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もめん随筆27

时间: 2020-03-31    进入日语论坛
核心提示:猫を飼ふ子供の折、犬の子供を育てた事があつた。五つぐらゐの時とおもふけれども、長年飼はれてゐた犬がたつた一匹の仔犬を生ん
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猫を飼ふ

子供の折、犬の子供を育てた事があつた。五つぐらゐの時とおもふけれども、長年飼はれてゐた犬がたつた一匹の仔犬を生んで死んでしまつた。生れるとまもなくみなし児となつたその仔犬を、私は寝ても起きても傍からはなさず、まるでしんみの姉妹のやうに親しく育てた。隣近じよの人達が見るたび驚いたさうである。開け放たれた風通しのよい部屋に羊の毛皮を敷いてその上に寝ころび、一つのビスケツトを一トかけづつ犬にたべさせては自分もたべたべしてゐた記憶がある。一つのお茶碗の中からおなじ牛乳を飲んで叱られた記憶もある。幼ない子供にとつては犬と人間の区別などはなかつた。
その犬は健やかに育つて年年子供を持つた。世の中が鷹揚な頃であつたから、皆がよろこんでその仔犬をもらつて行つた。親犬はからだのちひさな、テリヤとポインタアのあひのこのやうな犬であつた。利口であつた。人間の子とおなじやうに育てられたから人の言葉がよくわかるのだらうと噂されてゐた。
その犬は十三年生きてゐて、私が十七の年にやはりただ一匹の仔犬を生んで死んでしまつたが、もうその残された仔犬を育てる熱心さは私になかつた。私はそろそろ家の内の事よりも家のそとの事に眼が向きだした頃である。仔犬は女中の手で犬らしく育てられ、その翌くる年私は東京へ出て犬を飼ふやうな生活とはすつかり遠ざかつてしまつたのである。
烏兎〓いつのまにやら自分もささやかな家の主婦となつてみると、子供は親の血をひいて生れたものか、犬さへ見れば夢中になつて飼ひたい飼ひたいといふ。そのうち、外国から帰つた人にアイリツシユセツタアの猟犬をもらつた。容子のいい犬であつたから皆は寄つて可愛がつたが、この犬は初め、その家の細君に愛されてベツドの中で育てられ、何一つ教育される事がなかつたため、持つて生れた猟犬のよい素質を一つも発揮できないで、持つてこいさへも知らないのであつた。この犬は馬鹿だといはれて、それなればこそ置いて行かれもしたのであらうが、彼自身は晴れた日の昼など庭につながれたまま風に向つてしきりに高鼻をきいてゐる事がある。畸形に育てられてもやはり猟犬の素質はそんな処に出てくるのかとあはれであつた。猟はだめでも愛玩用として美しい犬であつたから、油断をしてゐる間に盗まれてしまつた。それ以来もう犬は飼はない。
犬に対する愛情は、そんな風に家中がそろつて、道ばたに寝ころぶ醜い犬にでもお愛想を云つたりあたまを撫でてやつたりする程だけれど、それが猫となると昔から私がきらひだと主張するために誰も飼はうといふ者がない。私は猫をきらふのは歩く時にすこしも足音をたてないからで、猫を見てゐるとよく、人の秘密をそつと盗み読んでおいて知らんふりをしてゐるやうな憎憎しさを感ずるのである。十七八の頃であらうか、自分が神妙に裁板の前に坐つて針仕事をしてゐると、ものさしだと思つて何気なく取りあげようとした手先に、ヒヤリと冷たい湿つぽいものがふれて、私は思はずきやつと飛びあがつてしまつたが、それは猫の鼻であつた。ものさしを置いたところへいつか猫がやつてきて、そつと坐つてゐたのである。足音がしないから私にはわからなかつた。さうして私はその時針仕事をしながら、自分ひとりの物思ひに耽つてゐた。猫が人の秘密を盗み見たらうと思ひ初めたのはそれ以来である。猫は憎らしい以上に怖ろしい。
震災の年の初夏であつた。どこからか白い猫が一匹迷ひこんできて、朝早く私の寝床の傍に坐り、苦しさうになきたてた。まるで魔物にでもやつて来られたやうに私はふるへあがつたが、よく見るとこの猫はお産がしたいらしかつた。起きて家中大さわぎして、行李の中に綿や古い浴衣を入れ、座敷の隅に産所をこしらへると猫はうれしげにその中へはいつて四匹の仔を生んだ。ひい、ふう、みい、よう、と生れた順で名をつけたが、ひいは全身まつしろでお姫さまのやうに品がよく、ふうは白黒の普通のぶちで、みいは白いところへ、背中に梅の花形の黒い斑点があつた。ようはおしつぽが長くて一番醜かつた。こんな猫の仔なぞ生れてどうするのかしらと心配してゐると、貰ひたいといふ人がすぐ猫の数よりも多くなつた。
