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もめん随筆29

时间: 2020-03-31    进入日语论坛
核心提示:家庭日記今夜は大変珍しい人に会つた、誰だかあててごらんと、遅く帰つてきた夫がネクタイをほどきながら云ふ。珍しい人つてさあ
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家庭日記

今夜は大変珍しい人に会つた、誰だかあててごらんと、遅く帰つてきた夫がネクタイをほどきながら云ふ。珍しい人つてさあ誰かしらと、久しく会はない人人の顔と名前を一どきに思出さうとしたけれど、あんまり長い間戸外へ出た事がないので、どの人も珍しいやうであり又珍しくないやうにも思はれる。好きな御馳走のありつたけを一ぺんに眼の前にならべたてて、さあ早くおあがりなさいと急きたてられてゐるやうで気迷ひする。そんな中からたつた一人選み出さうとするのは無駄な努力だと気がついたので、考へる事はすぐ止めて、誰なのわからないわと降参すると、驚いてはいけないよ、ハナだよ、そら、お前の一ばんお気に入りだつたあのハナだよ。
馬鹿馬鹿しい。お酒を飲んで遅くなつた照れかくしに、夫は最大級の言葉を使つて私の注意をそらさうとしたにちがひないのである。誰が驚くものですか、ハナなんか珍しくもないと私は頬をふくらましたけれども、夫が何やら鼻唄をうたひながら寝てしまつて、ただ一人夜更けの机の前に坐つてゐると急にハナに会ひたくなつた。葉がきを書いて明日の朝速達で出して貰はうと思ひついた。同潤会の住宅に住んでゐるさうである。ハナとおなじ頃に書生をしてゐた遠野君とその友人と、それからハナの義理の姉さんと四人で共同生活をしてゐるといふ話は以前から耳にしてゐたけれども、いま聞くと遠野は去年の春神田の私立大学を卒業して故郷へ帰り、友人の方はその前から引越してしまつて、ハナは義理の姉さんと二人きりで住んでゐるのださうである。若い女がたつた二人で家を借りて、一体何をして暮してゐるのかしらとふしぎに思ふ。
ハナが家に使はれてゐたのは最早や七年も前の事である。僅か半年にも満たぬ短かい期間であつた。二三ケ月働いてゐるうちにカフエの女給になりたいと云ひ出して、いろいろと混雑したのである。私は女給になつた方がかへつてよいと思ひ、しかしハナは某県の農民組合長と協調会の農村課長との世話で家へ来たので、その人達は私の意見に絶対反対であつた。
七年前の梅雨どきの昼ながら薄暗いやうな小雨の日に、ハナは初めて家へ来た。農民組合長を手頼つてきたといふ事から、何となく肩幅のひろいがつちりしたその頃流行のいはゆる闘士型の少女を予想してゐた私は、会つて見てその少女のすんなりと伸びた手先の柔かさに驚いたのであつた。少女はセルの単衣に帯を胸高にしめ、耳の横にもみあげの毛を短かく断髪のやうに揃へて濃く口紅を塗つてゐた。何処かついその町角の喫茶店でレコードをかけてゐたのが、不意に思ひついて出て来たといふ風で、少女のうしろからかけ放しにされたレコードが遠くひびいてくるやうな気がされた。何といふ名前ときくと、少女は銀目の猫のやうに碧い眼をみはつて、玉本たま子と申しますと云つた。まるでこしらへたやうな名前である。
「それはほんたうの名前なの」
「はい」
「ほんたうの名前ね」
なぜそんなに念を押されるのか分らなかつたであらうが、本人はほんたうの名前ですといつて茂みのやうな長い睫毛をパチパチした。一軒の家におなじ名前が二つあるのはお互ひに迷惑する。この際は奥さんの方の顔をたてて貰ふ事として、そちらにハナといふ新しい名前をつけた。座敷から声を張つて「はアなア、……」と呼ぶと、台所の方で「はいエー」と遠い田舎の宿屋へ行つたやうな返事をする。
