅のいい、女親分といつた風の顔の売れた人であつた。伊吾さんはそのお母さんに顔立なり気性なりそつくりで、学校の成績は余り香しくなかつたらしいけれども、剣道とか柔道とかそれから又雪合戦などでは校内を牛耳つてゐた。大変いい家のお嬢さんが伊吾さんにのぼせて夫婦約束をしたとかしないとかそんな噂を聞いたけれど、真偽の程はわからない。とに角伊吾さんは何処の家へも気易く出入りして、何処の家でも好かれてゐた事だけは確かである。私の家では、二晩三晩も泊つてゆく程親しかつた。
伊吾さんは若い娘なんか面倒臭くて、子供と遊ぶのが一番好きだといふので、子供達の間に大いに人気があつた。カルタやトランプがうまくて素晴らしく声がよかつた。腰に白い海軍毛布をまきつけてそれをスカートに見たて、私達の帽子を被つて西洋婦人の身振りをかしく英語の唱歌を唱つてきかせた。やはり泊りがけで来てゐる盲目の按摩さんが、一生懸命それを習つた。春の弥生の曙にといふ歌で、お終の方にオーハウビユウテフル何とかとしてといふ文句があるのを、按摩さんはおお萩をうんと喰つて……云云とうたひかへて女中達をきやつきやつと云はせた。
伊吾さんにお花見に連れていつて貰つた事がある。記憶がおぼろだけどもなぜか私一人だけであつたらしい。円山神杜の桜の樹の下を伊吾さんに手を曳かれて歩いてゐるうちに、私は行つても行つても人の顔ばかり見えるのがうるさくなつて、いま直ぐお家へ帰らうと駄駄をこねた。すぐ帰らうと云つたつて其処にも馬車も俥もないのである。「よし」と云つて伊吾さんが私に背中を向けた。
「さあおんぶしな、そしてしつかり眼をつぶつてゐるんだよ……伊吾さんが韋駄天走りでお家へ連れてつてやるからね」
伊吾さんの背中で眼をつぶつて揺すぶられてゐるあひだに、私は眠つてしまつた。そして幾時間経つたかわからないけれども、何処からかスウスウ涼しい風が吹いてくるやうな気がして眼をあかうと思つた拍子に、耳の傍でやあ! といふ聞き馴れない声がした。
「やあ、この子は口をあけて眠つてら」
「口をあいて眠つてたつて、その子は神童なんだぞ」
隣の部屋とおぼしい見当から伊吾さんのどなるのが聞えた。と直ぐ続いて何か云ふ女の声がして、どやどやと四五人起つて此方の部屋へ来る気配がした。伊吾さんが何処か私の知らない家へ連れていつて、座敷に寝せておいたのである。私は見世物の不具の子のやうに四方から取巻かれ、めいめい勝手な批評をするのを耳にしながら、閉ぢたくてもいまは閉ぢる事の出来ない口に唾がたまつてきてそれがいまにも涎となつて流れさうで、身体中にじわじわと冷汗がにじんだ。
伊吾さんがアメリカへたつ日は狐雨が降つてゐた。私達は姉妹三人俥をつらねて停車場へ送りに行つたが、何かのはずみで汽車に間に合はなかつた。俥を走らせてゐる停車場通りのアカシヤの並樹の下を、家の書生さんが畳んだ蛇の目の傘を大刀のやうに小脇にひつ抱へて、足駄ばきで駆けてゐた。やはり伊吾さんを送りに行くためであつた。アカシヤの葉が鮮かな緑にすきとほつて、濡れながら陽にきらめいてゐた。
初めのうち、伊吾さんはよく絵葉書をくれた。アメリカの景色や建物が私達に珍しかつた。裏を返すとインキのきれいな字で文句が書いてある。いつも極つて親愛なるわが玉子嬢よといふ書出しで、身体は丈夫か、よく勉強して偉い者にならなくてはいけないと励ました末に、永久に御身の忠実なる下僕伊吾と署名してあつた。伊吾さんは方方のお嬢さんにおなじやうな絵葉書を配つたのであるかも知れない。
桑港の大地震以来伊吾さんは消息を絶ち、伊吾さんのお母さんは幾へんか、もう死んだものとあきらめると云つた。しかし伊吾さんが二十年ぶりで独身のまま帰つてきて見ると、むかし絵葉書を配つたお嬢さんの大抵は死んでしまひ、一番弱かつた私が曲りなりに生きてゐると聞いてわざわざ札幌から大阪まで会ひにきてくれたのである。だが伊吾さんは気の毒にも、此処でも又、偉い者になれなかつた私に失望せねばならなかつた。
じろじろと部屋の中を不満さうに眺めてゐた伊吾さんは、やがてその眼を私の上に移すと、「何だい、その着物は」といきなり呆れたやうに云つた。
「そりや紡績ぢやないかね、ええ? いくらふだん着だつてあんまりだよ。せめて銘仙を着なさい、銘仙を。……」
私は微笑みながらだまつて、その朝の暖かさに羽織をぬいで着更へたばかりの黒地に白い亀甲絣のぶつぶつとした着物の袖を、鳥の翼のやうにひろげて眺めた。
「あなたのハズはどういふ人か知らないが、最愛の妻にそんな着物を着せてそれでよく平気でゐられるね、それとも金子がないのか。金子がないのならこの伊吾が買つてやるよ、伊吾が買へば銘仙なんてケチなものは買はない、上等のお召を買つてやる」
これはね伊吾さん、紡績のやうに見えてもさうではないの、結城縮なの、これ一反で銘仙が十反あまり買へるんですよと、私は笑ひながら云はうとしてゐた言葉を不意に飲みこんでしまつた。会ひもしない先から夫を非難された事が、まだ若かつた私にはぐつと応へたのである。
私はひろげた袖を見ながら云つた。
「これよりいい着物を買つてくれるの?」
「さうとも。お召の一反や二反でひびの入るやうな伊吾の身代ではないよ。——さあ行かう。いま直ぐ買ひに行かう」
「まあ止めにしときませう。御好意は有難いけど私はこの紡績絣でたくさんなの」
それからやがてもう十年近く経つ。だんだん年をとるにつれて、私はあの時伊吾さんを二重に失望させたまま帰した事を、若気の至りとは言ひながらつくづく後悔するのである。私は伊吾さんの振りまはすカアネギーが気に喰はなくて素気ない顔をしたのだけれど、伊吾さんはあれなり日本に留つてゐるのか、それとも又アメリカへ行つたのか、いまは誰に聞く術もない。桃の花の咲く季節が近づくと毎年おもひだし、今度もう一度会ふ折りがあつたらその時は伊吾さんの言ふがままに、何でも買つて貰はうと思ふのである。
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