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もめん随筆31

时间: 2020-03-31    进入日语论坛
核心提示:萩の楊枝   二 学校から帰つてくると、門口の処に小さい方のふじといふ女中が起つてゐて、何だかどろばうにでもはいられた時
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萩の楊枝
   二
 学校から帰つてくると、門口の処に小さい方のふじといふ女中が起つてゐて、何だかどろばうにでもはいられた時のやうな変な顔をしてゐる。
「どうかしたの」ときくと、
「いま勘兵衛さんの憑きものをよび出すところなんでございます、お嬢さん」とうしろを振り返つて、うしろから憑きものが追ひかけてくるやうな怯えた様子をした。それを聞くと私はいきなり内へ駈けこんで、奥の座敷へ行つて見た。
勘兵衛といふのは私の母方の身寄りの者で、その頃廿歳位であつたかと思ふ。いつから来て働いてゐたのか知らないが、すこし頭がわるいのではないかと、私は子供心に折折思つた。女中をからかふのにいつもきまつておなじ事を云つた。女中部屋へはいつて行つては、屁こかうこかうおもたがようこけなんだ勘兵衛さんのゐぬまにすうつとこいたと節をつけて云つて、おまへらさうやろと部屋の空気を嗅ぐやうな仕草をするのである。野卑な冗談をいふと私は苦苦しい心地がするのだつたが、それでもからかはれた女中達は必ずあはあはと笑ひ転げるのである。ひとつには彼の上方弁がをかしかつたせゐもあらうが、温和しくてよく働いてその上男振りのよかつた彼は、女中達の間に人気があつたのかも知れないのである。
その勘兵衛が、夜になると眼の見えなくなる鳥目になつた。
いくら手をつくしても一向しるしがないので、祖父が占ひをして憑きものを呼び出す事になつたのである。祖父は母の父で、やつぱりいつ頃から家へ来てゐたのかよく分らないが、おつとりした顔立の静かなもの優しい老人であつた。
祖父は浄るりが好きで、毎晩晩酌を一本飲むと、茶の間の大きな炉のそばへ坐つて浄るりを一段づつ語つた。母の話によると、祖父は人形浄るりに凝つて祖先からの田畑を失ひ、生れ故郷の淡路島を出てこんな日本の果ての北海道まで移住するやうな事になつたのださうである。祖父の従兄には大阪の文楽座で太夫をしてゐる男があると、祖父はそれが唯一の自慢でよく人に話した。太夫といふものはどんなものかわからなかつたが、私は祖父の口ぶりから推してよほど偉い人なのだらうと尊敬してゐた。祖父は朱筆のはいつた稽古本を小さな行李に一ぱい持つてゐて、いくらねだつてみてもそれはくれなかつた。子供といふものはなかなか慾ばりなもので、人が大切にしてゐる品を見ると、自分にはそれがどんなに不用のものであつても片端から欲しくなつてくるのである。殊にその中には太夫からゆづられた稽古本がいろいろあると聞いたので、私は一層欲しくて耐らないのであつた。
もう一つ私の欲しがつたのは筮竹と算木で、祖父は毎日ひとり机の前に端坐して、それをさらさらともみながら占ひをするのである。別に人から頼まれたといふ訳ではなく、自分一人の慰みに、碁好きが一人で碁石をならべて見るやうに算木をならべて見るらしかつた。机を据ゑた窓のそとには楓の大きな樹があつて、その青葉の色が深深と祖父の姿を染め、皺の多い輪廓の正しい顔が能面のやうに、ひどく神秘的に見えるのであつた。私はさういふ租父を絶対に信頼した。祖父は私のむし歯が痛み出す度に、半紙に歯の形を書いて痛む歯をくろぐろと塗りつぶし、東北の隅の柱に打ちつけてお呪ひをしてくれた。お腹の痛む時には成田山のお札を飲ませてくれた。私の病気はいつもそれでなほつたけれど、他の姉妹の場合にはさうはいかなかつたやうである。