せつかく家で生れたのだから一匹だけは家にも残しておかうとなつて、どれを取らうといふと皆が皆全身純白なのがよいといふ。私一人が背中に梅の花形のある男猫を残しておかうといふ。男猫はねずみをとらないよ、それに梅の花の形なんかついてゐて何だか変ぢやないかといふ。その梅のかたちが好きなのと私も負けずに云ひ張つて、さうしてどれともきまらぬうちにふしぎな事に、ただ黒いばかりと思つてゐたその梅花の斑点に、茶色の毛の交つてゐる事が日数とともにはつきりとわかつてきた。足の先きにもぶちがあつておなじく茶色である。まがふかたなくこれは男の三毛猫で、さうなると誰も彼も一議もない、寵愛はたちまちみい一匹にあつまつて他の姉弟はそれぞれ望まるるままに貰はれていつた。あの大震災のひるまは、親猫とみいとが食卓の傍に控へてゐたが、ちやうどおかずが小鯵の煮付だつたので、ひつくり返つたちやぶ台の傍で猫共は思ふ存分御ちそうにあづかつたらしく、一しきり静まつてから家へはいつてみると茶の間に骨が散乱して、猫は二階から階下からまだ揺れやまぬ家中を、からからと世にも楽しげにかけ廻つてゐた。人間にとつては此上ない脅威であつたあの大地震も、猫族にとつては愉快なスポーツの一種に過ぎなかつたのかもしれぬ。
震災の余波を受けて私共は関西へ行く事となつたが、まだ東海道線は通らず、遠いところをまはつて乗換へ乗換へしてゆくのに猫どころではないので、御近じよの方にあげていつた。後年東京へ出てきた時、あの猫はどうなりましたらうとおたづねしたら、あれは死にましたといふお返事であつた。死なすくらゐなら連れてゆけばよかつたと思つたのはぐちである。大阪へ行つてしばらく、子供たちは仔猫さへ見ればみなみいにみえると云つてさびしがつた。
再び東京へ出てきて居を定めた渋谷金王の町には、どういふものか犬よりも猫が多い。近所に空家が多いせゐか、自家の屋根の上をミシリミシリ人間のやうな音をたてて歩くのは大きな野良猫である。ぶちやら三毛やらトラ猫やら、さまざまな種類の猫がわがもの顔に縁側のひさしの上を濶歩する。一つには、そこにベランダ風の植木鉢をならべる床《ゆか》ができてゐて、猫が日向ぼつこするのに非常に都合がよいからでもある。大きなぶちの野良猫など見るから気もちわるく、私は縁起がわるいといつて始終追ひ払つてもらつてゐた。
その床へ、ある日ちひさなきじ猫がきて、ミヤオミヤオと悲しげにちひさく、いかにも控へ目に啼いた。縁側の硝子障子をあけてやるとうれしさうにミヤオミヤオといつてそこいら中からだをすりつけて歩くけれど、家の中へはいつてこない。こんなちひさな野良猫はないでせう、きつと迷ひ猫よと私は子供たちにいつて、いまにお家が見付かるでせうと放つておいた。
小さな猫はしかしその後も毎日やつてきて、床の上に遠慮勝ちに坐つてゐる。私が猫をいやがるので家の人達は二三度追ひ払つたのださうだけれど、やはり毎日やつてくる。他の野良猫は追はれたらもう来ないが、この猫はおどおどしながらも何処か人馴れしてゐるところ、早春の陽だまりにぢつと行儀よく坐つてゐる姿が、主人を探してゐるのだらうと哀れになつて、折からふり売りのみがき鰊があつたのを幸ひ、それをゑさに家の中へ誘ひ入れた。
一週間たたぬうちに猫は忽ち肥つていかにも家つきの猫らしく、食卓の下などに形のいいかう筥をつくつてゐるやうになつた。飼つてみるとこれはなかなかよい猫で、行儀もよく姿もよく、どんな時にも取り乱した事をせず、うるさくなくて物ねだりせず、それに何よりの取柄は、眼が深い海のやうな緑で、声が非常に愛らしい事である。家の中に猫がゐるのは卓の上に花があるやうなもので、あつてもなくてもよいけれども、あれば何となく温かい心がわいてくるのはふしぎである。深夜ひとり起きて書きものをする私の傍の椅子の上に、ミミと名をつけられたこの猫はおとなしく眠つてゐる。二時、三時、やうやく書きものに倦んだ私はほつと吐息してペンをおくと、まるでそれを知つてゐたかのやうに、猫もしなやかに身をおこして、さて力一杯のびをする。ミミと呼んでみても、この猫は決してこたへない。まるで貴婦人のやうな物憂げな様子で椅子から降りて、机の脚にからだをこすりつける。のどの奥がごろごろとなり出す。私は机の上に用意しておいた紐をたらしてやると、猫はそれに手を出して遊び初める。
ちりんちりん、一としきり鈴の音をたてて遊んでゐるうちには私も疲れるので、ミミもうこれでおしまひよと紐を机の上にたくしあげてしまひこむと、猫もさり気ないやうすをしてあちらを向いてゐる。私は又書きさしの紙の上へ眼がゆく。ペンをとりあげる。といつか猫も又傍の椅子の上にきて眠るのである。
こんな風にしてミミと自分とは毎夜人に知れぬやうにこつそりと遊び、そして昼間はお互ひに知らんふりをしてゐるのだが、さうした猫の薄情らしいところが、どうやらだんだんと私には好もしく思はれだしてきたのである。犬のやうに、向うから呼びかけて可愛がつてもらふやうな事は何もない。こちらが遊びたい時だけ遊び、いやになればすぐ横を向けばよい。叱る事もいらないし、可愛がつてやる必要もない。まつたく自分の方だけのおもちやに過ぎぬやうである。私はいつか犬の愛情には疲れてしまつたのであらう。向うから働きかけてくる愛情にはそびらを向け、このやうに自分勝手なおもちやだけを愛するやうになつたとみえ、此頃では町を歩いても、その辺に寝ころぶ犬たちに声をかけたいとは思はぬやうになつてしまつた。
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