前からゐた女中のキヨが、ハナちやんは奥さまのお気に入りだといつて機嫌をわるくした。長い病気のあとで、まだ寝ついてゐた私は、天井を眺める事に飽きると時時床の上から「はアなア」と呼んで見たからである。何べん呼ばれてもハナは「はいエー」と尻上りのおなじ返事をした。遠野さん、あなたも私よりハナちやんの方がいいでせうと、キヨは遠野に向つて云つたさうである。キヨはハナより三つ年上の廿一であつたが、何処かで美人投票があつたら出したいと思ふ程端麗な顔をしてゐた。紀州の道成寺の石段の下で生れ、今清姫とあだ名がついてゐた。一人娘であつたが美容術師を志して東京へ出てくると、和歌山の新聞がそらこそとばかり、清姫遂に恋人のあとを追うて上京すと書きたてたさうである。日活か何かが道成寺へ撮影に来てその折キヨは村の娘のエキストラに頼まれ、ほんたうの女優にならないかと云はれた事があつた。その時の俳優と怪しいと世間は騒ぎ立てたのだけれども、もとより根もない噂に過ぎぬ。
キヨが初めて家へ来た日は、春の雪が降つてつめたかつた。挨拶をして起ち上つた時、着物の裾からチラと馬のやうな茶色の足が見えたのでびつくりし、よく見るとキヨは足袋ではなく靴下をはいてゐるのであつた。雪の降る日は足袋よりも靴下の方が、暖かくてしかもハイカラであると考へてゐたのかも知れない。目鼻立は驚く程美しいのに、顔一面もやもやと生毛が生えてゐて、どこやら鼠の子に似て見えたので、なぜ顔をあたらないのかときいて見ると、アメリカでは剃刀を使はないさうですからと答へた。あとからきいたところによるとキヨの家の近くにアメリカへ行つて来た女の人がゐて、いろいろアメリカの話を教へたのださうである。
紀州の百姓家に生れて一切世間を知らないのだと承知してゐても、都会風な美しい顔を見てゐるとつい錯覚をおこし、キヨのする事にいちいちびつくりした。おしたぢを持つてきてといふとソースを持つてくるし、炭を出してきてといふと、春日の炭斗一杯にころころと石炭を詰めてくるからである。四ケ月経つてもまだ誰のお茶碗がどれやらわからず、紀州ではお茶碗もお箸も皆一緒なのに、此処の家はやかましいとこぼしたさうである。キヨが四ケ月かかつておぼえられなかつたお茶碗とお箸を、ハナは一日ですぐわかつた。だがその翌日、洗面所の方から俺のタオルを切つたのは誰だと夫が呶鳴り、はい私ですとハナがにこにこして云ふのであつた。そこの剃刀を使つてそれをタオルで拭いたらタオルが切れたのです。とんでもない事をする、俺の剃刀を無断で使つて貰つては困るではないか。はい、うちでは剃刀は一つよりなくて、みんながそれを使ひましたからと、ハナはやはりにこにこしてゐた。キヨもハナも二人ながら親にそむいて家出して来た点はおなじであつたが、私の家に落着いたと聞いてもキヨの親からは葉書一枚のたよりもなく、新潟のハナの方は直ぐ兄さんから丁寧な依頼状が来た。手紙の冒頭に、ああおなつかしき奥様よ、春の花秋の紅葉を見るにつけてもおなつかしき奥様の面影のみ思出して居りますと書いてあるので私は面喰らつた。ハナの兄さんはまへに近衛の兵隊で東京に来てゐたさうだけれども、いふまでもなく私は一度も会つた事なぞないのである。
奥さま、ハナちやんは鏡台なんか重たくて持てないと云つてをります。そんな馬鹿な話がありますか、病気でなければ私だつて持てるのに、直ぐハナを呼んできて頂戴。ハイ奥さま、私はキヨちやんがからかつてゐるのだと思つて、鏡台なんて持てないつてさう云つたのです。
こんな小ぜりあひが毎日あつてなかなかうるさかつたが、いひつけにくる顔がそれぞれに美しいので、どちらにも腹は立たないのである。家の中に若い美しい女が居る事はいつもストオヴに火が燃えてゐるとおなじやうに、心が和んでよいものだと思つたがそれは私ばかりではないのであらう、台所の方へは眼に見えて新しい御用聞きがふえ、遠野君のところへは一層頻繁に友達が遊びにくるのであつた。遠野はキヨとおなじ郷里であつたから、たづねてくる学生達の中にはキヨと小学時代の同級生があつたりして、玄関と台所は折折茶話会をひらいて賑はつた。遠野は酒も煙草ものまず真面目一方に見えてキヨからもハナからも遠野さん遠野さんと頼母しがられてゐたけれど、しかしオーヴアを二着持ち、靴を三足持つてゐて私には気に入らなかつたのである。和服は何枚あつたのか、神楽坂の古道具屋で箪笥を買ふと云ひ出して、何処へおくつもりなのと私をひどく怒らせた。