祖父は真言秘密の法といふのを会得してゐて、毎朝神棚の前で天地八百万づの神神を拝んだ末には、いろいろな呪文をとなへて印を結んだ。それかられいの窓際の机の前に端坐してさらさらと筮竹をくるのである。さういふ祖父の傍へ行つていろいろな事をきいて見るのは私ばかりで、祖父はいづれこの術はあんたに伝へるつもりだと云つた。占ひといふものは心がまつすぐで、世間からは阿呆といはれる程の人でなくてはあたらないものださうである。私は阿呆な子供で他の姉妹からは除者であつたが、しかしそれだからよいと祖父はほめてくれたのである。
祖父が真言秘密の法で生霊や死霊をよび出すといふ話はときどき聞いてゐたけれど、実際に行ふのは一度も見た事がなかつたから、勘兵衛の憑きものをよび出すときいて大いそぎで座敷へ行つてみると、神棚の上に明るくお燈明がついて、見た事もない中年の女の人と勘兵衛がその下にさし向つて坐つてゐた。そして二人ともおなじやうに両手を拝むやうに合せて、その手の間に真青な榊と白い御幣とを握つてゐる。祖父は二人のまん中に、神棚の方を向いて坐つて大きな声で一心に御祈祷をあげてゐた。
私は座敷の隅の母の傍へ小さく坐つて息を凝らしてゐた。祖父の声がだんだんだんだん大きくなり、高くなり、部屋一ぱいになつて、ちやうどゴム風船がだんだんとふくれてきておしまひにパンとはじけるやうに、部屋がパンと破れたやうな気がした刹那、勘兵衛と女の人の榊を持つた手が同時にぶるぶるとふるへ出した。見る見るそのふるへが激しくなつて、女の人は突然ぎやあつと一声獣がしめ殺されるやうな叫びをあげたと思ふと、両手の榊と御幣をぱつと投げ出してしまつた。憑きものが出てきたのであつた。女の人は榊を投げ出したあとの素手を軽くまるめて、ちよいちよい空をひつかくやうな仕草をした。猫に似てゐた。猫が出てきたのである。
猫は呼び出して貰つたのがうれしいと云つて、変な手つきをしながら涙と洟水と一しよくたにしてしばらく泣きつづけた。涙や洟水がいくら流れても決して拭かないから、顔がどろどろになつて一層猫らしく見えるのである。その猫は三年前の冬のある日、道ばたで酷い殺され方をしたのだが、その時傍に勘兵衛が起つて見てゐて、ああ可哀さうだと思つたその心もちがうれしくて、勘兵衛にとり憑いたのださうである。殺した相手が憎らしくて取り憑くといふのなら話はわかるけれど、うれしくて取り憑くなどとは大へん迷惑である。猫なんてうつかり可哀さうだと思つてやれはしない。
猫はさんざ泣いたあとで、心願を達してお礼を云つたのだから、これからはもう決して取り憑かないといふ約束をして出てゆく事になつた。祖父が大きな声で何か気合のやうなものをかけると、女の人ははあつと前のめりに突伏して、そのまま死んだやうにぢつとなつてしまつた。祖父は又神棚に向つて御祈祷をあげ初めた。私は女の人が死んだのではないかと心配で耐らなかつたが、そのうちに祖父の長い御祈祷がすむと、それを合図のやうに女の人はむくむくと起き上つて、私の方を見て、「お嬢さん、かしこいですねえ」とあたり前の声でお愛想を云つた。顔をよく見たらにこにこしてゐてすこしも猫のやうではなく、涙のあともなかつた。
「あの人はブリキ屋のお久さんといふ半《はん》白痴《ば か》なんでございますよ」とあとから大きい方の女中が教へてくれた。勘兵衛の鳥目はその晩からなほつた。御祈祷の間ぢゆう家の戸口には全部鍵がかかつてゐたのに、猫は何処から逃げたのかしらとあとで気になつてたづねて見たら、猫ははばかりの窓から逃げましたとやはりその女中が教へてくれた。八つの年のおもひ出である。
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