二人の美女を両脇に侍らせてお給仕をさせながら、悠悠と食事する遠野を見る度に私はなぜか気分がもやもやして、いつもいつもさう殿様みたいにしてゐないで、たまには自分でよそつてたべたらいいぢやないのとヅケヅケ云つたが、ああとかううとか口の中でもぞもぞ云ふばかり眉一つ動かさぬ。いひつけられた用事は骨身を惜しまず働いたが、それ以外にはこちらがどんなに忙しくしてゐようと自分から起ち上る事はなかつた。宵の口から端然と机に向つて夜中まで身動きもしなかつた。遠野君は起きてんぢやないのよ。ああやつて眠つてるのよと子供が云ふのを、初めはまさかと思つてゐたが、やはりそれはほんたうであつた。坐つたまま不動の姿勢で四時間も五時間も眠りつづけるなどとは、ふしぎな術を会得してゐるものだと私は驚いたが、遠野は夏休みで帰省した時、汽車の中から葉書をくれてもつと私を驚かせた。汽笛一声ジヨージスチブストンの発明せる蒸汽車に乗りて吾は東京駅を出発せりとその葉書には書いてあつたのである。
夏休みにはハナも新潟へ帰つた。廿日経つても出て来ないので、もう東京はあきらめたのであらうと噂してゐると、ある朝早く突然私の枕許に坐つて、唯今帰りましたとお辞儀をした。膝のそばに大きな風呂敷包みをひきよせて大切さうに置いてあるので、何を持つてきたのときくと、にこにこしてそれをほどくはずみに、風呂敷の中でカサコソと枯れた木の葉のすれあふ音がした。笹巻であつた。生まの糯米を砕いて三角形の笹で巻き、ぐつぐつと気長に煮たものださうである。黄粉をつけてたべるとおいしいですと云つたけれども、何しろ夏のさなかである。折角ながら昨日の笹巻は敬遠して、お台所へくる御用聞きにたべてもらふ事とした。風呂敷に一杯あつたからいろいろな人が振舞はれて、中には迷惑した人もあつただらうと思ふけれども、みんな喜んでゐましたとハナはすましてゐた。
新潟から帰つて来て突然女給になりたいといひ出した。綺麗な着物をきてぶらぶらと遊んでゐられるからだと云つた。新潟でそんな友達にでも会つたのであらうか、静脈のすきとほるほつそりとした手を眺めてため息ばかりついてゐる。女給もらくではないといくらいひきかせても、でも綺麗な着物が着られますからと遠い処を見つめてゐた。怪しからない事をいふ、そんな子はすぐ故郷の方へ送り返して下さいと農民組合長の言葉を農村課長が取次いで、さる病院の博士に健康診断をして貰ふなど物物しい騒ぎの末に、心臓が弱いから女給には向かぬといふ口実で故郷の方へ送り返した。せめてもの心ゆかせに派手な紫の着物を餞別した私の親切が、かへつてあだとなつたのであらうか、故郷へ帰つて一月のちに何処とも知れずその着物を着て行衛不明になつてしまつたと風のたよりに聞いたのである。秋の蝶一つ、ひらひらと紺碧の空につばさをかへして消え去つたおもひがして、夜半の寝ざめに心が痛んだ。
東海道の三嶋とやらにゐるさうで、義理の姉さんが百数十金を携へて連れ戻しに行つたと、遠野から知らせてよこしたのはそれから三年程も後である。私達は東京を引払ひ大阪へ帰つてゐた。遠野とハナの義理の姉さんがいつ何処でそのやうに親しくなつたのであらうと怪しむうち、遠野からはつづけて、ハナの更生を守るために義理の姉さんと自分と友人と四人で家を持つ事としたと云つてよこした。東京への往きかへり西宮まで寄り道して、二晩三晩泊つてゆく遠野は、紀州土産の梨子や清姫せんべいを私の前にならべ終ると、奥さま煙草を吸ひましてもよろしう御座いませうかと断わつて、バツトの箱をポケツトから取出す程いつの間にやら都会なれた風であつた。だが、遠野から来た手紙をたたんで封筒へ納めた私は、不意にキヨとハナにお給仕をさせて食事してゐた昔の遠野の、田舎者らしいふてぶてしさを思出し、あの折のむかむかとした胸わるさが、松毛虫をつまんだやうにぞつと背すぢへ走るのであつた。ハナの姉さんとやらもやはり新潟の女であつて見れば、すべすべと肌が白いのであらう。私はふしぎな腹立しさで、ハナと一緒に暮すのなればもう家へは来ないでくれるやうにと遠野へあてて手紙を書いたのである。
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